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「おとし穴」はうつせるか 山本夏綺個展「●を↑↓←→に」トークイベントレポート

秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTで6月25日(日)まで開催した山本夏綺(同大大学院複合芸術研究科修士課程)による個展「●を↑↓←→に」。5月27日(土)にはゲストにデジタル写真論の視点から研究・執筆活動などを行う、きりとりめでる氏を迎えてトークイベントを行いました。

「モノ」のイメージをモチーフに、彫刻や音声テキストなどを組み合わせたインスタレーションの制作を行う山本の個展「●を↑↓←→に」。おとし穴を構造的に捉えることを試み、おとし穴によって隔てられた間に生まれた「作用」を、いくつかのオブジェと音声テキストを用いて表現しました。

5月27日には、デジタル写真論の視点から研究・執筆活動などを行う、きりとりめでる氏を招き、トークイベント『おとし穴を「うつす」』を開催しました。きりとりめでる氏が編集・発行する美術系同人誌「パンのパン」などのアートZINEや企画した展覧会などについて語ったほか、デジタルアーカイブとは何かについて伺った様子をレポートいたします。

写真を通してはかる価値

きりとりめでる:私は美術制作を行っている人と何かやる、またその人が何をやっているのかを文章に書くということをしてきました。1989年に鹿児島市に生まれ、現代美術のことは仕事にしたり、実際に見られたりするものだとは思っておらず、ツイッターとかインターネットの中で見るものだと思って生きていました。ですが仕事を辞めて京都市立芸術大学大学院へ進学して展覧会の企画や美術批評に関する同人誌を作ったりデジタル写真を研究していたりしたことが、現在の本になったり展覧会になったりという活動につながっています。

写真画像を見た時にどこかで見た気がするという思いがあるかないかということについて研究しています。SNSの投稿写真画像について、これはインスタグラムにありそう、これはツイッターにありそうなど、私たちは画像を見てプラットフォームの質感を感じ取っています。プラットフォームというのは透明で自由になんでも投稿できると思っているかもしれませんが、実は自由じゃないかもしれない。そのような研究をしています。

これまでの活動を紹介するきりとりめでる氏(右)

きりとりめでる:山本さんの「穴はうつせるか」という問いが、トークイベントの打ち合わせ時にイベントタイトルで突如投げかけられました。きっと色々なことを考えた結果のタイトルだと思います。撮影できるのか。撮影したいが記録がどういうふうに可能なのか。
現代は写真を中心として、物の価値をはかっています。観光地、食べ物、場所、人、さまざまなものを写真や短い動画を通して価値を瞬時に判断してたくさんの情報を取捨選択しているこの時代に、落とし穴というものの価値をどうやってはかるのかということを考えている人なのかなと思いました。

作品が物である限り、物理展示にも意味がある

きりとりめでる:展覧会企画もしているので、企画したものをいくつか紹介します。
ポスト・インターネットアート以降を探る展覧会「フィットネス .」。ポスト・インターネットアートとは2000年代後半から、2010年代半ばまであったと言われている言葉です。インターネット以降の芸術という意味で、いくつか解釈はありますがインターネットを前提とした芸術のことです。

ネットが生まれて、メディアの変化は生活にどのような影響を与えているか考えるべきだという主張がありました。国内ではあまり紹介されなかったこともあり、私はそういうことを考える作家が好きだったので紹介しようという意識で展覧会をしました。

きりとりめでる:ポストインターネットアートというのは、作品そのものを見るというよりも作品の記録写真を見て考える人が圧倒的に多いので、記録写真を大事にしようという動向でもあります。

最近だと2022年に東京駅の裏側と呼ばれるエリア、あまり開発がされてこなかったこのエリアに展示をする「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」をやりました。「ニューシナリオ」というネット上だけで展示をすると決めているベルリンの作家がいます。美術館は墓場だと言っているコレクティブです。展示をすればお金もかかる、ネットがありさえすれば世界中の人がいつまででも見られる、物理展示をしないということを標榜している人ですが、「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」では物理展示をしてもらいました。

彼らは2020年にチェルノブイリのエリアに行って展覧会をしています。展覧会と言っても、防護服を着てドローイングを置いてその場を写真に撮って行くのを繰り返し、その記録写真=展覧会としてネットで公開していました。このドローイングはどうなったかというと、その場においたら除染が必要な対象になって持ち出しができなくなってしまうので、チェルノブイリの現場にあるはずです。インターネット上では写真で作品がずっと見られます。この後ウクライナ侵攻が始まったので、まったくここが今どうなっているかは分からない状態になっています。

T3 Photo Festival Tokyo 2022 会場写真
ニューシナリオ《CHERNOBYL PAPERS》(2021)
http://newscenario.net/chernobyl-papers/(リンク先より作品をご覧いただけます)

きりとりめでる:私は物理展示の良い面も伝えたかった。展示の際、(「ニューシナリオ」の作品の)スクリーン裏に何を置いたかというと、机を置きました。仙台市在住の写真家で、かんのさゆりさんという作家がいます。2000年代の初期の頃から写真を撮ってネットで公開するということをしていました。(2011年の東日本大震災の)復興地域をずっと写真に撮ってきた人です。彼女もインターネットでずっと作品をアップロードしていて、物理展示もいいけど、そんな必要はないのではないかと考えてきた日本の作家です。

かんのさんは福島原発事故以降の復興住宅を撮っています。日本国内の人はチェルノブイリの作品を見た後、福島県の状況を考えます。(「ニューシナリオ」の作品を見た後)裏に行ったら、机があり、かんのさんの作品が置いてあるという状況にしました。

T3 Photo Festival Tokyo 2022 会場写真
かんのさゆり《パレード前夜》(2014-)

きりとりめでる:モニターに映る(かんのさんが撮影した写真の)住宅はハウスメーカーの住宅がほとんど。法的耐用年数から、日本の平均的な建売住宅は30年程度だといわれています。もちろんメンテナンス次第ですがそのため30年過ぎたら、その後震災があろうがなかろうが、家が消えていくという状況に日本全体になっていて、それが復興住宅でも同じような状況であるということを、ありありと伝える写真をかんのさんは撮影しています。

作家がどう思うかは分かりませんが、キュレーション的な強制でした。作家と交渉して、あなたの作品はこうだから、この作家さんと2組で展示をしたいんだといって、許可がもらえたらできる。ネット上の展示で可能になることはたくさんありますが、作品が物である限り可能な裏面や隣に置くなどの物理展示で意味が変わっていきます。

かんのさんも私も地方出身者という実存性があると思っています。だがネットにアップロードして見てもらえるかというとそうでもありません。現物展示でコストが掛かっているという状態になって、初めてネットでも見てもらえるということが身に染みています。でもネットを通して出会えたものがたくさんあったというのは忘れたくありません。

「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」はあまり認知度は高くありませんが、入場者数は43万人をカウントしています。カウントの仕方でそうなってしまうのかもしれません。屋外で写真やプリントを十分にコントロールできない状況で、こういう楽しみ方ができるんじゃないでしょうかという提案の気持ちもありました。 場所の使い方も写真だからこそできる自由さがあるのではないかと。ゆえに見にくる人も写真をとることが好きな人が多いので、それをまたネットにアップするのを楽しまれていました。

「その他全て」のアーカイブと
「物は残せない」デジタルアーカイブ

きりとりめでる:デジタルアーカイブについても話してほしいと要望をいただきました。アーカイブとデジタルアーカイブはどう違うのか。これは非常に面白いことだと思います。アーカイブとは、古くは公文書館の建物そのものと公文書を意味する言葉でした。どういうことが決まったか、だれがどのようなことを執行したか。そういう国や統治機関が残していたものを示すのがアーカイブの語源です。
美術については、初期の2010年ぐらいまでの議論のポイントとしては、アーカイブ/ミュージアム/ライブラリという分割だったと思います。ミュージアムは作品、ライブラリは書籍、アーカイブはそれ以外の全てに使うという割り切りが最初にありました。アーカイブというのはその他を扱うというのが最初に与えられた日本の中での意味でした。

その後、アーカイブとコレクションは違うという議論が湧き上がります。美術館で考えると、歴史を紡ぐために、残す・残さないという判断を美術館が行うのがコレクション。アーカイブはそれに対峙したものでコレクションとは別です。

私は個人的にアーカイブ原理主義者で、アーカイブというのは取捨選択をしないというのが倫理だという立場です。実際は全てを保存するのは無理。お金も時間も設備もない。全ては残せない。敗北感との戦いがアーカイブにはあります。

きりとりめでる:ここからデジタルアーカイブについて。アーカイブというのは全てを残そうという気持ちがどこかにあるのですが、デジタルアーカイブは「物は残せないかもしれない」ということが前提にあると私は思っています。
アーカイブで作品やSNSでの記録なども全て残そうとしていましたが、膨大にあり不可能でした。ずっと施設が持っておこうとやっていたのをできなくなってしまいました。

その記録を分散して共有財産とし、データベース上ではどこにあるか分かるという考え方と、もうデータを取ったからものは捨てようという考え方が議論の対象になったのがデジタルアーカイブだと思っています。
デジタルとなったときに何が発生するか。捨てるということのプライオリティがちょっと上がっています。

きりとりめでる:記録史料記述一般原則というのが決まっていて、これに準拠してデータベースを作るのが世界的なやり方になっています。大きくは「フォンド」「シリーズ」「ファイル」。
「フォンド」とは「山本夏綺コレクション」「なんとか収集物」とか、個人名や会社名、自治体名などが入っています。
「シリーズ」は年数年代や作品の形態、展覧会、方法などで区切られています。そのシリーズに対応する資料が「ファイル」になり、ファイルの中の個別の資料が「アイテム」です。

アーカイブにしてもデジタルアーカイブにしても、アイテム1枚1枚まで記録をとるのはかなり大変なので、フォンド、シリーズ、ファイルまでで留めておくデータベースをつくるのが基本的な目標です。データベースとしてはフォンドとシリーズを作れれば十分。体系をつくるというのがデータベースの大きな作業になってきます。

きりとりめでる氏とトークする山本夏綺氏(左)

おとし穴をアーカイブする

きりとりめでる:デジタルアーカイブの実践として、「穴をうつす」とはどういうことと類似するかを考えてみました。

ゲームのアーカイブに近いかなと思います。ゲームというのはビデオゲームとかゲームセンターに置いてあるもの。あれの保存の仕方と似ているかなと。パフォーマンスよりも、ゲームの方が近いと思った理由は「使う」という局面が穴には重要なのではないかと考えたから。ゲームやインタラクティブアート、例えばボタンを押したら何かが起こる相互作用性があるアートの知見を動員すると、穴はある意味うつせるといえます。

どういうふうにアーカイブをつくるか。(おとし穴をうつすには、)穴に「落ちる人」なのか、穴を「掘る人」なのかわからないですが、そういった様子を撮影するのが必須なのではないでしょうか。どのような穴だったのかというのは残す上では重要です。

記録可能なものとしての作品として、ポストインターネットアートを最初話していたと思いますが、それは記録写真を中心に作品のことを考える動向でもあります。作品そのものを見なくても、作品のことが伝わるようなものを作るという意味でもある。それが記録可能な作品だと私は思っています。
そして、それに山本さんは対置しているのかなと。 撮影不可能なものとしての穴というのを山本さんは考えているのかなと思いました。
レーザースキャンなど防空壕といった穴などにつかわれる計測機器がありますが、記録資料記述一般原則にすり合わせると、山本さんの行為というよりも、山本さんが穴を考えるときに、ここに埋めていってそこからもれる部分が山本さんにとって大事なのではないか、という憶測をしています。

山本夏綺個展「●を↑↓←→に」展示風景

きりとりめでる:私の研究の方法論でもあるのですが、ヴァナキュラー写真という考え方があります。日常のあらゆる写真の使い方をどのように人が忘れ去ってきて、どういうふうに研究したら残せるだろうかという記録の仕方についての研究です。簡単にいうと、身振りの記述をするのが私はポイントになっていると思います。

その写真をどこにどう置いているか。アルバムにとじているか。そのアルバムはどこに置いているか。環境の中に身体が入っていって、どう接するか接しないかということを記述することによってヴァナキュラー写真の特性が記述できるという考え方です。

作品写真はイメージ、展示の仕方を中心に論じたりするわけですが、ヴァナキュラー写真のやり方は身体性の問題を非常に重く受け止めるので、書き方が全く変わってきます。目に何が映ったかではなくて、どのように動いたかを記録する。もしかしたらそれが山本さんに役立つかもしれないと思いました。

山本夏綺個展「●を↑↓←→に」展示風景

展覧会評は身体から感じたことを

きりとりめでる:最後に、文章に書くという方法論について。わたしは去年展覧会評を中心に50本書いていました。私自身はヴァナキュラー写真の研究の仕方というのを作品の記述の仕方に応用しています。例えば展示室に入って何が最初に見えるかというものを書くためには身体がどうしても必要。歩いて入ってきましたという記述がないと書けないと思っています。

伝える同人誌「パンのパン」

きりとりめでる:2017年から「パンのパン」というZINE、同人誌をつくっています。同人誌といっても、1人で編集やデザインをしていて、最近はデザイナーさんにも依頼しています。美術に関する文章の同人誌です。

1号は山本悠という作家の特集です。彼は自分の作ったペインティングを無料で配るということをしている作家でした。30代前半の関東圏の作家間では話題でありつづけている人物ですが、どのように「いい」のかが中々言葉にできない作家でもあったと思います。ですが彼は2017年に美術をやめると言って、今はイラストレーターとして活躍しているし、名乗っている。それは山本作品について論じられなかった結果でもあるのではないかと思ったので、山本悠特集号を勝手に作って、山本作品やパフォーマンスがどういうものなのかを多角的に文章にしてZINEにするということをやりました。それが最初です。

きりとりめでる:(名前の由来は)1800年後半ぐらいのベルリンに「パン」という雑誌・芸術誌がありました。イラストと詩が書かれているもの。絵が載っている雑誌だと思ってもらえれば。

それを受けて日本で(明治時代末期の青年文芸・美術家が集まって)「パンの会」というのが始まります。ベルリンのパンを模しているが、やっていることは全然違っていてベルリンのパンの方は美的価値だけを追求するものから、発行人たちの変化に伴って次第に自然主義も入ってきます。それを受けた日本の「パンの会」はロマン主義的と位置づけられます。でも今の私からしたら、ここでの自然主義もロマン主義も全然しっくりはこない。 「パンのパン」は私は現代の形式主義の意味を考えようとしているけれど、後世の人からしたら全然そんなことはないんだろうなということを考えて「パン」と入れたかった。メタパンにしようと思っていたが、「メタ」はなんでもありになってしまう感じがするので、形容詞にしました。

ワクワクするZINE

山本:ZINEを作るのが好きだし、集めるのも好きです。フリーペーパーとか個人プレスのものはワクワクします。今回はZINEをいくつか持ってきました。

①あそびとつくりごと1「戯曲は作品であると東京の条件とそのほかの戯曲」

山本:2019年に東京都の北千住で開かれた連続レクチャー企画「形」に参加した時に購入した戯曲集です。戯曲も小劇場でISBNがついていないものが売られていたりします。こういう戯曲集もリトルプレスだと思っており、岸井大輔さんという劇作家がつくっています。
きりとりめでる:岸井さんは戯曲を作って、それが他の人にどんどん使われる、プレイされることを想定しているのでZINE性が高いですね。

②EA magazine

山本:東京芸大に当時在籍していたharu.さんという方が作っている「HIGH(er) magazine」というのを知って、ZINEというものを知りました。これもharu.さんが関わっているもので、フリーペーパーで置いてあったものです。NIKEが関わっているので、フリーペーパーとして配られているのではないでしょうか。ファッション雑誌のようにかっこいい写真もあるが、たまに抜けている感じのデザインも挟まってくるのが個人的に好き。内容も面白いのでおすすめです。

③ZONKED! ISSUE12

山本:フィンランドに半年留学していた時に現地のZINEを集めました。ファンZINEというタイプです。自分の好きなアーティストについて語るというやつで、1冊50セントで売っていました。文章量がすごい。最初から破れた状態で売っていました。謎なのが、途中でシリアに旅行に行った話が唐突に挟まること。それが面白いです。

④Helen Russell Brown : Plant-based cuisine for a painter’s studio

山本:作家のスタジオ写真があるけれど、中を開くと料理のレシピ本。スタジオで料理人を雇って制作の合間にご飯を食べているらしくて、その食べたご飯のレシピ本のようです。

⑤meet-meat! 

山本:自分で作ったマガジン、フリーペーパーです。食肉についての内容で、内臓肉などが気になって鹿角ホルモン、福岡もつ鍋を比べてみました。結局は繋がらずにひたすら旅の話をするというZINEになりました。

⑥石ZINE 

山本:これも自作。フィンランドにストーンサークル、史跡のような場所があります。自分の中でお気に入りです。丘の上の方に石が渦巻き状に置いてあります。そこで石に座って休憩している人がいる。座れる石と座れない石がある。リサーチで座れる石をまとめてみました。私が座って、写真を撮って、フロッタージュをして。石から見える風景を記録しました。 京都のお寺の石の結界のようなものをイメージして形作っています。

偶然、運命的な出会いこそZINEの魅力

きりとりめでる:山本さんにとってのZINEってなんでしょう?ここが私を掴んで離さないというか。

山本:個人の視点で書かれていることがぐっときます。あとは変な出会い方をするのがすごい好き。1個もオンラインで買ったものはなく、現地で買ったものばかり。行かないと買いません。今も欲しいZINEはありますが、オンラインで買えると分かっていても意地で買っていません。

きりとりめでる:山本さんのZINEとの出会い方は、リトルプレスよりもさらに人が手渡ししてくれるというところに魅せられているのですね。どこかにいってしまうかもしれないけれども、いけない本のような。手に取った人の運命性、偶然性を上げるというか。その延長線上にここにあり続ける、そして渡って戻ってくるというところが、心の中では大事になっている理由なのでしょうか。

撮影:草彅裕

トーク全文をご覧いただけます(PDF)

Profile 作家プロフィール

山本 夏綺 Natsuki Yamamoto

1999年愛知県生まれ。2021年Turku University of Applied Sciences(フィンランド)交換留学。2022年京都精華大学芸術学部立体造形専攻卒業。秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科修士課程在籍。
<主な展覧会>
2023年4月「#SP_RING_2023」アトリエももさだ(秋田、作家として参加)
2022年12月 「inner odyssey」尾形食堂(秋田)
2022年9月 グループ展「長ぐつとすべり台」アトリエももさだ 多目的ホール(秋田)
2021年8月 グループ展「Take it Out(ファストフードの見方)」サテライトスペースDemachi(京都)

Profile プロフィール

きりとりめでる Kiritorimederu

1989年生まれ。デジタル写真論の視点を中心に研究、企画、執筆を行なっている。2022年にはT3 PHOTO FESTIVAL TOKYOのゲストキュレーターをつとめる。著書に『インスタグラムと現代視覚文化論』(共編著、BNN新社、2018)がある。2023年には『パンのパン4(下)』を発行予定。AICA会員。

Information

山本夏綺個展「●を↑↓←→に」

山本夏綺 個展「●を↑↓←→に」DM(PDF)

■会期:2023年4月29日(土・祝)〜2023年6月25日(日)
    入場無料、会期中無休
■会場:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT
   (秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
■時間:9:00〜17:30
■主催:秋田公立美術大学
■協力:CNA秋田ケーブルテレビ
■企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた

■お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL.018-888-8137  E-mail bp@artscenter-akita.jp

※2022年度秋田公立美術大学「ビヨンセレクション」採択企画

Writer この記事を書いた人

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