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「鳥になること(Bird-Becoming)」に向かって 石倉敏明評  菅原果歩個展「分け入る森」

野鳥を対象に長期に渡ってフィールドワークや撮影を行う菅原果歩。デジタル写真をあえて古典技法を用いて焼き付けることで視覚を物質化し、原初的なイメージを得ようと試み、森へと導く空間をつくりだした個展「分け入る森」について、人類学者・石倉敏明がレビューします。

「鳥になること(Bird-Becoming)」に向かって

 その空間に一歩足を踏み入れたとき、8月のある日の記憶が蘇ってきた。その日、私は酒田港からの定期連絡船に乗り、はじめて飛島に渡ったのだ。日本海に浮かぶ孤島と呼ばれるこの島は、能登の舳倉島、長崎の対馬と並んで、海を渡る野鳥の宝庫として知られる。停泊する中継地の少ない日本海上の「渡り」の軌道にあって、飛島はたしかに鳥類の生息に絶好の土地である。そのせいか、一歩この島に足を踏み入れると、驚くほどたくさんの野鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。鬱蒼と生い茂るタブノキやヒサカキの森の中に入ると、その声はいっそう厚みを増して、全方位に響き渡る。

 菅原は、10代前半から鳥に興味を持つようになったというが、その関心には鷹匠に憧れていたという祖父の影響が大きいという。今回の展示でも、第一にクローズアップされているのは、彼女が何度も訪れて撮影したという飛島の野鳥の写真である。しかし、この展示は最初に地図を提示して具体的な撮影場所を示し、訪問する鑑賞者たちに野鳥に関する知識を供与するものではなかった。私たちはまず、光学的に再現された森の空間に誘われる。そこで木漏れ日に包まれ、鳥たちの呟き、囁きを耳にしながら、プロジェクターによって映し出された「映像の森」に分け入ることになるのだ。

 そこにはバードウォッチャーが身体を隠しながら野鳥を観察するための、簡素なオレンジ色のテントがあって、中には何冊かの野鳥図鑑やノートなどが転がっている。そして、展示台の上には、実際に野鳥観察をおこなった記録ノートが、そっけなく展示されている。ここで再現されているのは、単なる知識ではない。それは、実際に飛島の森の中に入り、そこに生息する鳥たちと向き合った、菅原の体験そのものの再現であろう。私たちは、そこで身体的な感覚を研ぎ澄ませながら、菅原の体験をたどっていく。彼女の眼差しと、足跡を。そしてその身体が感覚した、森の湿度や温度を。木漏れ日の明度を。

 これは「マルチ・センサリー(複数の感覚)」に訴えかけるインスタレーションである。しかもノートをひらけば、そこには複数の現実が待ち受けている。それは、人間の視点ではなく、鳥の視点で捉えられた世界の記録なのだ。会場を進み、光学投影された木漏れ日を抜けてゆくと、私たちは第二室でそことはまったく異なる現実に導かれる。それは、まるで鳥類学者の書斎のような、落ち着いた空間だ。ここでは、菅原が飛島の民宿に集まるバードウォッチャーから得た重要な情報、そして、菅原自身が各地で観察し、撮影した鳥たちの写真イメージが満ち溢れている。私たちは、そこで椅子に座り、じっくりと本のページをめくりながら、内的なメタモルフォーゼに誘われる。


 これは「マルチ・スピーシーズ(複数の種)」が出会い、接触し、変容する空間として設計されている。どことは言わないが、日本の美術大学のキャンパスの至る所から匂ってくるあの傲慢な人間中心主義が、ここには微塵も感じられないのだ。人間の姿をしたヨーロッパの神々や英雄を紙に描き、自らの技巧に耽溺し、難解な「コンセプト」を弄ぶ美学的な遊戯から程遠い。物分かりが良さそうで、けっきょくのところ制度の再生産を目論む教授たちもいない。ここには異種の生態やその感覚に注意を払い、「人間的なるもの」を異種との接触の相において再発見しようとする、別種の探究がある。

 近年、菅原が一貫して取り組んでいるサイアノタイプによる野鳥写真は、運動する鳥たちの輪郭を正確にとらえるのに効果を発揮している。19世紀の博物画風に展開されたそれらの写真は、人類学者クロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」と名付けた、野生状態での自然界への関心を、見事に形象化している。デジタルカメラによって撮影され、敢えてアナログな青焼きを施した一連のイメージは、第一室の体感的なインスタレーションと好対照を成すように思える。第一室で能動的な「鳥の観察者」になった鑑賞者は、狭い廊下を通り抜けた後、この「鳥類学者の部屋」(私の勝手な命名であるが)の中でビッシリと写真とドローイングとメモが書き込まれたノートをめくるだろう。そのとき、私たちは「鳥の観察者」から「鳥」そのものに変容するのだ。

 こうした一連のノートは、菅原が大学に入学し、コロナ禍でキャンパスでの授業が自粛された2年生の前期に課題として提出されたフィールドノートを母胎としている。この最初のノートを見たときの衝撃を、私は忘れることができない。雄物川周辺で観察されたカラスの痕跡や生態が克明に記録されたノートには、どこまでも透徹した観察眼とともに、人間ならざるものへの愛としか言いようのない、透明な情動が溢れていた。私は、これこそが、菅原の作品に内在する強烈な力の源流だと思う。第二室で展開された自作の写真集や、何冊もの記録ノートは、ある意味では本やノートの形で綴じられた、菅原の感覚的民族誌と言って良いものだ。その静かで、透明な感覚に触れるとき、私たちの情動は振動し、飛翔し、変容する。菅原自身が経験した、潜在的な次元での「鳥になる」体験を、私たちはそのノートを通じて追って行くことになるからだ。


 鳥は、天空と大地、気象と地球を住処とする。翼竜や恐竜といった滑空生物は、より繊細な羽毛を獲得することによって、大気中の風の流れをとらえ効果的に飛翔することができる鳥類に進化した。大地を歩く菅原は、もちろん鳥ではない。だが、空気中の鳥の軌道やそのコロニーを追い、落ちた羽を拾い集め、時には力尽きた鳥を観察しつつ、ノートや写真を通してその生の痕跡に触れようとするとき、彼女はたしかに鳥になっているのだ。翼竜から鳥類への進化は世界中の島々でおこなわれたというが、菅原もまた、島に滞在することで、「内なる鳥」への変容を果たそうとしたのではないだろうか。

 本展は菅原の初個展となったが、渡り鳥が飛び立つように、長い航海を成し遂げてほしい。長い「渡り」の果てにまたこの島にかえってきたとき、私はこの森に再び足を踏み入れて、その鳴き声に耳を澄ませてみたい。


撮影:草彅 裕

Profile

石倉 敏明 Ishikura Toshiaki

1974年東京都生まれ。明治大学野生の科学研究所研究員。1997年より、ダージリン、シッキム、カトマンドゥ、東北日本各地で聖者や女神信仰、「山の神」神話調査を行う。環太平洋圏の比較神話学に基づき、論考や書籍を発表。近年は秋田を拠点に北東北の文化的ルーツに根ざした芸術表現の可能性を研究する。著書に『Lexicon 現代人類学』(奥の克巳との共著・以文社)、『野生めぐり 神話列島をめぐる12の旅』(田附勝との共著・淡交社)、『人と動物の人類学』(共著・春風社)、『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』(高木正勝CD附属神話集・エピファニーワークス)など。第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(2019)、「精神の〈北〉へ vol.10:かすかな共振をとらえて」(ロヴァニエミ美術館、2019)、「表現の生態系」(アーツ前橋、2019)参加。秋田公立美術大学准教授。

Information

菅原果歩個展「分け入る森」

展覧会は終了しました
菅原果歩個展「分け入る森」DM(PDF)
■会期:2022年9月24日(土)〜10月30日(日)
    会期中無休、入場無料
■会場:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT
   (秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
■時間:9:00〜17:30
■主催:秋田公立美術大学
■協力:CNA秋田ケーブルテレビ
■企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた

■お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL.018-888-8137  E-mail bp@artscenter-akita.jp
新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況により、展覧会の開催期間や内容が変更になる可能性もあります。

※2022年度秋田公立美術大学「ビヨンセレクション」採択企画

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