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「越境と発見:菅江真澄と現代芸術との接点」
菅江真澄の旅の軌跡に、現代美術はどう応答したのか

2021.05.28

【「ARTS&ROUTES-あわいをたどる旅-」アーカイブ】
菅江真澄の旅の軌跡を起点に複数のプロジェクトを展開させた展覧会「ARTS&ROUTES -あわいをたどる旅-」。トークイベントや作家インタビューのアーカイブを通して展覧会を振り返ります。現代を生きる表現者たちは、菅江真澄の旅の軌跡やその記録にどう応答したのでしょうか。

江戸時代の紀行家・菅江真澄の旅の軌跡と
現代美術との接点とは

江戸時代後期に活動した紀行家で博物学者の菅江真澄。旅の中で残した言葉や図絵などの記録に宿る創造性に着目し、現代美術の視点で複数のプロジェクトを進行させた展覧会「ARTS & ROUTES –あわいをたどる旅-」が2020年11月28日から3月7日まで、秋田県立近代美術館(横手市)で開かれました。
▼展覧会関連記事は#ARTSROUTES

現代を生きる表現者たちは、菅江真澄の旅の軌跡やその記録に対して、どう応答したのでしょうか。2020年12月12日(土)、出展作家・迎英里子による《アプローチ6.1》のパフォーマンスの後、展覧会会場にてトークイベント「越境と発見:菅江真澄と現代美術の接点」が行われました。展覧会アーカイブとして、トーク記録を公開します。

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展覧会「ARTS & ROUTES -あわいをたどる旅-」
トークイベント①「越境と発見:菅江真澄と現代芸術との接点」
日時|2020年12月12日(土)14:00~15:30
会場|秋田県立近代美術館 5階中央ホール(秋田県横手市赤坂富ケ沢62-46)
登壇者|出展作家 岩井成昭/長坂有希/迎英里子
ナビゲーター|石倉敏明
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藤本悠里子(司会):これより展覧会「ARTS & ROUTES -あわいをたどる旅-」のトークイベントとして、「越境と発見:菅江真澄と現代美術の接点」を始めます。ナビゲーターは本展のリサーチアソシエイトでもある石倉敏明さん、ゲストは出展参加の長坂有希さん、岩井成昭さん、迎英里子さんです。モニターに映っているアーティストの長坂有希さんは、リサーチとストーリーテリングを制作の主軸とし、さまざまな土地で人やものとの出会いから新たな物語を紡ぎ出し、写真や映像、オブジェやテキスト、朗読やパフォーマンスなどメディアを組み合わせた作品を制作しています。本展では、秋田での滞在制作によって木や植生のリサーチを進め、青森県出来島海岸の最終氷期埋没林との遭遇を起点に、移動とエコロジーを模索するプロジェクトを展開しました。第2室にて《われらここに在り、漂う森をおもう》を発表されています。

岩井成昭さんはこれまで、在留外国人や移民問題、人口減少や少子高齢化など地域が抱える社会課題に芸術から応答する活動を試みてきました。本展ではグローバルな消費の拡大によって速度がますます速くなる社会において、大衆の移動を容易にした車や疑似体験を、現実を限りなく近づける映画産業を介することで現代における旅と創造の関係を再考しました。第3室にて、インスタレーション作品《to the point of no return…帰らざる場所へ》を発表されています。
迎英里子さんは貿易や屠畜など、社会や自然界にある仕組みや構造を自作の装置を使用したパフォーマンスを通じ、世界の連続性や構造を描出する作品を制作しています。本展では、人やものが国境などの境界を越えて移動する仕組みに着目し、調査制作を進めました。第4室に展示されている《アプローチ6.1》では、6名のパフォーマーの行為によって構成されるパフォーマンスの映像が展示されています。会期中には展示室内にて、実際にパフォーマンスをおこなうイベントも開催しています。

石倉敏明さんは人類学者として、日本列島、インド、ネパールをはじめ、環太平洋地域を対象とする山の女神についての比較神話調査をおこない、近年は秋田を拠点に北東北の文化的ルーツに根差した芸術表現の可能性を研究しています。本展では、哲学者・文化人類学者の唐澤太輔さんと共に、旅と記録の背後に宿る創造のかたちについて検証するプロジェクトを展開してきました。石倉敏明さんをナビゲーターに、出展者である長坂有希さん、岩井成昭さん、迎英里子さんにご登壇いただき、現代における表現者たちは菅江真澄の旅の記録、活動の軌跡にどう応答したかをテーマにお話しいただきます。

江戸時代の紀行家・菅江真澄の創造性に、
現代美術はどう応答したのか

石倉敏明:ご紹介ありがとうございます。コロナ禍でこうしてマスクをして、互いに2メートル離れて、しかも寒いホールで厚いコートを着込んで行うトークイベントというのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。この秋田県立近代美術館が、秋田の中でも雪深い地域にあること。そして、今年のパンデミックの状況など、いろいろなことが重なり合ってこういう場が成立していると思います。今日は、長坂さんはオンラインで、岩井さんと迎さんは会場で参加という形になります。3人の作家さんにはまず本展の展示作品について、ご自身の活動と照らし合わせながらご紹介いただきたいと思います。

長坂有希:長坂です。よろしくお願いします。今回、展示させていただいているのは《われらここに在り、漂う森をおもう》という3つの映像によるインスタレーションです。長さとしては20分ぐらいで、「ある科学者」と「私」の2人の人物が、早朝の海辺で会話をしているという設定の物語です。映像には2人の目の前にある海の風景、そしてその上にさまざまな風景や心の中にあるイメージがドローイング・アニメーションとして重なってくるという作品になっています。

長坂有希《われらここに在り、漂う森をおもう》 3チャンネルビデオプロジェクション&音声(日本語・英語)/約8m×12m×5m/20分

長坂:私がこの作品をつくることになった経緯を少しお話しします。参加している作家の中で、秋田に在住せず秋田公立美術大学に属していないのは私だけで、この展覧会の前にプレ展覧会をして、それを踏まえて本番のこの展覧会にもっていくという2つの展覧会形式でオファーをいただきました。1つ目の展覧会では菅江真澄さんが図絵の中で描いていた木の絵に興味をもち、その木の絵を写してみたり、描かれた木を実際に見に行ったりというようなリサーチをしました。その中で気付いたのが、菅江真澄さんは木を「個」として、1本ずつ描いているように思っていたのですが、実際に生えている木を見に行って私が感じたのは、木は「個」として存在しているのではなく、その周りに生えている「木たち」というようなグループで存在していたり、長い間生きている木は周りの住民がずっと世話をしていたという人とのつながりだったりとか、もしくは水源を供給していた泉との関係性によってそこにあるというような、いろいろな物事とのつながりの中で存在しているということに気付きました。それらの環境や関係性をもう少し見ていきたいなと思ったのが、この作品の始まりになっています。(参考:写すことで意識的に「ずれ」と向き合う「木:これから起こるはずのことに出会うために」イメージの再創造から「動く森」へ。長坂有希による二つのプロジェクトの間に

埋没林のいきさつを通して、
「移動」と「定着」を物語る

長坂:ちょうどそういうことを感じていたときに、秋田に住んでいる知り合いから、青森県つがる市にある出来島海岸の最終氷期埋没林について聞きました。埋没林とは簡単に言うと何かの現象によって埋もれてしまった森のことです。その埋没林があることによって、その場所や東北地方にかつて今ある森とは違った森があったということが分かり、そして、埋もれなかった大部分の森は何かのせいでなくなってしまったということを示していて、とても面白い存在だなと思いました。なので、2つ目の作品はその埋没林をテーマにして、「木たち」とかその周りにあった生態系がどう変容していったのかを調べてみようと思いました。本当に局地的な、津軽にある埋没林に起こった特定の出来事。私はこれをドラマと呼んでいるんですけど、それについても知りたかったし、埋没林のいきさつについて調べることによって展覧会全体のテーマであり、菅江真澄さんの人生の大きな要素でもあり、私の人生のテーマでもある「移動」と「定着」についても考えられるのではないかと思い、このテーマを設定しました。

具体的には今年の3月ぐらいから秋田にお邪魔させていただき、地形学者や古環境学者、森林生態学者の方々にお話を聞いたり、関連の文献を読んだりしながらリサーチを進めました。8月に再度秋田に滞在し、その際に青森県の出来島海岸埋没林と、秋田県の森吉山、岩手県にある早池峰山を訪問して、さらにリサーチや素材集めをし、それらを持ち帰って作ったのが今回の作品になります。この科学者も海で起こった会話も実在するものではなく、リサーチから得た知識や素材を架空の物語に落とし込んで表現するという形になっています。私は映像とかドローイングとか、パフォーマンスとか写真とか、いろいろな表現方法で制作をしていますが、制作の根底にあるのはいつも物語とか、物語るということです。今回の作品もそういう意味では過去の作品と一貫していると思っています。

今回の作品では声を使って物語を語っていて、字幕ではなく、音声で日本語と英語を入れています。もちろん秋田で作品を展示するにあたり、お話を聞いて分かってもらいたいと思い日本語を使っています。それと同時に、私は海外で長く生活をしていて、今も日本と香港を行き来しながら普段は英語を使って生活しています。秋田だったり東北地方の局地的なお話を英語で語り、他の地域の人たちに伝えることも大切だと思い、日本語と英語のナレーションを同時に流しています。ほとんどの人は多分、どちらかの言語を選んで聞くと思うのですが、私のようなバイリンガルは日本語も英語も同時に聞いてしまうので、ややこしくてどちらにも没入できないというような体験になると思います。たまたまバイリンガルの友人が作品を見てくれて、すごく気になるけれど集中しづらくて作品を5回観たと話してくれて、私がいつも感じていたり、捉えたかった感覚が伝わっているのかなと思ってちょっとうれしく思いました。

映像としては大部分が2人が今見ている海の風景です。現在の映像に3万年前とか、もう今はないことだったり、すごく離れた場所だったりを表現しているドローイングを合わせています。頭の中にある形をもたない考えとか、ここにないものを表すためにすごく有効なのではないかと思い、ドローイングを使いました。今回の作品は展示が始まった時点で自分が納得のいく形で完成したものではなかったので、実は今日、違うバージョンに差し替えさせていただきました。これも完全に完成しているわけではありません。当初から意図したわけではないのですが、作品も現在進行中というか、移動中です。

大阪からオンラインで登壇した長坂有希

ナビゲーターの人類学者・石倉敏明

石倉:ありがとうございます。この展覧会では、菅江真澄の像が来場者を迎え、第1室では、真澄が秋田を訪れた江戸時代後期の鳥海山と、その後の大地震によって沿岸部が陸地化した後の鳥海山麓の景観図を比較することできます。それから明治時代に秋田を旅した蓑虫山人の作品や、秋田に生まれた「農民彫刻家」皆川嘉左エ門さんなど、真澄のスピリットに連なる近現代の作家たちの作品が「菅江真澄プロジェクト」として展示されています。続いて、鹿島様・鍾馗様などの藁人形の道祖神を取り上げた「秋田人形道祖神プロジェクト」へと展示は続きます。本展は菅江真澄の業績を検証するタイプの展覧会ではないのですが、真澄という象徴的な存在と共に歩み、真澄の生きた時代から現代へと、少しずつ風景が変わっていくような、そういう展覧会になっていると思います。

第2室に入っていくと、真澄が描いた木の絵がガラスケースに展示されていて、エコロジカルな見方が深まっていくような構成になっています。ここで、ちょうど長坂さんが近年取り組んできた植物をめぐる主題へと接続されていくわけですね。今回の新作となった長坂さんの映像作品には、生きたまま出来島海岸の地層の中に埋め込まれてしまった「埋没林」の、非常に鮮やかな光景が映っています。酸化も腐敗もせずに水没した、3万年前の森の姿です。それまではゆっくりしたペースで発達してきた森の生態系に、突如土砂崩れという急激な変化が起こったことによって、最終氷期の針葉樹が奇跡的に残りました。また、1万3000年前頃に氷河が溶けて海が陸地へと進出すると、かつてそこにあった森の植生が、別の場所へ移動していくことになります。人間のスケールを超えた植生の移動という主題が、ここに鮮やかに立ち上がってきます。

長坂さんの作品は、こんなふうに3万年ほどの時間をめぐる壮大な時間と、植物という人間ではない存在の「移動」を浮かび上がらせてくれるものでした。この作品について、お話しいただけますでしょうか?

人間だけではなく、生きものにとっての
「移動」と「定住」。その狭間で

長坂:リサーチを通して収集した情報は結構無機質というか、そんなに個人的なものではないんです。それをもっと鑑賞者に近いものとして届けるためにはどうしたらいいのかと思うと、やはり知識とか、見解とか、目線とかは実際の生身の人との接点によってもたらされるものだという考えに至りました。実際に複数の科学者の方たちにお会いしましたが、一人の人物が語るほうが情報を届ける上では効果的なのではないかと思いました。もうひとつ、本当は埋もれた森に語ってほしかったというのがあるんです。だけど、それはあまりにも超自然的というか、SFじみた感じになってしまって。そこで私たちが持っていない知識をもたらしてくれる誰かという意味での科学者という存在を、私が物語の中でつくり出しました。この存在は埋没林の語り部みたいなもので、彼はこの埋没林に魅せられたからこそこの場所に定住し、ずっとこの場所を通して他の場所とか、違う時代のことを考えている。そういう意味では私の中ではこの科学者と埋もれた森は一体化した存在になっています。

かつてあった森の移動を物語るビデオプロジェクション

石倉:とても面白いですね。科学によって地形を深く読み解き、芸術によって埋もれている物語を読み解いていく。例えば3万年前に森があったという場所でアーティストと科学者が対話することによって、遠く離れた時代の現実が目の前に蘇り、現代的な科学と芸術の間に、何か新しい領域が浮かび上がってくるような印象をもちました。

例えば、寒冷期の日本海沿岸部にあった植物群は、気候環境が急激に温暖湿潤に移り変わっていったときに、実や種を鳥とか風、昆虫、動物たちに運んでもらうといった内容も語られていました。動物のように自分の意思で動いていくだけではなくて、実は気候や異種との関係によって移動していく生物も存在している。長坂さんの中には、そのような、人間ではないものたちの移動についての関心があったのでしょうか?

長坂:そうですね。多分いろいろなこととのつながりがあるのですが、考えられることが3つぐらいあります。1つ目の展覧会で菅江真澄さんの木について考えて、そのつながりで森とか、そこに住んでいる生きものという意味で自然や植物について考えていったという流れがありました。菅江真澄さんの目線とか、彼の姿勢を自分の中に取り入れたいと思って木を写した経験を通して、菅江真澄さんはマルチスピーシーズという、人間だけではなくいろいろな種が一緒に生きているという考えや宇宙観をもともと持っていたのではないかという感覚がありました。木は根を張るという意味では定着や定住というイメージがあるのですが、実は移動するという意外性など今まで気付かなかった点に光が当てられるのではないかというのもありました。

これは私の中でまだはっきりしていないことなのですが、人間の移動や定住を考えるときは自由とか不自由ということとつながっている気がします。自分の意志で移動しますとか、もしくは国の権力や紛争があって移動しなければいけないとか。移動できませんというのは、自由がない、不自由ということにつながります。それはすごく人間の社会的な話な気がします。そうではなくて生きものとして、どういう移動と定着があるのかなと考えたときに、人間だけではなく木とか動物を含めた生きものを通して考えてみたいと思いました。まだ私も言葉にしてうまく話せないのですが、そういう混じり合った状況と感情があったときに出来島海岸の埋没林に出会い、これでいこうと思ったというところですね。

石倉:人間以外の生きものとの関係を問う長坂さんの表現が新鮮でした。北東北では3万年以上の歴史を超えて、森の風景に大きな自然史的ドラマが起こっています。そして、この時代には既に人間が暮らしていたわけですよね。ですから、実は旧石器時代に生じた大変化の時期にも、縄文時代に起こった気候変動の変化にも、当時の東北の住民は立ち会っていたかもしれない。それを考えるとすごく不思議です。長坂さんの作品には人間の声だからこそ感じられる、そうした想像力の厚みが宿っています。人間ではないものの移動を扱っていながら、「人」を感じさせるというか、とてもパーソナルな次元で鑑賞者に語り掛けてくる親密な作品だと思いました。