繰り返される露光、想像のミュージアムの可能性
これまで、レクチャーパフォーマンスの上演を中心に活動してきた佐藤朋子が、レクチャーによる「語り」を核としながらも、展覧会というメディアを中心としたプロジェクトを手がけた。「閉山した鉱山に建設が計画されている、鉱山と映画にまつわる資料館について紹介します。 」フライヤーを見ても、展覧会に足を運んでも、レクチャーパフォーマンスを見ても、潔いよいほどまでに一つのシナリオに貫かれた展覧会である。
「資料館についての解説映像」として、この展覧会の重要な要素になっているレクチャーパフォーマンスは、展覧会のオープンに先駆けること約一ヶ月前の8月3日に、秋田県小坂町の康楽館で行われた。康楽館は、小坂鉱山の福利厚生施設として明治43(1910)年に建てられた芝居小屋で、この企画に格好の場所である。
レクチャーパフォーマンスでは、リサーチャーとして資料館の建設計画に参加しているという佐藤によって、その背景や目的について語られた後、三つの展示室に分けて、予定されている展示コンテンツの概要が語られる。「異界からの訪問者」、「労働や戦争の痕跡」、「個人の妄想世界」をテーマとする各展示室の概要が語られ、それぞれを象徴する無声映画である、バスター・キートンによる『The Haunted House』(1908年)、続けて『日露戦争実写』(1904年)が活動写真弁士の片岡一郎氏によって上演される。その後、クロージングの挨拶があり、第三の展示室を象徴する『カリガリ博士』(1920年)の上演で幕を下ろす。
展示室の構成からも分かるように、日本近代の鉱山開発の歴史が、無声映画が作られた約30年間の初期映画史に重ね合わせられ、この二つの流れが同時に孕んだ三つの要素が明示される。展示のコンテンツには、石炭や鉱石を得ることでより良い生活が得られるようになるコンピューターゲーム「マインクラフト」の中で、各展示室のテーマにオーバーラップするシーンや、尾去沢鉱山にまつわる伝説、鉱山開発の暗部である花岡事件を象徴する共楽館の跡地、花岡鉱山で精神を病み亡くなったドイツ人女性と彼女が身につけていた奇術という現実のエピソードが絡み合ってくる。
この資料館計画の発端として語られる、廃坑道から鉱山労働者のレクリエーションのために上演されていた無声映画のフィルムが発見されるという出来事は、実際にあっても決しておかしくない話である。加えて、ある出来事が伝説や事件、逸話として、写真のスライドと共に紹介されることで、資料館についての計画はまことしやかに聞こえてくる。
さらに言えば、レクチャーパフォーマンスにも今日様々な形態があるが、佐藤のシナリオをもとにした語り方は、ドイツ語における「講義(vorlesung)」の朗読する、読み聞かせるという形式に近い。約一世紀も前にマックス・ヴェーバーが『職業としての学問』において、聴衆が沈黙を強いられ、教師に耳を傾けなければならない講義形式における倫理観を説いたように、主観的な価値判断を排した淡々とした誠実さが、逆にこのフィクションの形式を揺るがす。
今回佐藤は、彼女のレクチャーパフォーマンスにおいてはじめて、プロの活動弁士による語りを作品中に引き入れている。日本の語りものの伝統と結びついた弁士という存在は、時として映像を恣意的に解釈し、観客にカタルシスをもたらすこともできる存在である。事実、本レクチャーパフォーマンス中でも『日露戦争実写』として上演される記録映像が、実際には日露戦争で行われたとされる戦闘の再現であるにも関わらず、当時の活動弁士によって、まるで日本が勝利を収める実際の戦闘シーンであるかのように語られる様が演じられた。そのような存在を通して、フィクションが事実として受容される、語りの作用が強調されているかのようだ。
展覧会では、先述したレクチャーパフォーマンスの記録映像に加え、建設予定である三つの展示室についての関連資料が、部屋ごとに分けられガラスケースの中で展示されている。会場でループ再生される45分の解説映像は、実際のパフォーマンスとは違い、時間の経過に沿って最初から鑑賞される方が稀なものとなり、いかに視聴するかはタイミングと鑑賞者に委ねられる。
ガラスケースの中には、本当に坑道で発見されたかのような実物のフィルムが展示され、レクチャーパフォーマンスで語られた個々の展示室が、にわかに現実味を帯びて立ち現れてくる。ミュージアムにおける体験型展示の最新動向でもある「マインクラフト」での特徴的なシーンも解説文と共にデモ再生される。そしてレクチャー内では写真スライドとして紹介された伝説やエピソードは、断片的なイメージとして陳列される。写真ではなく当時の新聞記事などの資料であれば、もっとフィクションが真実味をましたのかもと思わなくもないが、それは取り立てて問題にならないだろう。いずれにせよここでは、三つの展示室のテーマが、レクチャーでの紹介された順番のように決してリニアに展開していくものではなく、個々の要素が関係し合っている様子が空間的に示されている。
鉱山開発、写真術と同じく、近代が生み出した装置であるミュージアム(資料館)の形式を借りている本展覧会。かつてアンドレ・マルローは「空想美術館(le musée imaginaire)」という概念 を提示したが、現在ではありふれて特に意識されることも少なくなった複製技術の恩恵を多大に受けているという点においても、これを(本企画に沿うよう訳出して)「想像のミュージアム」と呼びたくなってくる。
1945年に発生した花岡事件の犠牲者を祈念して建てられた花岡平和記念館は、事件発生から45年後の2010年に完成した。現実のミュージアムを建設することの困難さが感じられる年月である。アーティストの想像力は、時に政治的な現実を易々と乗り越えてしまうものだが、それでもこの展覧会からは、リサーチにきちんとした時間が割かれていることが覗える。佐藤は、秋田公立美術大学が企画した、AKIBI複合芸術プラクティス『旅する地域考』2018夏編「秋田で着想する」という、若手アーティストが旅を通して、新たなプロジェクトを構想するワークショップに参加し、異物として土地に訪れるアーティストという感覚と、鉱山、映画サークル(活動写真弁士)に出会い、今回のプロジェクトに発展する着想を得たようだ。その後、BIYONG POINTの企画公募で採用され、展覧会が実現した。
秋田という土地をリサーチすることで浮かび上がったモチーフは、一つのシナリオとなって近代の鉱山に光を当てるフィクションに結実する。そのシナリオによるレクチャーパフォーマンスは「資料館についての解説映像」として、展覧会のなかでオブジェクトを伴いながら、再生され続ける。このように、メディアごとに少しずつ露光の仕方を変えながら「想像のミュージアム」のなかで、語りは繰り返されていく。フィクションの語りが、真実のように聞こえるとするならば、それは佐藤の適正露出の為せる技だろう。
近年、その土地をリサーチし、一種の地域資源としてその土地の文化や歴史を表現に取り入れる動きがますます顕著になっている。実際、アーティスト・イン・レジデンスでの活動を通じて、私もそのような制作のサポートをする機会が少なくない。地産地消ではないが、そこで展示されるべき作品が制作され、関わりの深い人々を中心に見られることは意義のあることだと思う。しかし今回の例で言っても、近代化と鉱山については秋田だけでなく日本全体、ひいては世界中で考えられることであり、それぞれの土地で、語りのきっかけとなるような興味深い出来事が見つかるに違いない。一つの地域におけるプロジェクトをどのように他の場所で展開もしくは発展させるか。様々な要素を貪欲に繋げながら、過去と現在の人々をフィクションで接続させてゆく語りのあり方に、可能性を感じている。
慶野 結香(青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)学芸員)
Profile
Information
佐藤朋子「MINE EXPOSURES / 鉱山の露光」
チラシダウンロード(PDF)
■会 期 2019年8月30日(金)〜11月4日(月祝)9:00〜18:00
■観覧料 無料
■閉館日 9月14日(土)、15日(日)
■会 場
秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)BIYONG POINT
■主 催 秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた
■協 力 CNA秋田ケーブルテレビ、東京藝術大学大学院映像研究科、RAM Association、和田信太郎
■出演・映像資料協力 片岡一郎(活動写真弁士)
■助 成 秋田県芸術文化振興基金助成事業
【関連イベント】
ギャラリーツアー+オープニングパーティ
■日 時 8月30日(金)18:00〜20:00
■会 場 BIYONG POINT
レクチャーパフォーマンス+トーク
■日 時 10月20日(日)18:00〜20:00
■会 場 BIYONG POINT
■内 容
①佐藤朋子によるレクチャーパフォーマンス
②トーク「ドキュメントと創作(フィクション)について」
登壇者:佐藤朋子、服部浩之(秋田公立美術大学准教授)