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移動する森をたどるように旅した早池峰山(岩手県)

3.植物の他者性をめぐって
 菅江真澄の記録として現代に伝えられたいくつかのイメージの中には、彼が見たかもしれない、数百年同じ場所で生き続けている木もあれば、すでに失われた木もある。たとえば真澄が「勝地臨毫・雄勝郡六」に書いた伝承には、朽木に若い木の枝をさして通ると言う「山の神の手向け」または「山の神の花立て」という口碑が記されている。長坂はそれらをたどりながら、想像力をさらに拡張する。

朽ちた木が土壌になり、手向けられた枝が根付き、大きくなって、今でもどこかに立っているかもしれないと想いながら森を歩いた。山の神に枝を手向けていった人々の想いや手振りが、今私の目の前に広がっている森を形作ったのかもしれないと思うと、この朽ちた木と私のいる場所につながりができたような気がした[5]。

 例えばある種の木々は、土地の歴史や景観そのものと深く結びつき、世代を超えた伝承に結び付けられている。だから、木にまつわる歴史や記憶を紐解くことは、その土地に暮らす人びとの暮らしの現実を超えて、今は記憶から消えてしまった先住者や祖先の歴史を、深い次元でとらえ返すことに繋がってゆく。故郷を離れ、見慣れない土地を訪れた個人が、その土地に根を張った巨木や老木にまつわる伝承に惹かれるのは、一人の人間の個体性が朽ち果てた後、世代を超えて語り継がれてきた現実に感応するからかもしれない。こうした直観は純粋に想像の次元に括り付けられているのではなく、常に潜在的な歴史の現実性と関連し、未来へと開かれている。
 先人・菅江真澄の足跡を追いつつも、それを地図化するのではなく、木という生物を通して彼の残した図絵の特異性に迫ろうとする長坂のアプローチは、どこかイタリアの哲学者であるエマヌエーレ・コッチャの哲学を思わせるところがある。コッチャは人間中心に構築された哲学や思想を乗り越える中で、動物に先立って世界に発生した植物に着目した。コッチャは、植物が土壌と天空、あるいは地中と空中という、根本的に異なった二つの世界を結ぶ媒介者であり、「環境同士、空間同士を結びつける」生物であることを強調している[6]。コッチャによれば、植物は、光に浸され、他の動植物との可視的な関係を結ぶ「中空の生命」と、地下に隠退し、真っ暗な潜伏的領域であらゆる形態の生命と共生を営む「冥界的な生命」という二重の生命構造を持つという。例えば一本の木は、その根・幹・葉・花・果実を通して地上と地下という二つの異なった環境を相互交流・相互浸透させ、他の生物が生きることのできる空間そのものを作り出す。こうした媒介性は、菅江真澄の図絵だけでなく、長坂が真澄の足跡と筆跡をたどって再創作した木のイメージからも、たしかに感じられる要素である。

七里長浜出来島海岸にある「出来島の最終氷期埋没林」(青森県)

 2019年の秋の展覧会で実現されたインスタレーションによる長坂の表現は、単なる視覚的な平面表現でもなければ、社会的なコミュニケーションの中に溶解する脱視覚的表現でもなかった。その展示は少なくとも過去の二百年の間に起こった人間の歴史と非人間の時間を媒介するだけでなく、個人の一生を超えて持続する時間の流れやその間の記憶の蓄積、そこから派生する事物の連鎖や複数種の織りなす生命活動の網目を感じさせる。さらに、長坂の作品は木という植物を描くことで定住と移動、過去と未来、生命と非生命を鏡面のように反転させ、これから起こるかもしれない未知の出来事や、生まれてくるかもしれない生命の予感を映し出している。黄色の光に包まれたこの空間は、まさにこれから上演されるドラマの先触れであったのだ。
 コッチャによれば、世界というシステムは常に「呼吸」を続けていて、そのことによって生物は、異なる存在と相互に支えあうことができるし、相互に浸透しながら新たな世界を更新し続けることもできるという。実際地球上では、動物以前に登場した植物が大気を「呼吸」することによって、ほかの全ての生物が生息することのできる環境が整えられてきた。つまり、大気や大地の循環を恒常的に生み出してきたのは植物であり、木である。ここで言う世界とは、ほかの全ての生物が、これから起こる出来事と対峙することのできるような、最も根本的な物質性の基盤を意味している。こうした基盤を作ってきたのは、もちろん人間ではない。「すべての有機体は、世界を産出する一つの方法の発明にほかならない[7]」とコッチャは考える。その発想は、たとえばハイデッガーの哲学に見られるような、人間・動物・鉱物の三者とすでに対象化された世界の関係を中心に組み立てられてきた、西洋の形而上学に対する鮮やかな批評として、階層化される以前の「混合する宇宙」のイメージを提示している。
 神と人間の下位範疇として、動物と非有機物の階層を設置するとき、西洋の形而上学はしばしば植物や菌類のことを忘れ、あたかもそれが、人間や動物のための隠れた脇役のような扱いに還元してしまう。しかし、地球の歴史をたどってみれば、これは明らかに不公正な階層化だということがわかる。なぜなら、コッチャが指摘するように、動物界に先立って世界制作に参入し、地球上の大気の環境を準備したのは、植物界の活動にほかならないのだから。しかも、大量の植物が微生物や動物とともに朽ち果て、気が遠くなるほどの長い時間をかけて地上に堆積していくことで、次世代の生きものが生息する大地が準備される。さらに、人間が大地から汲み上げ、エネルギー資源として利用する石油や石炭もまた、そうして朽ちていった生物の死骸の堆積物であり、かつて産出された世界の一部でもあるということを、忘れるわけにはいかない。
 「植物の哲学」によってダイナミックに生成する世界を描写するコッチャのように、菅江真澄は水や土や木を描くことで、遥か昔に産出された世界の奇跡を、そしてその後の歴史を通じて更新されて来た世界の在り方を、驚きをもって描こうとしたのではないだろうか。真澄はその鋭い観察眼によって、江戸時代の秋田を透視して遥か古代へと続く地域の「いにしえぶり」を発見した。そして、その真澄の描く図絵を写し、彼の足跡をたどる長坂の視点もまた、現代と江戸時代後期を結び、さらにその先へ、そして人間の歴史を超えた局地的な生態系のドラマへと、私たちの視点を無限遡行させる。とりわけ木々は、個という単位を超えて空間同士を結びつけ、人生という尺度を超えて異種の生命の相互作用に出会わせてくれる。このように、異なる存在の領域を媒介し、光や気温や湿度といった条件によって場所をつくる木の存在は、人間の集住する空間にとっても、根本的な重要性を持っている。一本の、あるいは多数の木のなかに、私たちにとって重要な他者性を認める時、芸術表現は人間を中心とした世界観から解放され、未知の可能性を手に入れるかもしれない。

4.「森の移動」という視点へ
 秋田での最初の展示が終了した2020年の初春、長坂はさらにそれまでの制作構想を拡張し、横手にある秋田県立近代美術館で開催される予定の展覧会「ARTS & ROUTES  -あわいをたどる旅-」へと向けた、さらなるリサーチを始動していた。新型コロナウイルスの被害が世界に拡大し、日本の都市圏にも広がろうとしていたこの時期、長坂は植物学者への取材や、青森での埋没林調査を通して、ある重要な知見を探ろうとしていた。それは人間や動物ばかりではなく、植物もまた長期間を通じて地表を移動していくものであり、ある局地的な舞台を通して、生成と消滅を繰り返す存在である、という森林生態学的な知見である。

森吉山のブナ原生林にて(秋田県)

 空間を自由に動くことのできる動物との比較により、植物は長い間ある土地に縛り付けられた不自由な存在だと見なされてきた。ところが、近年の森林生態学は、森林を構成する草木や樹木の個体群が、光・気温・湿度・水分などの条件の変化に伴ってダイナミックに移動し、世代を超えた群衆的活動を展開してきたことを明らかにしつつある。もちろん地表は寒冷化や温暖化を繰り返すだけでなく、火山の噴火や地震・津波の勃発など、大きな不可抗力によって変化する。そのなかで、かつて人為的な活動によって達成された条件が、何らかの理由で遺棄されたことによって変化し、新たな植生や景観をもたらすこともある。
 長坂が掲げる「これから起こるはずのこと」とは、そうした人間以上の世界へと想像力をめぐらせる方法であり、過去と未来を結ぶ構想でもある。菅江真澄という過去の旅人の足跡を辿り直し、その旅路を未来の出来事へと反転させる作法は、たとえば埋没した最終氷期の森林を掘り起こし、未来の森の行方を占う行為にも似ているかもしれない。
 その試みは、あらゆる科学と想像的な物語をつないで紡がれる、未知のエコロジー実践へと継承されて行くだろう。私たち鑑賞者は、真澄や長坂がそうしたように、個々のペースで独自の「徒歩旅行」を続けることで、場所に支配されるのでも、支配するのでもなく、場所そのものをつくる世界制作の活動へと、導かれていくかもしれない。そのとき私たちは、人間だけでなく、他者や他の生きものたちとの共通の家である環境そのものが移動するという現象の秘密に近づくことができるかもしれない。

石倉敏明(秋田公立美術大学准教授)

[1] 秋田県立博物館編・発行『菅江真澄、記憶の形』、2018年参照。
[2] 長坂有希『これから起こるはずのことに出会うために』(会場内配布冊子)2019年、3頁。
[3] 長坂前掲書、6頁。
[4] ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』(工藤晋訳)、左右社、2014年、40頁。
[5] 長坂前掲書、10頁。
[6] エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学 混合体の形而上学』(鵜崎正樹訳)、勁草書房、2019年、112頁。
[7] コッチャ前掲書、55頁。

Profile

石倉 敏明
1974年東京生まれ。明治大学野生の科学研究所研究員。1997年より、 ダージリン、シッキム、カトマンドゥ、東北日本各地で聖者や女神信仰、「山の神」神話調査をおこなう。環太平洋圏の比較神話学に基づき、論考や書籍を発表する。近年は秋田を拠点に、北東北の文化的ルーツに根ざした芸術表現の可能性を研究する。著書に『Lexicon 現代人類学』(奥野克巳との共著・以文社)、『野生めぐり 列島神話をめぐる12の旅』(田附勝との共著・淡交社)、『人と動物の人類学』(共著・春風社)、『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』(高木正勝CD附属神話集・エピファニーワークス)など。秋田公立美術大学准教授。

 

◆プロジェクトが始動した2019年から展覧会開催までの制作の軌跡(過程)を広報紙『JOURNAL(ジャーナル)』に記録、これまでに4号を発行しました。
公式ウェブサイトではバックナンバーを公開しているほか、希望者には郵送も可能です。

これまでの関連記事は#ARTSROUTES

Information

展覧会「ARTS & ROUTES -あわいをたどる旅-」

https://www.artscenter-akita.jp/artsroutes/

会期:2020年11月28日(土)〜2021年3月7日(日) 9:30~17:00
■会場:秋田県立近代美術館(秋田県横手市赤坂字富ケ沢62-46 秋田ふるさと村内)
■TEL:0182-33-8855
■観覧料:一般1,000円(800円)/高校生・大学生500円(400円)
※中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体および前売の料金
※学生料金は学生証提示
※障害者手帳提示の方は半額(介添1名半額)
■前売りチケット販売所:秋田県立近代美術館・秋田ふるさと村・さきがけニュースカフェ・ローソンチケット(Lコード:21782)

・主催|ARTS & ROUTES 展実行委員会(秋田県立近代美術館・AAB秋田朝日放送)・秋田公立美術大学
・出展作家・プロジェクト|岩井成昭・迎英里子・長坂有希・藤浩志・菅江真澄プロジェクト(石倉敏明・唐澤太輔)・秋田人形道祖神プロジェクト(小松和彦・宮原葉月)
・企画監修|服部浩之
・企画運営|NPO法人アーツセンターあきた(岩根裕子・石山律・藤本悠里子・高橋ともみ)
・グラフィックデザイン|吉田勝信・梅木駿佑
・ウェブコーディング|北村洸
・後援|横手市・横手市教育委員会・秋田魁新報社・河北新報社・朝日新聞秋田総局・毎日新聞秋田支局・読売新聞秋田支局・産経新聞秋田支局・日本経済新聞社秋田支局・横手経済新聞・CNA秋田ケーブルテレビ・エフエム秋田・横手かまくらFM・エフエムゆーとぴあ・FM はなび・秋田県朝日会・東日本旅客鉄道株式会社秋田支社

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