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想像のミュージアムの可能性
慶野結香 評「MINE EXPOSURES / 鉱山の露光」

2019.11.01

レクチャー形式を用いた「語り」のパフォーマンスを行う佐藤朋子。ドキュメントとフィクションを行き来して紡ぎ出したBIYONG POINTでの展覧会「MINE EXPOSURES / 鉱山の露光」を慶野結香(青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)学芸員)がレビューします。

繰り返される露光、想像のミュージアムの可能性

これまで、レクチャーパフォーマンスの上演を中心に活動してきた佐藤朋子が、レクチャーによる「語り」を核としながらも、展覧会というメディアを中心としたプロジェクトを手がけた。「閉山した鉱山に建設が計画されている、鉱山と映画にまつわる資料館について紹介します。 」フライヤーを見ても、展覧会に足を運んでも、レクチャーパフォーマンスを見ても、潔いよいほどまでに一つのシナリオに貫かれた展覧会である。

BIYONG POINT(CNA秋田ケーブル社屋内)で開催中の展覧会「MINE EXPOSURES / 鉱山の露光」

「資料館についての解説映像」として、この展覧会の重要な要素になっているレクチャーパフォーマンスは、展覧会のオープンに先駆けること約一ヶ月前の8月3日に、秋田県小坂町の康楽館で行われた。康楽館は、小坂鉱山の福利厚生施設として明治43(1910)年に建てられた芝居小屋で、この企画に格好の場所である。

レクチャーパフォーマンスでは、リサーチャーとして資料館の建設計画に参加しているという佐藤によって、その背景や目的について語られた後、三つの展示室に分けて、予定されている展示コンテンツの概要が語られる。「異界からの訪問者」、「労働や戦争の痕跡」、「個人の妄想世界」をテーマとする各展示室の概要が語られ、それぞれを象徴する無声映画である、バスター・キートンによる『The Haunted House』(1908年)、続けて『日露戦争実写』(1904年)が活動写真弁士の片岡一郎氏によって上演される。その後、クロージングの挨拶があり、第三の展示室を象徴する『カリガリ博士』(1920年)の上演で幕を下ろす。

康楽館(小坂町)で行った活動写真弁士との二人語り(写真:鄭伽倻)

展示室の構成からも分かるように、日本近代の鉱山開発の歴史が、無声映画が作られた約30年間の初期映画史に重ね合わせられ、この二つの流れが同時に孕んだ三つの要素が明示される。展示のコンテンツには、石炭や鉱石を得ることでより良い生活が得られるようになるコンピューターゲーム「マインクラフト」の中で、各展示室のテーマにオーバーラップするシーンや、尾去沢鉱山にまつわる伝説、鉱山開発の暗部である花岡事件を象徴する共楽館の跡地、花岡鉱山で精神を病み亡くなったドイツ人女性と彼女が身につけていた奇術という現実のエピソードが絡み合ってくる。

この資料館計画の発端として語られる、廃坑道から鉱山労働者のレクリエーションのために上演されていた無声映画のフィルムが発見されるという出来事は、実際にあっても決しておかしくない話である。加えて、ある出来事が伝説や事件、逸話として、写真のスライドと共に紹介されることで、資料館についての計画はまことしやかに聞こえてくる。

さらに言えば、レクチャーパフォーマンスにも今日様々な形態があるが、佐藤のシナリオをもとにした語り方は、ドイツ語における「講義(vorlesung)」の朗読する、読み聞かせるという形式に近い。約一世紀も前にマックス・ヴェーバーが『職業としての学問』において、聴衆が沈黙を強いられ、教師に耳を傾けなければならない講義形式における倫理観を説いたように、主観的な価値判断を排した淡々とした誠実さが、逆にこのフィクションの形式を揺るがす。

活動写真弁士・片岡一郎による語り(写真:鄭伽倻)

今回佐藤は、彼女のレクチャーパフォーマンスにおいてはじめて、プロの活動弁士による語りを作品中に引き入れている。日本の語りものの伝統と結びついた弁士という存在は、時として映像を恣意的に解釈し、観客にカタルシスをもたらすこともできる存在である。事実、本レクチャーパフォーマンス中でも『日露戦争実写』として上演される記録映像が、実際には日露戦争で行われたとされる戦闘の再現であるにも関わらず、当時の活動弁士によって、まるで日本が勝利を収める実際の戦闘シーンであるかのように語られる様が演じられた。そのような存在を通して、フィクションが事実として受容される、語りの作用が強調されているかのようだ。