arts center akita

磯崎未菜×小林太陽 「震災以降のぼくらについて」

BIYONG POINTで8月18日まで開催中の展覧会「singing forever 高砂」と並走してラジオが公開中です。美術家・小林太陽を迎えて収録されたトークでは同世代の二人が自分の“うた”について、また、震災以降の表現について語りました。

「singing forever 高砂」と並走してラジオ配信!

“うた”を扱った表現活動を展開するアーティスト・磯崎未菜の展覧会「singing forever 高砂」。謡曲《高砂》にヒントを得て、場所や時間を超えた2つの土地を結ぶ試みです。

また、今回は展覧会と並走するように、磯崎とゲストが繰り広げるパブリックとプライベートの中間のようなおしゃべりを生配信・アーカイブしています。6月8日「singing foever 高砂 開会報告」、6月9日には美術家・高嶺格をゲストに迎え「ダムタイプと、声と痛みとユーモアと」を配信。7月12日には、磯崎と同年代でうたを扱う美術家・小林太陽とのトーク「震災以降のぼくらについて」が配信されました。トークの様子をレポートします。

磯崎未菜×小林太陽「震災以降のぼくらについて」

小林は、ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校を経て作家活動を開始。自身と石巻で出会った一人の高校生、津波で行方不明になった「濡仏(ぬれぶつ)」との三者の関係性を描いた《お前からはいつだって予感がする》(2019)など、会話をベースにした映像作品を制作しています。また、東京・西荻窪にあるスペース「画廊跡地(旧・中央本線画廊)」の企画・運営も行なっています。
https://yan-a-gawa.tumblr.com/

石巻で制作を行う小林と、仙台を拠点に活動する磯崎。1990年代前半生まれというほぼ同世代の2人がそれぞれの制作活動について話すには、前提として「震災」について話すことが必要でした。

美術家・小林太陽を迎えたトークは、それぞれの表現活動や考え方を探り合うように進んだ(アラヤイチノ)

トークは小林の映像作品《ぬれたほとけ》(2018)から始まりました。軽快なラップと自身が扮する仏像の動きがリズムに乗って進んでいきます。江戸時代に京都から石巻まで送られるはずだった仏像の輸送船が転覆、数十年後に海に浮かんでいるところを引き上げられ、時を経て本来あるべき石巻に戻ったという伝説をもとにした作品です。しかし2011年の震災によって仏像はまた流され、現在その海岸には防潮堤が建っています。戻るべき場所を見失い漂流しているであろう“ぬれぶっつぁん”は、しかし旅行気分なのかユーモラスに問いかけつつ、景色の中に消えていきます。

磯崎と小林。同年代の2人はいずれも被災地と呼ばれる場所で作品をつくっています。磯崎が多摩ニュータウンで制作した映像作品を見た小林が、展覧会場で磯崎に感想を話したのが最初の出会いだったといいます。

小林をトークに呼んだことについて磯崎は、「2人とも東京都出身で、2011年以降に東北に通いながら、しかも“うた”をメディアとして制作している。同年代ということもあり、無自覚に、社会に関して考えていることが共通しているのではないかという興味がある」と話します。秋田公立美術大学近くに位置する空き家の畳の上で、お互いの表現方法や考え方を探り合いながらトークは進行しました。

「綿毛のように“うた”を飛ばすことに抵抗を覚えている?」

「震災直後では聞けなかったことについて、聞いてもいい時期にきたのかもしれない」という磯崎に対して、「震災から約8年経った今、当時のことなどを聞けるようになってきたとは思う。何をもって『震災後』とするのかを磯崎さんに聞きたいし、僕も話したい。直後でも最中でもなく、『後』とすることについて」と小林。

また、BIYONG POINTで開催中の「singing forever 高砂」を観て、磯崎がなぜ今、震災を扱うかについて思いを巡らせたと言います。
「メロディや歌詞がいろいろな場所に流れ、時間を伴って変質していくのが“うた”の面白いところ。磯崎さんの修了制作のタイトル(《綿毛のようにうたを飛ばす》)は、それを端的に言い表したものだったと思う。自分のコントロール下に置けないところにまで歌を飛ばしていこうと活動していたと思うのだが、今回は違う。これまで自分で“うた”を作っていたが、今回は能《高砂》を介して仙台と兵庫の2つの『高砂』を繋げようとしている。“うた”を綿毛のように飛ばすことに抵抗を覚えてるんじゃないかなと思った。作品はそもそも、作者の手を離れて、予期しなかったところへ飛んでいくもの。どういう心境の変化があったの?」

この問いかけに対し、「今回は綿毛を飛ばすことについて言及していないし、新しい“うた”も作っていない」と話す磯崎。「singing foever 高砂」では、既存のものに新しい見方を与えることでその価値を変える、いわば「レディメイド」の手法をとったといいます。「きちんと美術の文脈の中で作り、新しい見方を与えたかった」。その理由としてあげたのが、「東北に立ち向かえなかった」「震災に立ち向かえなかった」ことでした。

「土地の人の情念を、巻き込みたくはない」

磯崎は昨年の福島でのリサーチで、震災後初めて家に戻り、一人で部屋を片付けている男性に会いました。まるで“震災直後”のようなその光景は、これまでの自分の表現の手法では立ち向かえないもののように感じたといいます。「磯崎さんの土地の“うた”には、その土地の人の情念も巻き込もうとしているの?」と問う小林に対して磯崎は、「巻き込みたくはない。基本的には人の期待には応えたくない」。

そして話は、それぞれの表現方法へ。「土地からの期待にある種、応えていくようなこれまでのアーティスト・イン・レジデンスのやり方ではなく、すぐには役に立たないもの、時間が経って影響が出るものを作りたい」と磯崎。「その人が自覚せずに、仕草や癖の中に入り込んでいる土地の時間に興味がある」と話します。

「キャラクターが責任を負う」

ここから、「責任を負うこと」や、何を「作品」と呼ぶのかという話題へと繋がっていきます。
「作ったものに対して、どこまで責任を持つのか、どこまで責任を持つべきかという考え方に、作家としてのスタンスが反映される。磯崎さん自身ではなく、“うた”がそれを担えばいいのではないか」と小林は語ります。

「ぼくの場合は、映像作品のあの仏像。被災地と関わってきて、震災について考えなくてはいけないと思っていた時期もあるけれど、ぼくは常に震災のことを考えているわけではない。自分が死んでしまったら責任を負えなくなってしまう。仏像という自律したキャラクターや、一緒に映像作品を作った石巻の『友達』を経由して震災について考えることはできる。いろいろなキャラクターや『友達』をいろいろな場所に増やすことで、自分自身が責任を負うのではなく、結果的に作品で責任を負うようにしたい」
「『画廊跡地』では、作家を呼んで個展を開催している。自分はステートメントの添削をしたり、2人で一つの作品をつくっていると言ってもいい。『これで作品に責任を負える!』という瞬間を見たいし、作家がどういった基準で『作品』だと認めるのかを一緒に勉強している」

ここで、磯崎から「今まで小林さんがつくってきたものは『作品』ではないものもあるのか?」という問いが。
「トークに際してこれまでつくったものを見返すと、『これはドローイングではないか?』と思った。『作品』と呼べるものは、濡れ仏の2作と、cottolink(アーティストであり、2017年からの小林の同居人)と共作した1作の3作しかない。ドローイングと作品の違いは、映像内に登場した人物やキャラクターと共に、今後も歩んでいける否かにあると思う」

《お前からはいつだって予感がする》(2019)映像インスタレーション、ダブルチャンネル、右8分47秒、左8分48秒
《♯鳩羽つぐをさがすオフ》(2018) 映像インスタレーション、9分58秒(cottolinkとの共作)

ここまでの話を受けて、「キャラクターを未来の方向に投げたい」という小林。震災から時差がありながらも、被災地で制作を続けている2人だからこそのスタンスと、表現。2人のトークをラジオ配信でお楽しみください。

Information

磯崎未菜「singing forever 高砂」

■会 期 2019年6月8日(土)〜8月18日(日)9:00〜18:00
■観覧料 無料
■会 場
秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
高砂堂(秋田市保戸野通町2-24)※毎週日曜、毎月15日定休
■主 催 秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた
■協 力 CNA秋田ケーブルテレビ、株式会社高砂堂
■デザイン 根本 匠

ラジオ配信と関連イベントの音声をウェブサイトで生配信、アーカイブしています。
配信サイト http://singingforever.me/

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

一覧へ戻る