この夏は、展覧会「蒐集がアートになるとき」の準備と運営のため、秋田と京都を何度も行き来している。移動中の飛行機やバスのなかで考えているのは、油谷満夫さんが70年以上にわたって続けてきた蒐集を、私たちはどのように捉え、それをどのような問いとして社会にひらいていけるのか、ということだ。
展覧会の出発点にあるのは、油谷さんが集めてきた50万点ともいわれる膨大なモノと、その蒐集を支えてきた思想である。しかし、この展覧会は、油谷さんの蒐集人生だけに焦点を当て、その功績やコレクションを紹介するものではない。
油谷さんが残してきたモノのなかには、すでに価値が認められた民具や歴史資料だけでなく、多くの人が「なぜ、こんなものまで」と感じるようなものも含まれている。それらは、一般的なミュージアムであれば、収集方針や資料的価値、保管場所や管理コストといった基準によって、収蔵の対象から外されるかもしれない。一方で、いまは不要とされるものが、後世には別の意味を持つこともある。価値がまだ見いだされていないことと、価値がないことは、果たして同じなのだろうか。
油谷さんの蒐集は、この問いを考えるためのひとつの具体的な事例であり、糸口である。
いま、各地のミュージアムや資料館では、収蔵庫の不足や担い手の減少、管理費の問題などから、何を残し、何を手放すのかという判断を迫られている。その判断は誰が、どのような基準で行うのか。現在の制度や専門性のなかで価値を認められなかったものを、未来の人々があらためて見いだす可能性を、私たちはどこまで残すことができるのか。そして、すでに評価されたものを収集し、保存し、展示するだけではないミュージアムのあり方を構想することはできないか。
展覧会では、油谷さんの集めたモノや言葉に、アーティストや研究者がそれぞれの方法で向き合っている。未整理のモノを倉庫から運び出し、あえて分類せずに並べる。油谷さんの言葉をたどり、その世界の捉え方を読み解く。映像や造形、身体的な実践を通じて、モノと人との関係を組み替える。そうした試みを通じて、捨てられようとしているものを残すことの意味や、価値が生まれる過程そのものを問い直そうとしている。
民具ラボでも、油谷さんの蒐集を記録し、調査し、保存することだけを目的としているわけではない。この膨大な資料群を起点に、まだ価値の定まっていないものをどのように受け止め、誰がアクセスし、どのように次の世代へ手渡していけるのかを考えている。そこには、従来のミュージアムやアーカイブの仕組みだけでは支えきれないものを、研究者やアーティスト、市民がともに保持し、活用していくための新たな仕組みを探ることも含まれている。
しかし、こうした取り組みを説明しようとすると、すぐに言葉の難しさにぶつかる。
「民具の保存」「地域文化の継承」「アーカイブの再構築」「ミュージアムの未来」。どれも間違いではないけれど、その言葉に収めた途端、油谷さんの蒐集が持つ過剰さや矛盾、モノと対面したときの戸惑いが薄れてしまうようにも感じる。まだ価値の分からないものを残そうとする実践を、既存の価値を示す言葉だけで説明することはできるのだろうか。

一方、秋田では「ルーツ・ラボ」という研究会に参加している。哲学者ユク・ホイが提唱する「宇宙技芸」という概念を手がかりに、秋田に根差した技術と世界観について考える、リビングラボ的な研究会である。
「宇宙技芸」と書くと、途端に難解で遠い話に見えてしまう。しかし、私たちが探ろうとしているのは、マタギや農業、工芸などの暮らしの実践のなかにある、人と自然、技術、共同体との関係である。それは、誰かが外から持ち込んだ概念を秋田の事例に当てはめることではない。土地に根差して生き、手を動かしてきた人たちの言葉や技術から、秋田における「宇宙技芸」と呼びうるものを、逆に立ち上げることはできないか。そんな試みだと理解している。
ここでもまた、言葉が問題になる。長い経験のなかで身につけられ、身体から身体へと伝えられてきた知恵を、私たちはどこまで言葉にできるのか。言葉にした瞬間、それまで複雑に結びついていた土地や季節、身体の感覚が切り離され、ひとつの分かりやすい「事例」になってしまうのではないか。

そして、もうひとつ、日々の仕事のなかで考え続けているのが、「コーディネーター」という職能についてである。
アーツセンターあきたでコーディネーターとして働くこと。文化創造館でコーディネーターとして働くこと。アートの現場において、異なる立場の人や組織をつなぎ、対話をつくり、まだ形のないものを事業として成立させていく存在の重要性は、少しずつ認知されるようになってきたように思う。しかし、その職能が何であり、どのような専門性を必要とするのかは、いまだ十分に定義されていない。
正解のない状況を読み取り、相手の言葉になっていない意図をくみ取る。複数の立場のあいだに生じる齟齬を調整し、予算や契約、施設のルールといった現実的な条件のなかで、実現可能な形を探る。必要に応じて先回りしながらも、誰かの主体性を奪わないようにする。こうして並べれば仕事の一部は説明できるが、それだけでコーディネーターの仕事が伝わるわけではない。
様々なバックグラウンドをもつ職員と働いていると、仕事に対する感覚や価値観の違いに直面することも多い。これまで現場のなかで暗黙に学ばれてきたことを、研修として制度化し、仕組みとして共有しなければならない側面もあると思う。一方で、相手や状況によって判断を変えることそのものが重要な仕事を、マニュアルに落とし込むことには限界があることも事実である。「相手の立場を想像する」「状況を見て判断する」「一歩先を考える」と言葉で伝えても、その言葉が指し示す範囲は、人によって大きく異なる。言語化しなければ伝わらない。しかし、言語化したからといって伝わるわけでもない。そのあいだで、いつも立ち止まってしまう。
言語化することは、頭の中にある曖昧な感覚や個別の体験を、誰もが理解できる共通の言葉(概念)へ変換する作業であるとされる。確かに、固有の経験に名前を与え、概念として整理することで、それは異なる場所や世代にも伝わりやすくなるであろう。油谷さんの蒐集から始まった問いも、秋田に根差した技術も、コーディネーターの仕事も、言葉にしなければ、その場に立ち会った人だけの経験として消えてしまうかもしれない。
けれども、そうやって一般化することは、固有の手触りを削ぎ落とすことでもある。分かりやすい言葉を与えた途端に、分かったつもりになってしまう。定義をつくることで、それに当てはまらないものが見えなくなる。まだよく分からないもの、矛盾を含んだもの、名前を与えられないものが、説明の外へ押し出されてしまう。
言葉にしなければ伝わらない。けれど、言葉にすることで失われるものもある。
このところ京都と秋田を行き来しながら、私はこの矛盾の周りをぐるぐると回っている。もしかすると、必要なのは、すべてを過不足なく言い表す完璧な言葉を探すことではないのかもしれない。言葉を結論ではなく、誰かが考え始めるための入口として差し出すこと。定義することと同時に、その定義からこぼれ落ちるものに目を凝らすこと。そして、言葉だけで伝えようとせず、モノや作品、身体、実践の力を借りること。
それでもやはり、言葉にしなければ始まらない。そう思って、うまくまとまらないままの考えを、まずはこうして書き残している。