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“structure of marriage” 「Structure3」(2019年、FINCH ARTS、京都)展示風景 Photo by Matsumi Takuya

ジェンダーのこと

:一番新しい発表は、12月の京都・FINCH ARTSでの個展ですね。それまではなんとなく、ジェンダーのことに触れないようにしていたのですが、一度やっておこうかなと思って。これは結婚の仕組みで、付き合ってセックスをして親と会って…

飯岡:これはカスタネットは何をしてるんですか?

:これは親に挨拶をしに行くっていう…。すごく単純なんです。これ以外の置き換え方が思いつかなかった。親に挨拶をすることが、自己紹介をするということ以上の意味合いや役割を持つということの意味について考えたいと思ったんです。

 

このシーンは戸籍の移動なんですけど、実質的に「家」が交差するということですよね。挨拶をしている空間ってすごく虚無だなと。日本の場合は筆頭者がいて、そこに配偶者と子供が入っていくという形で、結婚すると親の戸籍から外れて…というような。ただ、最近のジェンダーを巡る状況から強い反応があるかと思いきや、特に何か大きな反応があるわけでもなく…「すごく自意識過剰だった」みたいな感じになって。そんなに何も気にしなくて、淡々としたらいいんだって思ったんですね。扱うものとか場所とかやり方とか。

飯岡:必ずしも作品でジェンダーの問題を扱えば、フェミニズム的な問題に応答できるわけではないですしね。例えば、展覧会評(「エッシャー的眼球」 )のために木村友紀について調べていて、論を進めるきっかけのひとつになったのは、元々木村が1990年代にダムタイプらセクシャリティに対する問題意識のあるコミニティを共有しながら京都で活動していたオフィス「アートスケープ」の活動にボランティアとして参加し、写真やスライドを発表していたと知ったことでした。近年の作品の主題としてジェンダーが扱われることは少ないですが、写真の記号や意味を宙吊りにするという一貫した態度は元々、妊婦しているかのようにお腹を膨らませた少女の写真にバスケットボールを抱えた少女の写真を並べることで意味を打ち消すといったジェンダー的な問題意識と直結するものでした。結局、論の中で中心的には扱わなかったのですが、重要な経験となりました。つまり主題として性的なものを扱わなくても、何かを読み取らせること、読み取りを阻害することということ自体がセクシャリティや欲望の問題と関係することだと気づかされたのです。

パフォーマンスは、物質の身体性を見せるもの

飯岡:今後の構想はどのようなものがあるのでしょうか。この前話した時には、「コラボレーションをしたい」と言っていましたね。

:それはずっとしたいんですよ。

客席:展示じゃない形式はあり得るんですか?

:1日だけの公演としてやるのはいいなって思いますね。展示の形式にすると、何回もやらないといけなくなるので、公演という形式の方は合っているかもしれないとは思います。修復するのが大変で、そうするとだんだん直しやすい構造を作っちゃうんですよね。壊しちゃったらもう使えない構造じゃなくて、何回でもできる構造。状況に左右されるので、一回限りの公演の方が可能性はすごい広がる。

客席:装置と迎さんが動いてパフォーマンスする箇所との区別はどのように付けているのでしょうか。

:基本的に私は動力ですね。ただそれが拡張していってるところもあって。《アプローチ2.0(石油)》 (2015年)では、石油の誕生と採掘を扱っているんですけど、ここでは私がトンネルを掘っているんですね。場合によって違うんですけど、ここで私はトンネルを掘る重機とされています。屠畜の時は、完全に人。結婚のときは民法になっています。

《アプローチ2.0(石油)》 2015年

ただ、身体の身体性を見せるためのパフォーマンスではない。私はそれはしたくないんです。私の場合、パフォーマンスは物質の身体性を見せるものだと思っています。人間も人間という物質、道具。自由に動く装置の一個だと思っていて、物質自身が動けないところを私が動かすという位置付けです。

飯岡:展覧会で見せる時には、パフォーマンスが終わった後の残骸とパフォーマンスの記録という、二次的なものを見せている状態ですよね。結局、迎さんの探究の本体は「パフォーマンスという出来事」なので、それがラディカルで面白いところでもありますが、展覧会というフォーマットに載せるには工夫が必要になってしまう。実は一度、演劇関係の方から迎+飯岡でお声がけいただいて、立ち上がったまま止まっている「公演」企画があるのですが、機会があれば改めて可能性を探ってみたいですね。

鑑賞者の欲望とどう向き合うか

:次の展示予定は秋田県立近代美術館での「ARTS&ROUTES」 展なんですけど、菅江真澄にまだピンときていなくて…。そこにあまりにもフィットしていくのも変だなと思っていて、どういうアプローチをするべきかなっていうのは悩んでいます。レジデンスへの自分の態度もまだ定まっていないし。

飯岡:以前話していたのは、レジデンスに行っても結局ローカルな場所の、例えばヘルシンキだったら林業の仕組みをリサーチして、それを装置とパフォーマンスとして発表することを求められているし、それに応えてしまうのがジレンマだと。

:作品のフォーマットが使いやすい。自分も使いやすいし、人も使いやすいので、そうすると制作がインスタントになってしまっていたんですね。色々な人と話した時に「今回は迎さんそういうテーマでやったのね」と了解されてしまう感じになってきているんじゃないかなと。そうやって消費されてしまうのが怖いと思ったんです。

飯岡:レジデンスや芸術祭などで世界中を旅するアーティスト像というものが見直されるべき時期にきているのかもしれないですよね。例えば私が迎さんのことを気にしていても、迎さんの世界中の展示は見ることができない。そうした中で、今日話していただいたような前の作品と次の作品の連続性はどのようにあるべきなのかということを考えます。

「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」では、設営の時に京都から品物が送られてきて、初日の私が集荷で不在の間に迎さんが手際良く全部組み立てているという…。

:いかにして制限された空間やお金を使って空間を構築するというのを考えたんです。輸送ってすごくお金がかかるんだなということもこの時期にすごく実感していました。基本的に他の作品の形態も、自分の住んでいる場所からの距離と、使える設備とお金から決まる部分がありますね。

飯岡:このときの作品のテーマは「国債」でしたが、京都から東京に作品を展示しにいくというのも物流・金銭的な条件下にあるわけですよね。例えばアーティスト本人はレジデンス先にいかず、作品の輸送先で組み立ててもらうということもありえるかもしれない。必ずしも足を運ぶことが理解することではないということは、迎さんの作品が示していることでもあります。

また活動を知っている人という広い意味での鑑賞者の欲望とどういう風に向き合うか、ということも重要なのではないかと思います。初期の作品には「水蒸気の仕組み」について話したような鑑賞者の期待や欲望を浮き彫りにするスタイルがあって、それが人々を惹きつけていたのではないかなと。

:そうですね。ここで最近の興味を語っても、多分すぐに変わるのであんまり意味がないというのが本音です。やれるところはめっちゃ残ってるし、そこをちゃんと掘るべきだなと思っています。もっと私の持っている形式の中で足掻いてもいいんだなという気持ちです。

Profile

迎 英里子
1990年兵庫県生まれ。2015年京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻彫刻修了。屠畜や原子核分裂、国債の仕組みなど世の中にある様々な現象をモチーフとし、その仕組を可視化した装置を使ったパフォーマンス作品を制作する。主な展覧会に「HIAP OPEN STUDIOS」(Gallery August、ヘルシンキ、2018年)、「OPEN SITE2017-2018 不純物と免疫」(TOKAS本郷、2017年)、「ALLNIGHT HAPS 2017前期 日々のたくわえ#3 アプローチ0.1」(HAPS、2017年)、「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKOYUKI・駒込倉庫、2016年)など。秋田公立美術大学助手。http://mukaieriko.com/

Profile

飯岡 陸
キュレーター。1992年生まれ。主な企画展に、2016年「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKOYUKI・駒込倉庫、東京)、2017年「太陽光と…」(テラス計画、札幌)、「渡邊庸平:猫の肌理、雲が裏返る光」(駒込倉庫、東京)、2019年「凍りつく窓:生活と芸術」(CAGE GALLERY、東京)。http://turtle-c.com/

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