arts center akita

「開発」と「保護」が、数千年後に残す未来 吉川耕太郎評 展覧会「アイオーン」

既存の物語の読み替えや都市論の再考等をテーマに、様々な媒体で作品を発表する石毛健太。秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTにて「数千年後の未来に何を残すことができるのか」をテーマに開催中の展覧会「アイオーン」について、考古学者・吉川耕太郎がレビューします。

石毛健太個展「アイオーン」
数千年後の未来に何を残すことができるのか

秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTにて2020年12月5日〜2021年1月24日、石毛健太による展覧会「アイオーン」が開催されている。これは同大学・大学院の学生・院生による自主的な「展覧会ゼミ」が母体となり、招聘作家の石毛健太と議論やリサーチを重ねて一つの展覧会を作るというものである。石毛は秋田に滞在し、そこで得られたモノやコト等を素材に作品を作り上げた。私はアートシーンからは縁遠い人間であるが機会があって少しの関わりをもたせていただき、展覧会を観覧させていただいた。

そのような私がレビューするのは恐縮ではあるが、自分の拠って立つ考古学・埋蔵文化財の立場から所感を述べさせていただければと思う。とくに、私が石毛にリサーチの際に話した“「開発」と「文化財保護」の関係”を基軸に本展覧会を考察することにする。
そのため、展覧会をレビューする前に、冗長ではあるが、人類史や埋蔵文化財について説明させていただき、そこから本展覧会で感じたことを紡ぎだしていきたい。

【人類の歴史を振り返る】

私たち人類が今から約700万年前のアフリカで誕生することは、近年の自然人類学や遺伝学の研究が明らかにしたところである。「人類」とは何か、類人猿をはじめとした他の生物とは何が違うのか、古来より多くの学者が議論してきており、新たな知見が得られるたびに、私たちをさらに悩ませてきた。たとえば、道具を使うのが人類の特徴だと考えられた。しかし、これまでの研究では、チンパンジーも道具を使うことが明らかとされてきた。大方の支持を得ている人類の特徴は「常時」二足歩行という点であろう。

人類が誕生したときにはまだ道具を手にしていなかった。素手のままで危険あふれるアフリカの大地を二足歩行でサバイブしていたのである。仮にそこで絶滅していれば、今の私たちはいなかった。ようやく道具(石器)を手にしたのは、今から約260万年前、やはりアフリカで猿人(アウストラロピテクス)から進化した原人(ホモ・ハビリス)である。以降、人類は道具に依存する生き物となったといわれる。原人は道具をたずさえてアフリカから旅立ち、世界各地で旧人に進化して、道具の種類を増やしながら発達させていく。

人類は進化の過程で多様に分岐し、今では6属19種ほどが化石として確認されている。その大半はアフリカである。アフリカがまさに人類揺籃の地、「人類のゆりかご」といわれるゆえんである。私たちの直接の先祖である新人(ホモ・サピエンス)は今から約20万年前、アフリカで旧人から進化して人類史に登場した。ここまでは旧石器時代の話である。

【開発と保護】

私たち新人は新石器時代以降、さらに道具を発達させ、周りの環境にも働きかけるようになった。日本列島では縄文時代以降ということになる。縄文時代というと「自然との共生」といったイメージが強いが、大規模な集落や環状列石などの祭祀場を築くために森林を切り拓いたり、石器の石材を採掘するために山を掘り返したりもした。これを「開発」といえば「開発」ということになる。人間はより快適に生きていくために周囲の環境を開発しながら歴史を紡いできたのである。弥生時代以降は水田開発が進み、西日本では大規模な前方後円墳などの墳墓の造営、中近世には平野や山に館や城を築造し、城郭を中心とした城下町、港湾都市等が作られるようになる。
私たちの足元にはそうした開発の歴史がうずもれており、その歴史の上に新たな開発が積み重ねられていく。

《aeon of bristle corn pine》

この開発に見られる過去の人類活動の痕跡を行政用語で「埋蔵文化財」という。埋蔵文化財は地中に埋もれているため普段は目にすることができないことが多い。私たちの目の前に現れるのは、工事などで地中を掘り返したときなどだ。

ところで、“歴史は積み重ねられていく”と書いたが、積み木のように重なっていくのではなく、過去の痕跡を切り刻みながら新たな歴史が作られていくのである。積み木ではなく、それはあたかもデータの上書きのようであり、新たな開発のもとに過去の記憶(埋蔵文化財と私たちが呼ぶもの)は失われていく。法隆寺(奈良県)の焼失を機に1950年に制定された文化財保護法では、埋蔵文化財を保護する枠組みが法律の上で示されたが、1960年代に始まる高度経済成長期には、列島規模で開発がなされ埋蔵文化財の危機が叫ばれた。ここに「開発」か「保護」か、という二律背反的な問題が社会の中で提起されることになる。

私が勤務している秋田県埋蔵文化財センターは、高速道路やダム建設などの開発事業に先立ち、そこに遺跡などの埋蔵文化財がある場合、発掘調査を行い記録として保存するための機関で、そうした公立・法人等の調査機関は全国にある。遺跡の場合、保護するためには「現地保存」が最も望ましいが、日本列島では50万カ所ほどの遺跡が今のところ発見されており、さらに毎年どんどん増え続けている。これらすべてを現地保存していると、開発が全くできなくなり、今の生活や社会、経済が立ち行かなくなる。そこで出された次善の策が「記録保存」である。緊急発掘調査はそのために行われる。

「開発」か「保護」か。それはどちらか一方を優先させるのではなく、車のアクセルとブレーキのようだと私は考える。人類の今と未来のためには両方が必要で、バランスを保つことが大切である。アクセルだけでは大事故につながるし、ブレーキだけでは前に進まない。そうした観点からは私たちの社会は一つの乗り物に例えられるのかもしれない。

【展覧会が問いかけるもの】

アーティストの石毛健太は、展覧会「アイオーン」を通して、そうした現在と過去の織り成す葛藤、それでも進まねばならない人間の宿痾のようなものを見事にアートとして表現し、現代社会に投げかけた。

この展覧会は秋田公立美術大学の展覧会ゼミのなかで、石毛とゼミ生が作り上げたものである。展示は3つの作品で構成される。石毛は具体的なマテリアルを通して、手に取ることのできない「時」を巧妙に扱っている。会場はコンパネで床がかさ上げされ、各作品の床下50cmには製作過程の時間を映し出すモニターが設置されている(会場設営の苦労がしのばれる)。この50cmは5000年分の土の堆積を示し、発掘調査を疑似的に表現している。会場内には3つの作品の音声解説が重複して小さな囁き声として聴こえてくる。様々な時間のレイヤーの重なりに包まれるような不思議な感覚に陥る。

《aeon of hourglass》
《aeon of earthenware》

とくに《aeon of earthenware》での問いかけは、前述したような私の仕事と特に密接な関わりがある。石毛の創作の舞台は御所野ニュータウン。石毛自身が都内のニュータウンで育ち、“永遠に続くと信じていた世界が、実はそうでもなかった”という現実を多感な年ごろに突きつけられた経験がある。その中で感じてきたことが作品に底流している。

御所野台地にあるニュータウンでは、その開発に先立って大掛かりな緊急発掘調査が1980年代になされた。台地上には旧石器・縄文・弥生・古代のさまざまな遺跡が30カ所以上ひしめいていた。まさに原始からの生活の舞台だったのだ。それらの過去の営みの上に築かれたニュータウンとその中核となる大型ショッピングモール。モールの大きな看板に、石毛は「開発の象徴」としてなにか凶兆めいたものを感じ取る。その感覚を確かめるためにか、御所野台地で粘土を採取して土器を焼き、縄文人がそうしたようにアスファルトで破片をつなぎ合わせて補修してみせる。

石毛は言う。「地中に眠る物語と切断されたこの新しい街は、均質で停滞した空気で満たされている。かつてから存在していた共同体も過去の消失によって解体され、モールの中で互いに混じり合うことなく個が各々の時間を過ごしている」。ただ、それを悲観的にとらえるのではなく、街に停滞した空気を感じながらも、「消失は同時に誕生の暗示でもあり、「それ自体に幸も不幸もない」と続ける。その停滞は実は停滞ではなく、「緩慢な速度での変容」の始まりで、そこに新たな消失(終焉)への時間の流れを見出している。ニュータウンもいずれは「ニュー」ではなくなり、地中にうずもれ、遺跡となっていくのだろうか。石毛はそう予見する。その時、石毛が作った土器を発掘した未来の考古学者は、一つの時代を生きたアーティストの思想をどこまで汲み取れるだろうか。未来の考古学者がどれほど有能になっているのかわからないが、はなはだ心もとない。その点、本展ではマテリアルだけではなく、小稿でも引用しているように作者自身によるテキストが重要な役割を果たしている。

本展覧会のタイトルである「アイオーン」は古代ギリシア語で「永遠」という意味のようだ。そして、件の大型ショッピングモールの名前の由来ともなっている。「永遠」と名付けられたモールのその先の未来を石毛が見ていることに、なんとも言えない皮肉めいたものを感じた。

《aeon of earthenware》で制作した土器の型と、粘土が型に付かないよう使用した片栗粉(アーカイブ展)
粘土質の土を採取して攪拌し、沈殿させて絞った道具類。接着剤としてアスファルトも使用(アーカイブ展)

また、BIYONG POINTでの展覧会と併行して、別会場のオルタナスではゼミ生を中心としたアーカイブ展が開催されている。石毛は「未来を志向しているのに『インスタレーションなどの現代美術の展覧会』が残らないことに対する矛盾、それを克服する仕事を学生に挑戦してもらいたかった」という。結果、秋田県埋蔵文化財センターを見学した際に得られたこと等をもとに、展覧会制作過程で生じたさまざまなものをアーカイブとして展示する、ラボ的な空間として結実した。

それ自体、見ていて楽しいが、旧石器考古学を専門として発掘の仕事をしている私としてはこちらも自分の専門に引き付けて楽しむことができた。発掘で出てくる石器は完成品よりも、その製作プロセスで生じた残滓が多い。その残滓も埋蔵文化財(=考古資料)として研究対象となり、何万年も前の人びとの石器製作技術の実態解明のみならず、生活の営みや社会までアプローチできる。まさに私たちが埋葬文化財センターで出土品を相手に整理・分析しているさまを連想させ、アートと考古学の接点に予想外の場面で出くわした感じを抱いた。アイオーン展での作品、そして制作過程で生じたアーカイブが総体となって石毛の問いかけを織りなしているのだろう。

【ふたたび「開発」と「保護」】

最後に、石毛が本展のキーワードの一つとした「開発」と「保護」について、改めて触れてみたい。先に「開発」と「保護」は二律背反的な問題としたが、それは、前者が本能的であるのに対して、後者が理性的な態度であると感じられるからだ。しかしいま、石毛の作品を通して、「開発」・「保護」のどちらも実はホモ・サピエンスの本能に基づくのではないかと思うようになってきた。如上のように「開発」は縄文時代以降、なされてきたことであるが、たとえば環状列石などのモニュメントは数百年という長期間にわたって、縄文人に意志のもと「残されたもの」かもしれないし(もちろん、長期継続的に少しずつ形成されていったという考え方もある)、そこまで古い時代の話ではなくとも、たとえば社寺仏閣やそれに関連するもの、民俗芸能などは保護されてきたといえる。古墳時代の巨大墳墓などは後世に残すことを前提として築造されたのであろうし、平安京はその墳墓を壊して築かれているという事実に、人の営みの変わらなさを垣間見ることもできる。

人は明日の生活を切り開くために開発もするが、自らのよりどころとなるような場やモノ、行事などは保護し受け継いできた。いま、文化的景観や民俗芸能が失われつつあることが問題にされているのは、「開発」と「保護」のバランスが崩れかけ、またそれに気づきつつあるということなのかもしれない。アクセルも本能ならブレーキも本能なのだろう。ただし、アクセルが最初に踏まれ加速の度合いを高める一方、ブレーキは常に理性の衣を羽織りながら後追いするという関係なのである。

石毛の作品は、そうした人類の営みの悲しいまでに不器用な姿、性(さが)を映し出しているような気がしてならない。本展はまさに石毛の作家としての本能・直観と、キュレーターとしての理性が学生の感性とともに絡まり合って生み出された意欲的かつ実験的な展覧会であった。

なお、開展初日のオープニングトークイベントは、石毛健太と秋田公立美術大学准教授の服部浩之、本展の企画運営に携わった同大キュレーターの武田彩莉の鼎談というスタイルで進められた。ゼミ生とともに本展覧会が形作られるプロセスや石毛のバックグラウンド、ものの見方等は展示を理解する上でも興味深く有意義であった。小稿にはそのトークで語られたことも含めている。

考古学、埋蔵文化財に携わる私としては、「マテリアル」としての遺物や「場」としての遺跡は、考古学者だけが独り占めするものではなく、広く多様な分野の人が活用すべき「材料・素材」と考えている。本展覧会を観覧する機会に恵まれたことによって、まさにそうした理想(考古学者からの解放!)が具現化された試みとして私の心に深く刻まれたとともに、人類がこれからも積み重ねていく時間を捉える私自身の態度に、新たな風が吹き込んできたことを感じさせるものとして大いに刺激となった。石毛の問いかけに、これから私なりにも答えていかなければならない。

吉川 耕太郎(秋田県埋蔵文化財センター)

秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT
アーカイブ展を開催中のオルタナス

撮影:須賀 亮平

Profile

吉川耕太郎

1973年兵庫県生まれ。明治大学大学院博士前期課程(考古学)修了。秋田県埋蔵文化財センター、秋田県教育庁文化財保護室、秋田県立博物館、秋田県払田柵跡調査事務所を経て、現在、秋田県埋蔵文化財センター資料管理活用班副主幹(兼)班長。専門は石器時代の考古学。著書に『北の縄文鉱山 上岩川遺跡群』(新泉社)、共著に『縄文石器提要』(ニューサイエンス社)、『どうぶつのことば』(羽鳥書店)など。秋田県立博物館での展覧会として特別展『アンダー×ワンダー』、企画展『石斧のある世界』など。

Information

展覧会「アイオーン」

プレスリリースはこちら

■会 期:2020年12月5日(土)〜2021年1月24日(日)9:00〜18:00
※入場無料
※年末年始を除き無休(2020年12月29日〜2021年1月3日休館)
■会 場:秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)

アーカイブ展
石毛が今回の展覧会で掲げる「数千年後の未来に何を残すことができるのか」という問いを、ゼミ生が中心となりアーカイブという目線から考える企画。作品からこぼれ落ちたものも取り上げながら、残すこと残るもの、それが作用する何かについてBIYONG POINTでの展示と並走しながら思考を巡らせます。
■会 期:2020年12月5日(土)〜2021年1月24日(日)12:00〜18:00
※入場無料
※会期中の土日祝のみオープン(2020年12月29日〜2021年1月3日休館)
■会 場:オルタナス(秋田市旭南3-10-14)Facebook: https://www.facebook.com/alternasu
Twitter: https://twitter.com/alternasu

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

一覧へ戻る