一粒の木の実が、岩影に根を下して芽をふき、日照りの中をかすかに岩の亀裂にとどまる水分を求めつづける。そして、成長した一本の木は、やがて二つに岐れ枝を伸ばし、葉の茂みが太陽をさえぎるまでに広がる。
油谷満夫「無限に広がる木の股」『農協あきた』1977年12月
春先、山へ分け入った農夫は、しばらくあたりの生い茂った木々の枝振りを物色し、一つの木の股に目星を付ける。その人は、大豆の殻を叩いて脱穀する道具を探していた。けれど、その人はすぐにその木を切り倒すことはしない。冬が来るのを待つ。枝葉が落ちて木が乾燥してきた時分、木によじ登り、山刀で枝を振り落とす。家に帰り、持ち手を掴んで軽く降り、股の幅、反り、重さ、強度などを確かめながら加工する。そして、収穫した大豆を蓆に広げて叩いてみる。叩いたあとの跳ね返りがいい。それからその人は、大豆の脱穀のたびにその道具を使ってきたが、新しい機械が登場すると、農機具小屋の片隅に置かれたままになっていた。
ある日、その農機具小屋を見せて欲しいという男がやってきた。この男は、小屋の中にある民具をじっくりと見回していく。そして、一つの民具に目を止め、木の股の「手どり」(手で持ったときの感触)を確認し、農夫にどのように使っていたのかを聞き取る。農夫は「その民具なら持っていっていい」と伝えると、この男は、「この小屋にある民具を全部いただけますか」と尋ねる。びっくりした農夫をよそに、品物を選別することなく、トラックに積み込んでいく。そして、倉庫に持ち帰ってからゆっくりそれらの品々を吟味し、ダンボールごとに詰め直していく。そのなかから木の股を取り出し、使い込んだ持ち手を撫でた。


この男こそが油谷満夫さんである。そして、これまでに収集した木の股を一堂に会したのが「博覧強記・油谷満夫の木の岐」展である。(本展では「また」の漢字を「山を支える」という形である「岐」を用いた)木の股とひと言でいってもその使い道は「芋洗い、米とぎ、足袋干し、孫の手、小豆つぶし」など多岐にわたる。木の股は、土地の風土や風習と関係が深い。特にその土地の木の植生、作物の生産とその調理法によって分類することもできるだろう。そう考えると、木の股は、民藝品と近しいものなのかもしれない。しかしながら、民藝品から見えてくるのは、無名の職人の手仕事であり、そのものを使って暮らす「民衆」であるのに対して、木の股から見えてくるのは、無名の農夫の手仕事であり、そのものを工夫しながら拵えた「個人」である。そのため、会場に置かれたいくつかの木の股を手にとってみても、私の手にぴったりするものは見つからない。




会場で油谷さんは、木の股の使い道をクイズにして出題してくれた。これが思いの外難しい。ジェスチャーを交えてヒントも出してくれるがまったく使い道がわからない。けれど、油谷さんが答えを教えてくれると、すっと腑に落ちる。すかさず、油谷さんは木の股を片手に「ねねん子、ねねん子、ねねん子よー」と口ずさみ、秋田の農村の暮らしの厳しさや楽しさを話してくれた。
生い茂った木々から木の股を見出した農夫、そうした木の股を長年にわたって収集してきた油谷さん、そうした人々のまなざしをもとに、自分には何を見出すことができるのだろうかといつも帰路に考える。何度か秋田に足を運ぶことで、だんだんとその目星を付けていきたい。
*なお本稿は、2021年12月12日(日)に大阪大学大学院文学研究科主催「徴しの上を鳥が飛ぶ III」オンライン企画「油谷さんのコレクション探訪 秋田の伝説的民具収集家と語りあう」での油谷さんと大阪大学の岡田裕成さんとの会場での対話をもとに執筆した。
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博覧強記・油谷満夫の木の岐展
■ 会期:2021年12月12日(日)~16日(木) 9:00~17:00 ※火曜休館
■ 会場:秋田市文化創造館(秋田市千秋明徳町3-16)
■ 主催:NPO法人アーツセンターあきた
※入場無料