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OSを書き換えられた経験から、「もっと違うところで生きてもいい」と知った。ー アニメーション映像祭「Now Playing」招待作家インタビューVol.2 新井風愉 ー

秋田公立美術大学の開学10周年記念展に合わせ、サテライトセンターとギャラリーBIYONG POINTにて開催中のアニメーション映像祭「Now Playing」。会場では学生の短編アニメーション作品のほか、ご賛同いただいた映像作家・水尻自子、新井風愉 両氏の作品を特別上映しています。本展では、アニメーションを表現手段のひとつとする学生に向けて、両氏へのインタビューを実施しました。Vol.2は、TVCF、Webムービー、MVなどさまざまなジャンルで活躍する新井風愉氏のインタビューです。

CM、Webムービー、MVなどジャンルを問わず映像全般の演出を手掛ける映像作家・新井風愉さん。本展では、新井さん自身の身体を被写体として、コマ撮りの技法を駆使した《Stop and Move!》を特別上映しています。映像作家としての現在は、プリズムを見て不思議だなと思ったり、パラパラ漫画を描いたりしていた子どもの頃にベースがあったと語る新井さん。さらに、「もっと違うところで生きてもいい」という気づきをもらった学生時代の経験は、今、どう生きているのでしょうか。

興味があることは、とことん研究してしまう

―― 映像をやることになったのは、美大に映像学科があって、そこにしか入れなかったという偶然のような、巡り合わせのようなものがきっかけでした。映像学科に入ってみたら、そこは子どもの頃に漫画を描いていたり、切り絵にハマったり、音楽に打ち込んでいた経験を全て入れ込むことのできるメディアでした。それまでは、映画やドラマを見てぼんやりと、「映像ってこういうものかな」と、普通の高校生と同じようにしか思っていなくて。どういう人に適性があるのかは分かりませんが、映像やメディアアートっぽいものというのは何でも生きちゃうジャンルなので、いろいろなことに興味があって、本を読んだり、自分でいろいろやっているような人が向いているのかなと後から気づきました。

僕には、興味があることはとことん研究してしまう傾向があります。ある程度のところまで研究して、こういうことなのかと分かるところまでいかないと気が済まない。たとえば今は、オムレツを作るのにハマっています。やり始めてみたら、奥が深くて。11月から半年以上、毎日オムレツを作っていて結構うまくなりました。その日のコンディションでまるで違ったりするのが面白い。やり始めてしまうと行くところまで行かないと気持ち悪い、みたいな感じがあるので、興味があることはある程度のところまでなら技術的にもできるようになります。いろいろな能力を、まだらに持っている状態なんです。

作品の良し悪しはディテールに左右されるから
技術を身につけておくことは、力になる

―― 演出家というのは、自分ひとりでやってはいけない職種です。仕事を他の人に発注して、その人の力を引き出すことが求められます。その時、その技術について、概要を理解できているのはとても強い。大学で映像をやっていた時は、子どもの頃にパラパラ漫画を描いていた基礎的な技術がありつつ、実写を使ってアニメーション的に加工することをしていました。だから今、仕事を発注する時には何コマこういうコマを入れて、何コマこういう抜きのコマを入れてと細かいところまで指示が出せる。動きのなかで、どこがよくなくて、どういうつなぎにするといい、とか。そういうことをコマレベルで伝えられる。そこにはただアニメーションが好きな人と、アニメーションをつくったことがある人との差が出ます。作品の良し悪しはディテールにかなり左右されるから、細かいところを指摘できるぐらい技術を身につけておくというのは力になるんだという実感はありますね。

大学卒業後は映像制作会社ロボットにてディレクターとして活動し、フリーに。近年ではNHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」のオープニング映像が注目を集めました。国内外で数々の受賞歴を誇る新井さんですが、学生時代、「視野が狭かった」と思い知ったある体験がありました。それは自分の「OSを書き換えられたような体験」だったと振り返ります。

自分が思っていた常識レベルを超えて、
もっと広い視野で考えてもいい

―― 僕は映像のことなんて何も知らずに映像学科に入ったわけなんですけれども、映像というのは、映画やドラマのことだと思っている人がほとんどです。僕もそういう状態で入学しました。それが、大学に入って最初の頃、先生が古今東西のいろいろな実験映像のようなアニメーションを見せてくれる授業があって。映像の初期の頃、ノーマン・マクラーレンとかは何をやってもいいようなところから発想して、アニメーションやフィルムの技術や仕組みそのものを解体した。根本から解体して、自分なりにつくり直すような表現の仕方をしている人の作品を最初に見せてもらって、「自分はぜんぜん視野が狭かったな」と。さらに、そのつくり上げられたものというのが、現代の自分が見てもめちゃくちゃポップで分かりやすくて、普通に楽しめるものだったりすることにも衝撃を受けました。

大学で一番いい経験をしたことというのは、僕にとってはこういう、まったく思いもしなかった視野の広がり方をする経験をしたこと、それに尽きるかなと思います。「そこまで遡って、ぜんぜん違うふうに組み直してもいいんだ」というような。そういう、ものの見方のOSを書き換えられたような。自分が思いもしなかったような発想とか、こういう常識で生きてもいいんだとか。自分が思っていた常識レベルとはぜんぜん違う、広い視野でいろいろなことを考えていいという気づきをもらえました。大学1年の時に「もっと広い視野で考えていい」と知ることができたのは、とてもラッキーだったと思います。あの時にOSを書き換えられたことで、今までずっとやってきている感じですね。

自分で枠を捉え直していくのか
伝統的な手法を踏襲していくのか

―― 僕が学んだ映像学科は幅広い概念を扱っていて、写真やメディアアート、CG、インスタレーションと、いろいろなことを横断してやれる雰囲気もありました。学生はそのなかで、ある程度、写真なら写真と自分で枠を決めて制作していくことになります。自分で枠を捉え直して新たな表現方法をつくる方向でいくのか、それとも、伝統的な手法を使って表現していくのか。そういう、表現の枠を自分で決める難しさがあるなと思います。つまり、広い範囲のなかから自由に表現方法を選らんでよいとなると、自分で枠を設定する難しさがあるなと。

ジャンルを広い範囲から選べたほうか考える幅が広がる分、面白い表現になる可能性はあります。うまくいったら、そのほうがいい。しかし難しい。いわゆる専門学校等で何かを専門的に学ぶことと比べて、幅広い分野を横断的に扱う学校は、その点は大きく違うところだと思います。学生はそういう考え方を学ぶ気でいないと、もったいないかもしれません。とはいえ、そういう学校の空気のなかにいれば、そういう考え方は自然と身につくような気もします。
アニメだけを学んでアニメをつくる人の作品と、「別のことを学んでいた人がたまたまアニメをつくったらこうなりました」という作品を比べると、後者のほうが予想外の面白さは生まれやすいですよね。単純にどちらがよいとは言えませんが。美大で学ぶことの意味は、そういうところにあるかなと思います。

新井さんが学生時代に夢中になっていたのが、国内外で制作されたミュージックビデオでした。多くのビデオを見るなかで気づいたと語る、「面白いもの」と「面白くないもの」。そこには、どんな明白な違いがあるのでしょうか。そして新井さんは仕事のなかで、「面白いもの」であるようにどのようなことを心がけているのでしょうか。

明確なものを決めて、守ること
なんとなくでつくらないこと

―― 学生の頃はミュージックビデオが盛り上がっていたので、毎日何時間分も撮りためて選別し、データベース化していく作業を延々とやっていました。何千本ものビデオを見て手書きで記録していくという。たくさん見たなかでも、フランスのミシェル・ゴンドリーの作品は好きでしたね。この人がつくるものはだいたい面白い。そして、スパイク・ジョーンズやクリス・カニンガム。自分のビデオコレクションのなかからこの3人の選りすぐりを編集して自分用につくっていたら、その3〜4年後にまさにこの3人のDVDがあるところから発売されました。4年間集め続けた僕の苦労は何だったんだという気持ちと、ほら見ろという気持ちと。さらに10年後にはそれらがYouTubeで見られる時代になった。検索すれば、誰でも全部見れちゃうようになりました(笑)

当時、山ほどミュージックビデオを見てるうちに、面白くないビデオと面白いビデオの違いが、いつの間にかはっきり見えるようになっていました。面白いビデオは、本当に少ない。その特徴というのも結構はっきりしていて、核がしっかりあるということです。コアがきちんとあって、一本筋を通していて、最初から最後までそれを守って余計なことはしない。途中で変えたり、いらないものを加えたりしない。という、ある種のシンプルさです。そういうものって、意外と少なくて。抽象的で分かりづらいかもしれませんが、そういうものが面白いと思うんです。たとえばワンカットで撮るというのであれば、途中で止めたり別のカットを入れたりせずにやりきる。明快なコンセプトがあって、それをしっかり守って、そのコンセプトを補強する演出を入れていく。それが明確なものが面白いものだと、当時の僕は真理のように思っていました。その時の感覚は今も続いています。明確なものを決めて、それを守ること。なんとなくでつくらないこと。仕事などではどうしてもいろいろな都合がありますが、「条件」を逆手にとってコンセプトにしたり、「都合」の部分をうまくコンセプトのなかに入れ込む、という技も使いつつ、ぼんやりとしたものにならない努力をしています。

NHK Eテレのクリエイティブ・エイデュケーション番組「テクネ 映像の教室」において、「ストップモーション」のお題で制作した《Stop and Move!》。新井自身の身体を被写体として、1コマごとに少しずつ動いて撮影し、それを連続して再生することによって動きをつくるコマ撮りの技法で表現。

コマとコマの差分をテーマに、
コマ撮りとは何かを解明する

―― 《Stop and Move!》は、NHK Eテレの依頼でつくった作品です。コマ撮りをやったことのなかった僕に「コマ撮りで何かつくってください」というお題を出して、どういうものができるかを見るという企画。なので、コマ撮り(ストップモーション)とは何かを解明する気分でつくりました。コマ撮りであり、アニメーションであり、映像というものは、全部コマとコマの、1コマ目と2コマ目の差があることで動きが生じます。その差を脳が補完することで動きが生まれる。それをコンセプトにしました。
具体的には、1コマ目と2コマ目の差を大きくとると素早い動きができる。逆に、1コマ目と2コマ目でものの位置は変わらない。その代わり、そのものを支えている人の位置がどんどん変わると、位置が変わらないものだけが見えて、位置がどんどん変わる人が視界から消えていく、とか。アニメーションというより映像全般の話になっていくんですけれども、コマとコマの差分をテーマにして、いろいろな演出方法でそれを説明するようなコンセプトでつくりました。

ロトスコープという、実写の動きをなぞるアニメーションの手法があります。絵で描くのがロトスコープですが、コマ撮りで人間が演じるロトスコープも可能なんじゃないかと思ってつくったのが《Stop and Move!》です。ダンスができない人もダンスができて、高くジャンプできたりもして。この作品はそんなコンセプトでつくりましたが、ひとつ筋が通ったような、明確なものがあるようにつくりたいといつも心がけています。

Profile

映像作家

新井 風愉 Fuyu Arai

映像制作会社ロボットにてディレクターとして活動後、2016年よりフリー。TVCF、Webムービー、MVなどさまざまなジャンルで活動中。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門新人賞、ONE SHOWシルバー受賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバルCM部門クリスタルなど。 http://www.araifuyu.com

Information

秋田公立美術大学10周年記念アニメーション映像祭「Now Playing」

「Now Playing」(PDF)
「Now Playing」会場MAP(PDF)

●会期:2023年7月6日(木)〜8月7日(月) ※会期中無休
●会場:
秋田公立美術大学サテライトセンター(秋田市中通2-8-1フォンテAKITA6F) 開館時間:10:00〜18:50
秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内) 開館時間:9:00〜17:30
●入場:無料
●主催:秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた
●企画制作:NPO法人アーツセンターあきた
●協賛:TDK歴史みらい館、CNA秋田ケーブルテレビ
●協力:TDK歴史みらい館、CNA秋田ケーブルテレビ、インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル実行委員会、株式会社ゼロニウム
●助成:公益財団法人野村財団
●後援:秋田市、秋田市教育委員会、秋田魁新報社、朝日新聞秋田総局、毎日新聞秋田支局、読売新聞秋田支局、秋田経済新聞、NHK秋田放送局、ABS秋田放送、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

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