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鮮烈な色彩が語る記憶。BIYONG POINTで 南林いづみ作品展「ハミング」

「記憶」をテーマに鮮烈な色彩で風景や草花を描く南林いづみ作品展「ハミング」が、秋田公立美術大学のギャラリースペース「BIYONG POINT」で始まりました。ビジュアルアーツ専攻に在籍する南林さんの油彩画、ドローイング、銅版画などを展示する作品展のオープニングトークをレポートします。

BIYONG POINTで始まった南林いづみ作品展「ハミング」では、ビジュアルアーツ専攻4年に在籍する南林さんの油彩画、ドローイング、銅版画など6作品を展示。会場に入った瞬間、あふれ出るように芳醇な色彩が現れます。

「制作したのは、風景やイメージと記憶との関係。忘れること、思い出すこと、繰り返すことから発生する風景やその発展」と語る南林さんが構成した大画面は、鮮烈な色彩の草花で埋めつくされています。一方、自らのイメージから生まれたという一人の男を描いた銅版画の連作は、不穏な気配を漂わせます。

初日である6月16日には、南林さんと秋田公立美術大学大学院・岡添瑠子さん(複合芸術研究科複合芸術専攻助手)によるオープニングトークが開かれました。記憶と色彩が織りなす世界観を語ったトークの模様をレポートします。

南林いづみ作品展「ハミング」オープニングトーク

ただ手を動かすことが、草花を描くモチベーション

岡添 最初に見て色のヴィヴィッドさに圧倒され、トロピカルな色に魅了されました。二次元と三次元の間を行き来するような作品。きれいなのだけれど、匂い立つような色の強烈さがちょっと怖い感じで、ともすれば死を浮き立たせるような印象を受けました。すごく形式化された花なのに、実物のように細かい部分が写実的であるかのようにも見えます。絵の具が汚く混ざっていない、クリアさが保たれていることも印象的でした。

南林 描くモチベーションは、テーマを設定するのではなく「画面を埋める」「手を動かす」「油絵の具をのせる」という作業に置かれています。そのモチベーションを満たすきっかけとして描き始めた花が、自分の手からどんどん発展して、いつの間にか作品として見てもらえる形になった。モチベーションはただ手を動かすことだけで、きっかけもほぼそれです。

岡添 そもそも花をモチーフにしようと思ったのはなぜですか?

南林 生まれ育った長野県の田舎では、植物に囲まれて遊んでいました。母は庭仕事が好きで、身の回りに花があふれていた。何気に見てきたということもあって、それが引き出しとして自分の中にあったような感じです。順番は逆かもしれないですが、花の絵を描くようになってから、身の回りの花をよく見るようになりました。花の形や花びら、どれくらい描き込むかといったことは自分の中からレパートリーとして出てきますが、ディテールが足りていない部分はその場で見る。それを繰り返す中で、大枠の形のレパートリーとディテールの形のレパートリーがどんどん重なってくるようになった。実在している花とは構造的には違っている花、みたいな感覚になるかと思います。

《3つのトロピカル(二つのトロピカルと一つの池のあるトロピカル)》

岡添 アトリエを訪ねたら、座って黙々と描いていて。でも離れて見ると統一感があって、色のバランスが取られている。

南林 描き方としては、薄い黄色で下の方からぶわっと線画のように描いてから塗っていきます。下の方から上にいって、もう一度塗るときには、何の花をイメージして描いていたかを忘れてしまうこともある。そういう時はディテールの様子を見たりして、色をその場その場で決めてく。キャンバスにすごく近い距離に立って描いているので、実在の花というよりは、この花の隣なら水色というような決め方で、たまに引いてバランスを見て色を決めています。

思いながら描いたのではなく、描いていて思い出した記憶

岡添 透明感のある絵の具での描き方について教えてください。

南林 キャンバスでは研磨に耐えられないこともあって、パネルを使っています。下地は地塗り材を何層も塗って研磨していて、画面はかなりすべすべで絵の具が染み込みづらい、乗りづらい状態にしています。その上に柔らかい筆で描くと絵の具の動いた跡がヌルッと残るので、それをより見やすくするために透明感の強い絵の具、ドロッとした質感や艶の出るオイルを使って描いています。絵の具の質感と透明感が両立できるように、あまり複雑な混色はしないようにして。

過去に自分が見たものの集積から引き出してくるというのが、シンプルに記憶というものとつながるのではないかと。ちょっと暗い、怖いイメージといった印象は、指摘されて初めて気づきました。そう気づいてから考えてみると、植物をぎっちり描いて画面を埋めること、カラフルな花を描くことについては過去の記憶に思い当たることがいくつかあります。

岡添 描いていくうちに記憶と結びつくのは必ずしも花や植物の記憶ではなくて、全く別のもの。

南林 小学生の時、通学路の近道に竹藪があって、それはすごい密度で竹が生えている細い道で。普段はトンネルのように楽しく通っていたのが、ある日、突然怖くなって走って転びながら抜けて、泣きながら家に帰った記憶があります。

それと、高校生の時に自転車で学校に通っている途中で甘い匂いのようなものがして、それが花屋さんの匂いだと思って辺りを見まわしたら、道の真ん中で猫がひかれて死んでいたっていう。花の香りと、そういうネガティブではないけれども、ちょっと強烈なイメージがつながったということが過去にあって。それを思いながら描いていたというのではなくて、描いていて思い出したという感じです。

ビジュアルアーツ専攻4年に在籍する南林いづみさん
《誰かの庭で殺しがあった》

岡添 突拍子もないものが、目だけではなく気配や匂いによって、いろいろな感覚と結びついたりする。誰でもそういう体験があるのではないでしょうか。

南林 体感覚みたいな。昔聴いていた音楽を久しぶりに聴いたら、中学校から歩いて帰っていた時の感覚的な距離感みたいなものが思い出される瞬間があって。それぐらい掴みどころのない、すごく感覚的な記憶、情報がふっと戻ってくるというようなことが描いていた時に多かったような気がします。

岡添 それがタイトルの「ハミング」につながっていくんですね。

南林 それぞれ種類は違っても、花、植物という括りのものを反復していくということに変わりはないと思っていて。ひとつの絵を完成させるというのではなく、同じモチーフを何度も繰り返し、描き続ける作業。その中で思い出された感覚が、花の中にどんどん貼りついていくような感じです。それを反復していくうちに、全く違うものになる。自分が過ごしてきた時間の長いフェーズみたいなものが画面に貼りついていく。

それは、歌詞なんて忘れた歌を何となく思い出して歌うような。昔、母が台所で歌っていたけれど、私にとっては歌詞も知らない歌を今の私がハミングできるような。繰り返していくうちに形は変わっても、懐かしさを失わないハミングの性質と通じるものがあると感じています。

《シャイニングトロピカル》(秋田空港スタンバイスクリーン再現作品)
《はかでおどる》

名前は知らないし、話したこともない。でもいつも私のそばにいる

南林 銅版画には今回初めて取り組みました。銅版画とモチーフがかみ合ったところがあって、記憶というテーマとのつながりを感じて制作しました。

岡添 これらはすべて同じ男の人ですよね。すごく気になるのですが、どういう人なのでしょうか。

南林 高校生くらいにはまっていたアメコミの登場人物のイメージとか、映画に出てきた人物が重なり合って状態を変えながら描き続けているモチーフです。最近はマーカーやサインペンでほぼ一筆書きのように輪郭をとることが増えました。このモチーフについては絶対守られている条件があって。コートを着ている男性で、何をしているか分からない状態で、銃のような攻撃できるものを隠し持っているキャラクターです。

岡添 ヒーローじゃないし、普通のおじさんにも見える。友達みたいな感じですか?悪役だけれど、実はいい人のような。

南林 このキャラクターは、自分に対して全然フレンドリーではない。名前は知らないし、話したこともない。声はちょっと聞いたことあるかもぐらいな感じ。いつもどこかですれ違うぐらいの距離感で、友達ではなく、何をしてくるか分からない謎の人。その時々に性質を変えつつも、いつも自分のそばにいる。

岡添 南林さんのその時々の体調や感情の揺れによって、キャラクターが変わったりする感じですか?

南林 それが版画にした理由で、鮮明なイメージがなくなっていくことに友達が死んでしまうような危機感があって、写真みたいなものが欲しかった。ドローイングでは心許なくて、銅板なら原盤が残るので写真のネガが残るような安心感がありました。《誰かの庭で殺しがあった》に登場するのもこの人。庭の柵を挟んで目が合ってしまった。あの人が殺しをしたのかは分からないけれど、とにかく目が合った。

咀嚼することで、内的、外的イメージの交換が頻繁に起こっている

岡添 絵画と銅版画の作品が南林さんの個人的な記憶や個人的なイメージにまつわるものとすれば、ドローイングはもうちょっと社会的、公的な記憶がテーマになっていますね。

南林 《トゥールスレン》のモチーフになっているのは、カンボジアのトゥールスレン虐殺博物館に展示されている写真です。内戦時に収容された一般市民の記録写真として撮られたものです。2年の時に初めて行って写真を見て、違和感というか、しこりが残った状態で帰国してその後、再び訪問しました。ドローイングしながら2,000枚を超える写真を見ていると、犠牲者として展示されている空間に違和感を覚えたことが分かってきた。カメラを見つめる視線や印象がひとりひとり違って、そのリアクションが生きてきた時間をぐっと集約したように見えた。生きてきた人なのに犠牲者として貼られている。しかも大勢で。人生というほど具体的ではないけれど、その人の歴史みたいなものが感じられました。

ドローイングの中に一枚だけ銅版画があります。それは犠牲者の写真ではなく、その場所で音声ガイドを配るアルバイトをしていた16歳くらい男の子。何日も通っていたら、その子が英語で「最近、毎日見ますね」と言ってくれた。さわやかでリアルな生活感をくしくも最終日に受けて。男の子が私に話しかけてくれなければ、展示するほど自分にとって特別な個人個人にはならなかったのではないかと思います。

岡添 南林さんの作品には、内的なイメージと外的に見ているイメージとの相互作用、対立ではなく、補完しあっている緊張感が見られると思いました。だから作品を見ている人も、自分の中の記憶の像と結びつけながら見ているような印象があります。

南林 どの作品も無意識的だけれど、外から見たものが自分の中で咀嚼されて出るというプロセスを踏んでいる。咀嚼時間が長かったせいで、イメージの原型がぐしゃぐしゃになっている。それが表に出てきた時に別の何かになっていて。内的、外的イメージの交換が頻繁に起こっているような気がしています。

岡添 最後にアイスブルーの池が出現しているのがとても印象的で、周りが鮮やかだから、ひんやりする。

南林 花や人といった動的なものに対して、静的なもの、温かい色味に対する冷たい色味といった重複するイメージを出すのに一役買っていると指摘していただいて、自分でも意識するようになりました。

岡添 この青を、これからどう作品が変化していくのかを予感させるものとして感じました。

《トゥールスレン》

Information

南林いづみ作品展「ハミング」

◼️会期:2018年6月16日(土)〜7月5日(木)9:00〜18:00(入場無料)
◼️会場:BIYONG POINT(ビヨンポイント)
(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
◼️企画・構成:南林いづみ
◼️協力:秋田公立美術大学、CNA秋田ケーブルテレビ、NPO法人アーツセンターあきた

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

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