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実はいつだってそこにあるもの フジワラマリ評 渡辺楓和 現象空間展「これまでのしるし」

日常にある「現象」に着目して制作活動を続ける作家、渡辺楓和(ふきぬけ)による現象空間展「これまでのしるし」が11月、秋田市金足にある空の森研究所で開かれました。森の中に足を踏み入れ、ふきぬけの空間で感じること、気づくこと。振り返ること。歌人・フジワラマリがレビューします。

実はいつだってそこにあるもの

11月にしては随分と暖かい日だった。気持ちが高ぶっていたのか少し早く到着してしまい、まだ静かな駐車場に車を置いて森へと向かう。会場である「空の森研究所」は、近くに車通りの多い道路があるとは思えないほど木々に囲まれた静かな場所だ。笹や蔦、広葉樹が混ざり合う茂み。手書きで「森への道」と書かれたフライヤーが立て板に貼られている。緩やかに曲がった道は何度通ってもいつも記憶より長い。見上げればどこまでも高い秋の空。足もとには刈られた草が折り重なる。意識の輪郭がぼやけはじめることと道の感触とを確かめるようにゆっくり歩く。この「森への道」を歩いている間に、わたしたちはどこか違う世界に行くのかもしれない。そんなことを思いながら進んでいくと、すっと開けた視界の先に楓和さんがいた。

渡辺楓和さんとはじめて会ってから8年も経っただろうか。学生だった当時とほとんど印象が変わらない。そのためか時間の感覚が曖昧になる。いつ会っても静かでゆらぎの無い、山のような人だなと思う。

森の終着点に建つ白く透けた大きな箱。まるでそこの住人のように佇む楓和さんと少し言葉を交わし中へと入る。「中へ」とは言ったものの、落ち葉がふかふかと敷きつめられ木漏れ日に包まれているその場所は中でも外でもない。そのように区切ることが意味を持たないのだ、ここでは。ひときわ明るい方に目を向けると壁に掛けられた色とりどりの紙を透け、高くなりきろうとしている陽が差し込んでいる。日暮れどきの雲、遠くの海、湿りけをおびた幹、春いちばんに咲く花。そんな記憶を呼ぶ色に塗られた紙が秋の日差しによろこんでいる。

楓和さんは自身のことを「現象作家」と呼ぶ。現象が「人間が知覚することのできるすべての物事」だとすれば、楓和さんの作品の源は彼女がこれまで受けとめてきた世界だ。窓をつたう雨粒、インクのにじみ、砂浜に埋まるプラスチック片。あるとき心ゆれた現象がその後ゆっくりゆっくりと水面に浮かびあがるように作品となって現れる。

白くちいさな古びた棚。その中に苔がみっしりと生えている。引き出しの中にまで。苔を見ると時間軸がゆがむのはその成長がとてもゆっくりだからだろう。そこにセメントで作られた舞台を思わせる塊や色彩が施された木片が置かれている。どれもが百年もの間そのちいさな森で眠っているかのように。

これまで楓和さんにはわたしの短歌の展示すべてに関わってもらい、数冊の歌集を制作してもらった。いつもほとんど打ち合わせをしないまま、簡単なイメージを伝えてまかせてしまう。それでも時にわたしが無意識でいたことまでも形にして目の前に置いてくれる。わたしの歌、言葉、わたしという現象に深く潜ってくれているのだと思う。わたしの歌をこの世界に存在させてくれたのは彼女だ。

目の高さに星のような球体が浮かんでいる。触れてもいいと言うので両手で包んでみる。セメントが使われているというそれは想像以上に重たく、その重さに自分が立っている星の重さを想う。星はいくつかあり、ひとつひとつ色かたちが異なる。星と星との間を白い宇宙を泳ぐように歩く。視線をおろすと落ち葉の中に水たまりがあり、そこにも星が浮かんでいる。しゃがんでみると水に見えたのはビニールマットで、地面の呼吸を受けうっすらと曇りはじめている。閉じ込められた水滴で薄く張った氷のようにも見える。わたしが最後に土の暖かさを感じたのはいつだろう。

楓和さんの作品に意識を研ぎ澄まさなければいけないような緊張感は無い。むしろ見る側は作品により自身の感覚の張りがゆるむことで、そこにもともと存在していた現象に気づくことができるようになる。秋の終わりに傾いていく日差し、落ち葉と落ち葉が触れあう音、錆の広がりにみる長い時間。ここにいながら意識することなく過ぎていたものがこれほどまでにあったのかと。世界はこんなにも開かれていたのかと。

白い箱から出ると焚き火がはじまっていた。火を囲むように置かれた丸太に腰掛け、話している人たちの顔がやわらかい。気づけば陽の向きが変わり作品がまた違う表情を見せている。そろそろ帰ることとしよう。来たときより深く息のできる身体で森を後にした。

渡辺楓和はこれからも、実はいつだってそこにあるものを見せてくれるだろう。

Profile 執筆者プロフィール

歌人

フジワラマリ Mari Fujiwara

自身のこころの水平を保つための短歌を詠みながら短歌を感じられる空間・媒体づくりを模索。これまで秋田市内で短歌展を開催し、渡辺楓和による手製本の歌集を4冊出版している。2023年には安達香澄・加賀谷葵・早坂葉との共作「無音檸檬」に朗読者として出演。

Information

渡辺楓和(ふきぬけ)
現象空間展「これまでのしるし」

●会期:2023年11月3日(金)〜5日(日)11:00〜17:00
    4日(土)は夜の研究所 〜20:00
●場所:空の森研究所(秋田市金足追分海老穴46-1)
●主催:渡辺楓和空の森研究所

撮影:越後谷洋徳

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

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