arts center akita

ディスプレイの向こうの不確かさと、自分自身の不確かさ 再帰する光景の手触り

秋田公立美術大学の卒業生シリーズとして3月に開催した展覧会「フラクタル⇔フラクチャー」。〈自己〉と〈他者〉の共存を見つめる大越円香が、SNS社会の一端を捉え、確かにあるはずの存在(あるいは生存)を問いました。同じく卒業生で本展をキュレーションした武田彩莉の解説によって、展覧会をアーカイブします。

再帰する光景の手触り

外に出なくても他者とコミュニケーションを取る方法を、ディスプレイとインターネットにより獲得して久しい。それは尚のことここ3年ほどで日常生活のあらゆる場面の一部となったように感じる。
相手の顔が見えるということは、安心感の指標として機能するはずだ。しかし、ディスプレイ上の他者の存在はどこか息遣いが曖昧な、話しぶりや身振り、表情が誇張されたキャラクターのように感じることがある。それはディスプレイに映る相手を通して、自分自身にも投影される。平面上で見る、見られることを前提とした自分になっていくような。

大越は自身の作品に映るものを光景だという。私が見てきた彼女の作品で印象的なのは、確かにそこに存在するものの様子をそのままデジタルデバイスで切り取り、現像し漂白剤によって物理的で不可逆な現象を与えるというものだった。
本展覧会で特徴的なのはそれらに加え、作者自らのポートレートや身体をイメージに取り入れるというところだろう。これまで見えるもの、映るものであった光景、そして大越自身が制作という行為を施すものに自分自身が光景として現れる。

ディスプレイの向こうの不確かさは、同じ平面を通し、合わせ鏡のように自分自身の不確かさをも表示する。大越はその平面上の再帰を指先に呼び起こす。手で「触れる」という行為は幼児期の発達段階から世界を認知するために重要な感覚である。
しかしこれらは成長とともに徐々に視覚の優位にとって変わられる。
大越の制作の手つきは、「触れる」という行為を再帰する平面の世界から再び指先で探り当てようとしているように感じる。

武田彩莉

https://youtu.be/FsDHrVJvQUc(撮影・編集/乙戸将司)

表層は剥がれ落ち、イメージに手触りの感覚を見せる

大越は、既存のオブジェクトとイメージを破壊することによって社会問題に自分の作品をインストールし、アプローチを試みます。素材とするのは、スマートフォンであり、スマートフォンに触れる身体そのもの。《Melting scenery》ではスマホで捉えた映像をスクリーンショットで切り抜き、印刷後に表面に除光液で描くことで溶解・剥離させました。ひび割れた表層によって情報の曖昧さを可視化し、自己と他者の実感を明確にしようと試みた作品です。
武田はこの作品について、「その表層は冬場の皮膚のようにポロポロと剥がれ落ち、イメージに手触りの感覚を見せる」と解説。写真1枚1枚の表裏に記録された時間と、剥がれ落ちることによって浮き出た質感が、5つのケースに横たわります。

「無数の光の点はディスプレイ上で様々なイメージを描き出す。
大越は自らが収めるイメージを光景と呼ぶ。本作ではそれらの連続する光景を写真という物体として取り出し、除光液により物理的で不可逆な損傷を与える。その表層は冬場の皮膚のようにポロポロと剥がれ落ち、イメージに手触りの感覚を見せる。
大越により物質として取り出されたイメージは翻ってディスプレイ上にも質感を呼び寄せるようだ」

《Melting scenery》2021、写真に除光液、2L版

仮想の奥行きをマッピングした
セルフポートレートが映す実体と虚像

壁面に取り付けた6台のモニターそれぞれが映し出すのは、大越がスマホで撮影したセルフポートレートです。《Surface drawing》で大越は、加工アプリを使って深度測定し、仮想の奥行きをマッピング。一眼レフカメラで撮影したかのような、画像内の奥行きを測る機能を用いました。鑑賞者が自身の身体を移動させることによって、大越のセルフポートレートが見えつ隠れつ迫ってきます。

「《Surface drawing》ではスマートフォンで撮影したセルフポートレートに加工アプリ上で深度測定を行ない、その仮想の奥行きをマッピングする。深度測定とは写真を一眼レフで撮影したような質感にするために画像内の奥行きを測るものである。
その結果出力されるものは、より良い、きれいな写真となるはずだが大越の捉えるものはひどくひしゃげ、外見的特徴は疎かもはや顔かどうかもわからない点の集合であった。 スマートフォンで撮影される写真はその手軽さ故に今や誰もが自分を表現することのできるコミュニケーションツールの一つとなった。カメラの機能向上や、加工アプリはコミュニケーションの意欲をも高揚させるようだ。私たちはあたかもこれらで世界中と繋がっているかのような安心感を得るが、その実際はデータを可視化しただけのものだということを改めて実感させる」

《Surface drawing》2021、iPhoneで撮影、サイズ可変

ギャラリー奥、宙に浮いた身体は、大越がハンドスキャナーで自分の身体をスキャニングした《箱の中に帰す》、脊椎を投影した《箱の中の猫〈身体〉を、観測〈表示〉する時》。自己を観測しつつ他者(自己)に表示することで、大越は自己(他者)の存在を問いかけます。

「《箱の中に帰す》《箱の中の猫〈身体〉を、観測〈表示〉する時》の2つはそれぞれハンドスキャナーで身体の一部をスキャンした作品である。スキャナーは元来、平面上で表されたアナログのイメージをデジタルに変換するものだが、大越はそれを自らの身体に使用する。
凹凸のあるものに対し、ハンドスキャナーは密着できない部分を黒で表現する。
そしてそれらを再び平面に戻したものを、一つはターポリンにもう一つはディスプレイ上に出力される。背面と思われるディスプレイのイメージは滑らかな肌の質感を残すが、ターポリンに出力された顔のスキャンは、近寄るとそのイメージが無数のキューブによって表されていることに気が付く。本来近寄れば近寄るほどその凹凸に気がつくはずのものが無機質な図形で描かれている不気味さは、私たちが日常で受け取る情報についてその不確かさ、解像度について気づかせるようだ」

《箱の中に帰す》2022、ハンドスキャナーで撮影、2000mm×6300mm
《箱の中の猫〈身体〉を、観測〈表示〉する時》2021、ハンドスキャナーで撮影、サイズ可変

SNSで繰り返される〈炎上〉を監視的に投影

暗室に映し出されるのは、砂糖に群がる無数の蟻たち。SNSで繰り返される炎上を取り上げた《惨劇のアーキテクチャ》では、この世界以上に広大になってしまったSNS世界の構造を監視的に投影しました。Twitterの文面をもとにした音声が、耳に残ります。

「アリの群れは、飽きることなく目の前の砂糖に群がる。この事象はアリのただの食事風景に過ぎないだろうが砂糖はおそらく作者により人為的に落とされたものだろう。
SNSの炎上はその真意に問わず、匿名の人々の憶測が呼水となりその範囲を拡大させる。これらの行為は意図的であるかないかにかかわらず砂糖のようなご馳走となり、人々は誘い出される。悪意、正義が入り混じった砂糖はそれを求める人により今日も生産され貪られ世界を構築していく」(武田彩莉)

《惨劇のアーキテクチャ》2021、砂糖に映像投影、サイズ可変
秋田公立美術大学・卒業生シリーズVol.8 大越円香「フラクタル⇔フラクチャー」

撮影:越後谷洋徳

Information

卒業生シリーズVol.8「フラクタル⇔フラクチャー」

展覧会は終了しました
「フラクタル⇔フラクチャー」プレスリリース
「フラクタル⇔フラクチャー」チラシ(PDF)
 会場MAP・作品リスト(PDF)
 作品解説(PDF)

■会期:2022年月3月5日(土)〜3月21日(月・祝) 会期中無休
■会場:秋田公立美術大学サテライトセンター(秋田市中通2-8-1 フォンテAKITA6F)
■時間:10:00〜18:50
■入場:無料
■キュレーション:武田彩莉
■グラフィックデザイン:越後谷洋徳
■主催:秋田公立美術大学
■企画・運営:NPO法人アーツセンターあきた
■お問い合わせ:
秋田公立美術大学サテライトセンター(NPO法人アーツセンターあきた)
TEL.018-893-6128  E-mail info@artscenter-akita.jp
※混雑の状況により入場を制限させていただく場合があります。
※新型コロナウイルス感染症感染拡大状況によっては会期や内容を変更する場合があります。

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

一覧へ戻る