「民藝」の周辺にある豊かさを愛好家たちが紡ぐ
美術・工芸といった分野、有形・無形を問わず、かつての人の営みの豊かさについて考える時に、書籍などを通した史実の確認や、残されている事物にふれるなどのリサーチは欠かすことができない。そこで「民藝」などと定義された領域で力を発揮するのが専門家による仕事だ。しかしそのような特定の領域の「周辺」を射程に入れる際には、専門家ではない、例えば愛好家といった者たちの手による仕事を通して見えてくる豊かな風景があるーー。

「アウト・オブ・民藝|秋田雪橇編 タウトと勝平」は、民藝運動の周縁的な動向、秋田との関わりを紹介するという主旨をもつ一方で、その漠とした領域にどのような向き合い方ができるのかという実験それ自体の可能性を提示するような展示企画だ。
軸となるのは、軸原ヨウスケと中村裕太による『アウト・オブ・民藝』(誠光社、2019)を象徴する相関図を秋田版にローカライズしたもの。1935,1936年に秋田を訪れたブルーノ・タウトと彼を案内した地元の木版画家・勝平得之の関係に注目し、勝平が口絵を手がけたタウトの著作『日本の家屋と生活』(1937)を相関図の中心に据えて、民藝をめぐるさまざまな人物や書籍等の関係性を展示物も用いて紹介。

これを読み込んでいくと、勝平が民俗学者である柳田國男の著作『雪國の民俗』(1944)の装丁・挿絵版画を担当していたり、山本鼎らによる農民美術運動と関わりを持っている一方で、民藝運動の中心人物であった柳宗悦が柳田と雑誌ですれ違うような対談をしていたり、農民美術批判をしていたーーなどといった状況を合わせて知ることができる。

また、秋田での展開として特筆すべきなのは、タウトと勝平が当時書いたテキストのクロスポイントを丁寧に抜き書きして提示するセクションが設けられている点だ。相関図が民藝運動立ち上がり当時の日本の様相を水平的に示しているとすれば、その状況のなかで、世界的な建築家であり、知られざる日本の魅力を紹介していたタウトが秋田にどのように出会っていたのか。民藝の正史からは見えにくいけれども、言わばグローカルにグッとくる風景を深掘りもして紹介するというアプローチだ。

例えば「かまくら」という民藝そのものからは離れているが、民俗行事であり、建築・デザイン的とも言える風景への眼差し。このトピックをあえて選び、2人のテキスト(タウト『日本の美の再発見』、勝平「秋田に於けるタウトさん」)を抜き書きし、それに共振する雪橇や蓑などの民具や中山人形といった郷土玩具などを秋田の民具コレクター・油谷滿夫による油谷これくしょんから見つけ出して展示している。

「〜これは今度の旅行の冠冕だ。この見事なカマクラ、子供達のこの雪室は!〜それはーおよそあらゆる美しいものと同じく、―とうてい筆紙に尽くすことはできない。」
と記したタウトと、
「〜タウトさんは『すばらしいです』、と驚嘆の声をたてながら、大きな体をこごめて、つぎつぎとカマクラの中を覗き見るのであった。」
とその様子を記した勝平の視点。

そこで用いられていたであろう民具、その風景が郷土玩具にもなっている様も見せるという立体的なアプローチから、実に豊かな風景が立ち上がってくる。つまりこのセクションでは、テキストや展示物そのもの、関係性だけでなく、それらから読み取れるストーリーを巧みに紡ぎ出して見せている。
