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【未来の生活を考えるスクール】 第2回レポート「個性と多様性とー自由にふるまい表現することー」

【#秋田市文化創造館プレ事業】
新しい知識・視点に出会い、今よりちょっと先の生活について考える
「未来の生活を考えるスクール」(全4回)。
第2回は、「個性と多様性と―自由にふるまい表現すること―」。

子どもや障がいを持つ人をはじめ多様な個性を持つ人々が自由にふるまい表現できる場所を、デザインし、生み出してきた活動をふり返りながら、コミュニケーションの方法を見つめ直しました。
ゲストは、静岡を拠点にアートディレクションや場づくりの実践を行う(株)大と小とレフ取締役で、静岡県文化プログラムのコーディネーターもつとめる鈴木一郎太氏と、アーティストとして全国各地の人々と関わることをテーマにプロジェクトを展開しながら、子どもたちが自ら考え行動し、創造力を養うカマクラ図工室に見守り師として参加する柚木恵介氏。第2部のトークセッションの進行は、アートプロデューサーでもあるNPO法人アーツセンターあきたのディレクター橋本誠がつとめました。

※「未来の生活を考えるスクール」は、「秋田市文化創造館」プレ事業〝乾杯ノ練習〟の一環です(秋田市委託事業)。詳しくは#乾杯ノ練習

鈴木一郎太 Ichirota Suzuki(写真右 (株)大と小とレフ取締役)
静岡県浜松生まれ。20代をアーティストとしてロンドンで過ごしたのち、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツで障害福祉と社会をつなぐ文化事業に携わる。その後、ソフト企画からハード設計までを扱う(株)大と小とレフを立上げ、文化、福祉、まちづくりなどの分野において、主体者の思いを整理し未来を見出す手助けをしている。 静岡県文化プログラム・コーディネーター、NPO法人こえとことばとこころの部屋理事。

柚木恵介 Keisuke Yunoki (写真左 アーティスト、秋田公立美術大学准教授・つくりかたつどいかたデザイン)
1978年生まれ。東京藝術大学デザイン科修了。インテリアデザイナーを経て、東京藝術大学、法政大学にて勤務後、2019年から現在秋田公立美術大学ものづくりデザイン専攻准教授として在籍。その土地に定期的に通い、人々と関わることをテーマとしたプロジェクトを展開。「島の家プロジェクト」「小豆島高校おみやげクラブ」などの瀬戸内国際芸術祭(2013)への参加をはじめ、「物々交換プロジェクト at タイ+だいご」(2015)、「物々交換プロジェクト at KENPOKU」(茨城県、2016)など、全国各地に活動の場を広げている。

橋本誠 Makoto Hashimoto (写真中央 NPO法人アーツセンターあきたディレクター、アートプロデューサー)
1981年東京都生まれ。横浜国立大学教育人間科学部卒業後、フリーランス、東京文化発信プロジェクト室(現・アーツカウンシル東京)を経て2014年に一般社団法人ノマドプロダクションを設立。2020年よりNPO法人アーツセンターあきたディレクター。多様化する芸術文化活動と現代社会をつなぐ企画に制作・広報・記録など様々な立場で携わる。KOTOBUKIクリエイティブアクション(横浜・寿町エリア/2008~)、生活と表現(東京・台東区/2015〜)。EDIT LOCAL LABORATORY アートプロジェクトラボ(2019〜)など。共著に「これからのアートマネジメント」(フィルムアート/2011)。

ポートレイト:草彅裕

【第1部】鈴木一郎太氏と柚木恵介氏によるプレゼンテーション

●すごく好きなプロジェクト「こどもはなうたコンテスト」

鈴木 鈴木一郎太と申します。今日はよろしくお願いします。さっそくですが自己紹介替わりに、自分は一切関わってないけれど、すごく好きな企画を最初に紹介させていただこうと思います。

「こどもはなうたコンテスト」という、岐阜県安八郡の企業が実施されている企画なのですが、スマホなどで子どもたちの「はなうた(鼻歌)」を録音した作品を募集・審査して賞を決めるプロジェクトです。審査で優劣をつけるわけではなく、ただ大賞だけは必ず決める。それ以外は「いい声だったで賞」という感じ。

このコンテストは既存の曲を歌うのではなく、オリジナルの楽曲であることが応募条件で、グランプリになると審査を担当する「あいのてさん」という音楽家のグループが伴奏をつけてくれるそうです。

全然テンポが違う曲なのですが、実は2013年、2014年と同じ子が優勝しています。審査は名前などの情報を伏せて行ないます。ちなみにこの子は連続でグランプリをとって殿堂入りをしたと聞きました。

私はこの企画がとても好きなんです。単純に「子どものはなうたって面白い」ということもありますが、これを主催しているのが昭和技研株式会社という産業廃棄物処理業者です。業務として、もう誰も住まなくなった廃屋の片付けをしたり、一人で住んでいて亡くなられてしまった方の家の片付けをしたり、そこから発展して「おもひでや」という部署を立ち上げて、思い出にまつわるさまざまなプロモーション活動をされています。

例えば、おばあさんが大事にしていた桐のタンスがあって、大きいし、もう着物も着なくなっているし、大事にしていたけれどもさすがに残すのは大変だということで、そのタンスを材料にしてミニチュアの桐ダンスを作ってプレゼントする。あるいは亡くなった方の生涯の話を聞いてそれを漫画にしてのこす。その一環として「“おもひでを閉じ込める”コンテスト」という名前で始まったのが、この「はなうたコンテスト」で、2018年まで開催されていました。この事業を行なっているのが産廃業者さんで、思い出を自分たちが扱っているから、その思い出を大事にするという主旨の企画の立ち上がり方に筋が通っていて、そこが一番好きな理由なのです。

まだ一度も主催してる方々にお会いしたことがなくて、いつか会いに行きたいなと思っています。企業がCSR (Corporate Social Responsibility)事業として本業と違うことをするのではなく、自分たちの本業とちゃんと紐づいている。そういう筋道の通り方が好きです。

●「黒板とキッチン」というコミュニティスペース

ここからは自分がこれまでやってきたことを少しだけ紹介させていただきます。

高橋匡太さんというアーティストが、静岡市にある駿府城公園というもともとお城があった公園で制作した作品のディレクションをしました。

また「しょうらいのくらし」という、上智大学の笠原千絵先生や天理大学の森口弘美先生が「ケアの文化研究所」と共同で行なっていた調査事業の、成果物のデザインプロデュースや編集をしました。知的障害のある人と研究者が協働で取り組んだ研究になります。

静岡芸術劇場が毎年行なっている「ふじのくに⇄せかい演劇祭」では、2015年に鳥公園の西尾佳織さんと一緒に演劇作品をつくりました。

他にも、浜松市林業振興課が、東京のビックサイトで開催される展示会に出展する際ブースのデザインをしたり、「鳥取藝住祭」の実行委員会のWEBマガジン立ち上げに携わったり、長野の上田市では劇場付きのゲストハウスのリノベーションをやったり、大阪のココルームのゲストハウスの計画などを経験してきました。

冒頭で「場づくり」という名目のご紹介がありましたが、「黒板とキッチン」というコミュニティースペースの運営をかれこれ6、7年やっています。いろんな人が来てそれぞれ思い思いに過ごしていくような場なのですが、特に主催企画をやるわけではなく、とにかく場を開いていって、中学生がなぜかここのスペースの運営を職場体験しにきたり、それに便乗して普段出入りしている大人たちが一緒に食事会をしたり、あるいは子どものワークショップに申し込んでいる人がいたり、おにぎりの食べ比べの企画を持ち込んでいる人がいたり。

いろいろな人が自分の思いついた企画をどんどん試せるような場所です。

●出会うと思わなかったものと出会う

「黒板とキッチン」は、日常的には大学生以上の人が多い印象です。近所の学習塾の警備員の方がタバコを吸いに休み時間に来るようになって、そのうち忘年会にも来るようになりました。近所のさまざまな職業の人たちが集まってきて、さらに県外からもいろんな人が来たりするので、ここでは出会うと思わなかったものと出会うきっかけが生まれたらいいな、という思いがあります。「この場所は〇〇のスペースですよ」と明言すると、〇〇ファンの人は集まりやすいのですが、そういうことを言わずに、できるだけ色を付けずにスペースの運営をしています。

貸切はあまりできないようにしてあって、貸切よりは場所を譲りあい幾つかの活動が同時に起こるのが理想です。例えば「コミュニティナース」に関心がある看護師の人たちが奥でミーティングをしている一方で、手前では商店街の視察に来た内閣府の人たちを商店街の人たちが出迎えている。そんなふうに、できるだけ違う話が自然と耳に入ってくるような場所にできたらいいなと思っています。

amazonで買い物をすると、目当てのものを買うには便利なのだけれども、例えば街の本屋さんに行くと背表紙や表紙に惹かれて全然興味を持つと思わなかった本をパラパラめくりだして買ってしまう、とよく言われますよね。自分が興味あるものを選び取るのではなくて、たまたま出くわしてみることが物理的にできるような場所は、意図的に作っていかないと、今はなかなかそうならないのかなと思いながらこの場所を運営しています。

●偶然出会った人たちが新しい活動を始める確率を上げる

万年橋パークビルという立体駐車場のビルがあります。2階から8階までが駐車場で、上の方に住居があるビルなのですが、ちょっと変わっていて8階の駐車場は駐車場として機能させずにフリースペースになっています。7階には作業場のようなアトリエがあったりして、建物全体がいろんな人の活動の受け皿になっている。こちらも主催事業は極端に少なくて、多様な活動が基本持ち込みで行われている場所がこのビルです。

これが7階です。8階は本当にフリースペースで、なにもない。中心に古民家二間分が移築されていて、ちょっと見えづらいですが囲炉裏があって、実際に薪をくべて火もおこせます。この場所がいろんな活動の受け皿となって、いろんなタイプのものが出会いやすい状況になっている。そういう多様な状況が生まれることが担保されている。偶然そこで出会った人たちが何か別の活動を始めたりする確率が少し上げられている。確変が起こるようなイメージです。「オシャレなコンテンツを提供しますよ」と呼びかけるとそれを受け取りに人が集まりますが、何を提供しているかわかりにくい所にわざわざ足を踏み入れる人は、比較的前のめりで能動的な人が多く、そういう人たちが出会うと何かおもしろいことが生まれる。確証はできないけど、その確率は上げられるんじゃないかということでビル全体が動いています。

発達がゆっくりな子どもたちのケアをする療育施設にアーティストが関わる事業に携わり10年以上経ちます。基本的に子どもの育ちについては、子どもには自分自身で育っていく力がもちろんあるし、そこに親のサポートと先生のサポート、三者で関わっていきますが、例えば先生の研修にダンサーや作業療法士が関わったり、親子の関係のところに音楽家やアーティストが関わりワークショップを行なったりします。これは美術家の深澤孝史さんが2007年から13年まで月1回のワークショップを行なっている中から生まれた、「おべんとう画用紙」という企画です。お弁当の枠が印刷された画用紙を子どもたちに渡して絵を描いてもらい、その絵をもとにお母さんやお父さんが実際にお弁当を作るというものです。もともとお弁当を持ってくる施設ではないのですが、今は夏休みの恒例企画になっていて、毎年、年少さんが夏休みの間にやる宿題になっています。

これは、川口淳一さんという作業療法士の方が、父親参観会のコミュニケーションを円滑にする相談を受ける中から作られた「幸福度グラフ」というコミュニケーションツールです。ここの園長先生がよくおっしゃっていたことで「わたしたちは福祉しか知らない」と。皆さん福祉の仕事をしているし、今の若手だったら大学や専門学校で福祉の勉強をしてここに就職する人が多いなかで、子どもが育っていく環境や社会に出ていくときに、自分たちは福祉のプロ、養育のプロではあるけれども、社会をよく知っているわけではない。自分たちはそのことを自覚したうえで子どもたちに関わっていきたい。アートに限らずですが、さまざまな業界の専門家、プロとやり取りをしていくことで、自分たちの仕事やあり方を見直す機会が生まれるんじゃないか。そういう思いからこのアーティストたちとのプログラムを続けています。

障がいのある人、まったく関係ない一般の人、福祉職の人も参加する社会福祉法人ひかりの園の企画があります。

1講師につき2会場で行なうことにして、一方はアクセスの良い駅の周辺の会場で、もう1つはややアクセスは悪いけれども高齢者施設の多目的室を借りて開催しました。駅からアクセスが良い会場では10歳から63歳ぐらいまでの幅だったのが、高齢者施設では0歳から92歳まで参加者の幅ができました。

ケアの側にいる福祉職の人たちが、例えば障がいのある利用者を連れてきたりしていましたが、こういった場ではその利用者の姿が普段見ている姿と全然違ったと驚いて、これだけ多様な人が集まっている場は普段の生活の中にないので、そうした場における反応がとても面白かった、新鮮だったと。「自分たちは利用者のことを過小評価してたんじゃないかとすごく考えさせられた」という感想をいただきました。

●「やせたいひと〜!」

最後に、これは良いなと思った「声がけ」について。宮崎県日向市にある大人の障がいのある人たちの施設「風舎」の女性スタッフが、昼食後のエクササイズをするためにYouTubeなどでノリの良い曲を利用者と一緒に選んで、大きな音でかけて思い思いに踊ります。その際に「踊るよ〜!」ではなくて、大きな声で「やせたいひと~!」と声がけをしているところに出くわしました。それがとても良いなと。やせたいと思ってない人はやらなくて良い。この声がけはこうした施設で意外と聞かないなと思いました。「踊る時間だよ」「エクササイズの時間だよ」と言ってしまいがちですよね。なんなら手を引いて連れ出してしまったり。実際「やせたいひと~!」と言って、最初は若手の女性スタッフだけがはりきって踊っている状況でしたが、だんだんと何人かが立ち上がって参加する。もちろん、最後は全員が躍るなんていうことにはならない。これが多様性の話にどこまで関係しているかはわかりませんが、良い声がけだなと思ったので、最後に紹介させていただきます。

●旅する小学生募集してます

柚木 柚木恵介といいます。秋田公立美術大学で教員をしています。個人の活動として、小学生やさまざまな世代の人たちとワークショップやプロジェクトをしています。

その中で神奈川県の鎌倉の「カマクラ図工室」の話をさせていただきたいと思います。よく「カマクラ図工室というのは何をしているんですか」と聞かれることがありまして、一言ではなかなか説明できないのですが、カマクラ図工室は、「旅する小学生募集」というような形で、神奈川県鎌倉市と長野県の上田市で毎年合宿を行っています。

その時の写真の1枚です。カッパと呼ばれた「そう」くんという名前の子で、野生児です。

その合宿の募集要項に、カマクラ図工室をよく表していると思う序文があります。

「社会全体を図工室に見立て、人との出会いや活動場所、予定、食事、制作、話し合い等の出来事に至るまで子どもたちが自ら作ることを大切にしています。またそこに関わる大人は特別なお膳立てをしたり管理的な指導をしたりすることよりも、大人は大人の時間を過ごすこと。そして子ども達がやりたいことに没頭できる環境とともに安全に失敗できる環境を整えようと心掛けています。子ども達はこうした原っぱのようなぽっかり空いた時間と空間の中でさまざまな人・もの・ことと関わり合いながら絶えず自分を造形、解体、再構成し、ヴァージョンアップしながら自立に向かっていくと考えています」

こうした概念のもとに小学生たち、主に4、5、6年生の子たちが学校以外の場所で自分がやりたいことをやる。教育関係で働いている方々がいると反対の意見もあるかもしれないですが、学校って、「不自由を学ぶ場」というようなイメージがあります。同調するというか、みんなで同じものを作りましょう、目指しましょうという形で、集団を教育する環境があって、でも中にはそういうことが苦手な子もいたりします。

TVで「おかあさんといっしょ」を見ていると、輪に入らず後ろの壁に張り付いて傍観している子がたまにいて、そういう子を見かけると僕は観察します。いいなと思ってね。「みんなで一緒にやりましょう」というようなことに対して、一歩引いて俯瞰していたり、一緒にやりたくないと思っている、そういう子が自分がやりたいことをする場を学校の外に開いています。

●自分の力で生きることにチャレンジしたい子

「山の学校」という合宿では、まず子どもたちは神奈川県の鎌倉から長野県の上田市にある合宿場所までグループに分かれて、必要な荷物を背負って自力で行きます。

一応、「見守り師」と呼んでいる大人が各グループに1人ずつ付いて行きますが、基本的に「こっちだよ」とか「時間間に合わないよ」といったアドバイスは一切言わず、子どもたちが考えた計画に従って子どもたちだけで行かせます。

当然、目の前で乗るはずだった電車が行ってしまったり、全然違う方向に行ってしまったり、そういうこともよくあるのですが、それも自分たちの責任として任せています。

予定の時間よりも3時間、4時間と遅れて到着したりしますが想定内です。その後、献立や買い出し、調理をすべて自分たちで考えてやっていきます。大人は大人で別会計なので、大人達は計画的に食材を買って調理をして、決まった時間にご飯を食べていますが、子どもたちは遊びまくったりしたあげく、夜遅くなったりすると次の日起きられない。それも自分達のせいということで、完全につきはなしています。

常連の子たちは余裕をかまして食事を作っています。スーパーの場所も知っているし、キッチンの使い方も知っています。

先ほど学校では不自由を学ぶという話もしましたが、「何でもやっていいよ」「自由にしなさい」と学校で言われる機会ってあまりないですよね。逆に「こうしてはいけません」「この部屋は入ってはいけません」と、やってはいけないことをまず説明することが多いと思います。「電気のスイッチはどこだ」となったときに「ここだよ」と教えてあげるのは簡単ですし、それが優しさかもしれませんが、そこは「自分で探せばいい」と。一個ずつスイッチを探してつけてみたら、経験として分かる。そういったことをちゃんと自分で見つけてやりなさい、という方針です。それは手抜きではなくて、やってはいけないことも分かる年頃なので、そういったこと全て任せるよという形にしています。

この子はやんちゃな子です。自分たち曰く不良と言われているそうで、下ネタを言うのが得意でしたけど。この子は料理が得意で「まかせろ!」みたいな感じですごく塩味の濃い食事を毎回作るんです。「お前らの飯つくってやっからよ」みたいな感じで黙々と作っている。学校では成績が悪かったり不良と言われたりするかもしれないのですが、やっぱりこういう子が活躍する場があるんですね。それをみんなが認めて頼る。それが自然とできたりするんです。

カマクラ図工室参加基準として掲げているのが、「特別な教育サービスを望んでいないこと」「自分の力で生きることにチャレンジしたい子」。そういうことを強く最初に書いています。「保護者の方の思いを優先して申し込まれた場合は、お子さんの活動に必ず無理が生じてきます」。こういう場って「何かしてくれる」と望んでいる親御さんもいたりしますが、「そういうことではないですよ」と理解してくれた方に参加していただくようにしています。それでも、「そんなつもりじゃなかった」みたいな子がたまにはいます。ただ先輩であるとか、違う小学校の子たち同士で話し合いながら、だんだん変わっていくこともあったりします。

●やりたいことをシンプルにストレートにやってみる

この子達は、家出をしたいという願いを叶えるため、建物のオーナーにプレゼンをしました。

この時も見守り師は同じ部屋にいましたが、大人は関係ないので子どもだけで発表します。自分たちで考えたことを大人相手に発表する。当番を決めたり、風呂の順番を決めたり、いつも話し合っていることが多い気がします。これも我々から話し合いを促しているわけではないのですが、そうしないと進まないからということで自然とそうなります。

カマクラ図工室をやっていると、子どもたちが自分たちで考える意味を意識します。逆に言うと、大人の都合で一方的にカリキュラムを押し付けない。

例えば財布を落としたりするのは日常茶飯事で、4人も5人も落としたりします。それも我々見守り師は落ちた財布の写真を撮って、でも本人には言わない。電車の中で置き忘れたのを見かけても本人に言わない。そのままドアが閉まって運ばれていくとそのうち本人が気づいて、お金が無いから友達から借りたりしています。そういう貸し借りをするのも、子どもたちの責任のもとに行なうと、財布を落とした時にどうしたらいいかとか、財布はもう落とさないぞとか考えるようになる。警察に電話したり、交番に行くことも自分たちの意思でやっている。大事な切符をなくしてみたり、地元のスーパーで知らない人に突然説教されたり。

これはただ怒られてるわけではなくて、世間話からそのうち人生の話みたいになって、左の少年がおじいさんに人生の厳しさを教わっている時のシーンです。

JAの窓口で行き先の地図を書いてもらったり、猟師の方が鹿を解体する場に出会うこともありました。鹿の断末魔を見て、「かわいそう」って喉まで出かかっているけれど、言ってはいけない空気を感じたりする。この子たちはその後、さばいた鹿肉を持って帰ってきて、調理して食べていました。そういう学校では絶対味わえないことが起こります。居酒屋の焼き鳥のタレの作り方を教わりに行った子もいます。自分で作ったタレを店のおばちゃんに味見させて、材料について指導されたりする。

行きたい場所があったら道を行く人に聞けばいい。学校だとミッションは与えられがちなものですが、与えられることに慣れてしまう子や、大人が褒めてくれる目標を言う子が増えている気がします。そうではなくて、自分自身の体で見つけにいく。やりたいことをシンプルにストレートにやってみる。言葉で言うのは簡単なのですが、やっぱり突然「やりたいことは何か」と問われても、大人はいろんなものが邪魔してなかなか言えないものです。むしろ小学生の方がズバッと言える。「寝たい」とか「全力で泳ぎたい」とか。それをシンプルにやる。

ある子は、いつも他のメンバーにくっついて行動していました。ある朝、「君がやりたいことは何なの?」と聞いたら、「本当は釣りがしたい」と言うので、僕と一対一で行くことにしました。「バスで行ける、できるだけ遠いところに行く」ということで、炎天下の中、バスを乗り継いで隣の村や山の方まで行きました。山間の景色を見て、二股の道に当たったときに左の方が山の中に入って行ける気がするとか、地名を見てこっちの方が川がありそうとか、自分の意志で動くと感覚が研ぎ澄まされていく。

その後、目的地に着いて釣りをしていましたが、ずっと離れた場所から見ていたら、そこで高校生たちが遊んでいて、知らないうちに高校生とこの少年がやり取りしていました。後で聞いたら、餌がなくなってしまったのを見た高校生が「取ってあげるよ」と言ってくれたそうです。自発的に動くことによってそういう物語ができていく。

「熱があるところに物語が生まれる」。
これは森内康博さんという映画監督がカマクラ図工室の合宿に見守り師として参加したときに、ボソッと言った言葉です。

こういうことをできるだけ増やしたいと思って活動しています。

これは大学生が就活で求められる能力と言われているのですが、コミュニケーション能力、論理的思考力など、この5つを持つことを目指せと言われています。僕は全然そんなものは必要ないと思っていて、バランス感覚などよりも、主体的行動力だけがあれば人生なんとかなるのではないか、といつも思います。これがずば抜けていればずば抜けているほど、やりたいことを止められないみたいな人ほど、道が開けていくんじゃないかと思います。

●ぶつかった壁のことをよく調べる

例えばこれは僕が大学の講義で使うために書いたイメージです。
壁にぶつかった、辞めた、なかったことにしようという人は、多いと思います。それも否定はできないですし、誰だって生きていれば壁にぶつかるのですが、そこでその壁のことをよく調べたり、人に聞いたり、いろいろ作戦を考えることによって、いつだって破綻を乗り越えようとするときに新しい工夫みたいなものが生まれる。次の壁が現れてもまた別の乗り越える方法を考える。そういった繰り返しがクリエイションにつながっていくのかな、と思って活動しています。美術とかアートとかデザインの話の前に。僕はデザインの専攻にいますが、その前にそういった機会や場面が小さい頃にたくさんあってほしいなという願いがあります。

最後に、我々見守り師たちが共感した一節をご紹介します。NHKスペシャルで梅田明日佳くんという子の「ボクの自学ノート」という回があって、最後のシーンで生物学者の福岡伸一さんの『ルリボシカミキリの青』(文春文庫)という本が出てくるのですが、この本の序文にこういう言葉があります。

「調べる。言ってみる。確かめる。また調べる。可能性を考える。実験してみる。失われてしまったものに思いを馳せる。耳をすませる。目を凝らす。風に吹かれる。そのひとつひとつが、君に世界の記述のしかたを教える。
私はたまたま虫好きが嵩じて生物学者になったけれど、今、君が好きなことがそのまま職業に通じる必要は全くないんだ。大切なのは、なにかひとつ 好きなことがあること、そしてその好きなことが ずっと好きであり続けられることの旅程が、驚くほど豊かで、君を一瞬たりともあきさせることがないということ。そしてそれは静かに君を励ましつづける。最後の最後まで励ましつづける。」

僕はこの文章がとても好きで、梅田くんもお母さんも大好きなんですが、ちょっとウルッときてしまうんです。これを見ると、確かに僕も作ることが好きで、今ずっとやっぱり励まし続けられている気がして。僕が活動することで、子どもたちにもたくさんそういう機会が作れたらいいなぁと、淡い期待を持っています。そういったことを経験する子どもたちが少しでも増えると未来が少し面白くなるんじゃないか。ぜひそういった子たちが、将来美大にたくさん来てくれたら嬉しいなと思っています。

【第2部】3人によるトークセッション

●日常とは違うコミュニティを紡ぎ直す

橋本 ありがとうございました。カマクラ図工室を中心に子どものいろんな居場所、あり方についての話でした。「見守り師」という呼び方がカマクラ図工室のスタンスを明確に表しているわけですね。後は現役の先生達が中心になって作られたと。一郎太さんの方でもご自身のプロジェクトのお話がありましたけれども、共通していたと思うのが、日常でない場というか、もしかしたら昔はあったのかもしれないけれど、今はなくなってしまったような場とか機会とかコミュニティを、どう作り、紡ぎ直せるのかというようなことが見えまして、そのあたりをお2人に伺いたいと思います。その場がどういう人たちによって作られていくのか。

柚木 僕は、自分自身が作る作品とか物体にそういう「引き付ける力」はあまりないと思っています。そういうものは人を引き付ける力のある作家が作ればいいと思っていて、僕も昔は芸術祭などで頑張って作品を作ったりしていたのですが、ある時、実はそこの地域の人たちが面白いんだと思うようになりました。作品制作でチェーンソーを使って丸太を切っていたら、チェーンソーのツーストロークのエンジン音を聞いて何人か集まってくるんです。「チェーンソー使ってんのか」みたいな感じで。その人たちと世間話になって、そのうちに「何か飲むか」となっていって、偶然そういうことになったりすることが、作品を作っていることよりも面白くなってきてしまったんです。夢中で何かしているとそういう偶然が突然発生して、それを見逃さずについていく、断らないという感じです。

橋本 確かに私もアートプロジェクトの現場はよく行きますが、まさに先ほどの柚木さんのお話でも、子どもの主体的行動が一番大事で、そういう姿に惹きつけられると。それがいろんなことを誘発するという感覚は分かる気がしました。一郎太さんが見てきた現場ですと、どんな風景がありますか。確率を上げる話は面白かったです。でもそれを信じすぎてもいないスタンスが窺い知れましたが。

鈴木 普通に暮らしているだけでも偶然は多いですよね。例えば僕が今日ここで話をしていること自体も偶然の産物だと思うんです。アーツセンター あきたの藤本さんと5年前に彼女が学部生だったころに会っていて、覚えていてもらって、今回のテーマで呼んでいただいたので。言ってしまえば、生活の中で起こっていることなんてそんなことばかりな気もします。

柚木さんが言っていたみたいに、作品を作ってチェーンソーを動かしていたら、それにつられて地元の人が寄ってくる。そのチェーンソーを動かすとこの仕掛けはできるのかもしれませんよね。偶然の可能性を上げることの仕掛けとして、仕組むことができる場合もある。ただ漫然と毎日暮らしているよりは、何かちょっとフックを用意するみたいなことはできるんじゃないかなと思っています。

あとはその偶然起こったことの価値や面白さに気付けるか。気付かずにスルーしてしまうと別にいつも通りのことだったりする。ちょっと違うかもしれませんが、見守り師が見守っていないというか、ただ見ているだけだと。落とした財布の写真を撮っているのがいいですよね。そういう場の運営をしていると、本当にたまたまそこで出くわした人たちが何かを始めて、それが面白いことになっていたり、またはちょっと悲しいことになっていたりする。でもそのちょっとドラマチックなことに出くわした時に、その輪に自分は入っていなくて、ちょっと離れたところから遠目で見ている。そういうスタンスでいることが多いのですが、それは至福の時間だなと思います。僕の特技は見ることなんじゃないかとその時に思っていました。

橋本 カマクラ図工室は誰のために始まったのか、そのあたりをもう少し伺ってもいいですか。

柚木 僕は始まったときに参加していたわけではないので、もしかしたら語弊があるかもしれないですが、基本的には3人の小学校教諭、特にカマクラ図工室代表の高松という教諭がいて、最初ある男子生徒が運動会でみんなと一緒に行進しなければいけないのはなんでなのか、なんで一緒に踊ったり喜んだり悲しんだりしなきゃいけないのか、そういった疑問を感じていて、練習をボイコットした。当時、学校の改修工事があって、たまたま倉庫代わりになっていた図工室で絵を描いていていいぞと高松が言ったそうです。そこでボイコットとしての美術活動、レジスタンスが始まった。さらには彼の作品が凄まじく、それに賛同するクラスメイトたちが出てきて、その活動は「はみ出し部品」という名前のグループになった。それがきっかけになって、カマクラ図工室という場を学校の外に作ることになったという流れです。

その前から、その先生を中心に小学校で芸術祭(鎌倉なんとかナーレ2009、2020、2012)をやったり、いろいろそういう活動も後押しになったと思います。昔に比べ、親が学校に求めることも増え、学校だけで抱えられないことも非常に多いし、学校の外に行けばいくらでも自分が勉強できる場所もある。本当に究極の話になると学校に来なくたって自分の意思次第でいくらでも勉強できるわけなので。義務教育はちょっと置いておいて、そういった場所がもっと学校の外にもあるべきだという主旨はやっぱり今でもあります。

鈴木 以前、僕が仕事していた静岡の浜松市にある「認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ」で、「たけし文化センター」というコンセプトを作ったんです。僕だけで作ったんじゃなくて美術家の深澤孝史くんと一緒にスタッフとして仕事をしている中で、話をしながら作ったのですが、代表の息子が「たけし」という名前でした。重度の障がいがあるんだけれども、やりたいことがはっきりしているというか、石遊びが好きだから石遊びを1日中やっているみたいなところがあって、生活をスムーズに送るということを軸にすると大変なのですが、「やりたいことをやりきる」という点、アートとか文化とかのところではとても大事ですよね、そこに目を向けたら彼にかなう人はそうそういないわけです。

だから自分が熱意を持っていることに対してそれをちゃんとやりきることを軸に据えて、最初は場づくりで場の運営をしていたのですが、それがだんだん活動のコンセプトになっていって、その一人がやりたいことにちゃんと向き合えるかどうかはすごく大事だなと思いました。最初からいろんな人が乗れるような船を用意して、そこに向けていく作り方ではなくて、まず一人の人がやりたいことに向き合う。さっきの「はみ出し部品」のお話で、「運動会の練習をやりたくない」という思いにまず向き合っていくことで、それが他の人が乗れる船になっていく。そういう場所や機会の作り方がなかなか成されていかないので、もう少しそういう機会があってもいいんじゃないかと思います。よく、「みんな」って誰? という話になるのですが、「みんなのための」ということ自体、すごく難しいと分かりきっているので。

柚木 「大人が子どもに教えてあげなきゃいけない」というような価値観がそもそも変で、子どもたちの中での環世界があって、そこで成り立っている。その環世界には面白いこともそれぞれのキャラクターもあって、僕はそれを眺めている。お邪魔させてもらうという感覚です。例えば一般社会にも視力が弱い方もいれば、すごく背の高い人もいる。僕とは違う人たちがたくさんいて、みんなそれぞれの世界の見方がある。それを教育的とか福祉的な意思で「やってあげなきゃいけない」「教えてあげなきゃいけない」というふうに僕は捉えたくないので、先ほどの「たけし」の話もそうですが、違う見方をすると僕にはないその筋のエリートのように思えてくる。僕には無い世界の見方をしている人を観察すると、 世界がより面白く感じられると思っています。

Information

第2回「個性と多様性と-自由にふるまい表現すること-」

日時|2020年8月30日(日)14:00-16:15
ゲスト|鈴木一郎太((株)大と小とレフ取締役)、柚木恵介(アーティスト、秋田公立美術大学准教授・つくりかたつどいかたデザイン)
聞き手|橋本誠(NPO法人アーツセンターあきたディレクター、アートプロデューサー)
会場|YouTubeチャンネル Arts Center Akita
主催|秋田市

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