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菅江真澄をたどるプロジェクト
ディスカッション「真澄と美術との接点の作り方」

2019.11.08

「旅」「移動」「記録」「表現」などをテーマとした展覧会「Arts&Routes -あわいをたどる旅-」に向けた公開プロジェクトとして始まった「菅江真澄をたどる勉強会」。レクチャーに続いて、吉川耕太郎、小松和彦、石倉敏明、服部浩之によるディスカッション「真澄と美術との接点の作り方」が行われました。

「旅」「移動」「記録」「表現」などをテーマとした展覧会「Arts&Routes -あわいをたどる旅-」は、菅江真澄の旅の軌跡をたどるプロジェクトから始まりました。
プロセスを公開しながら、出来事や時間などかたちを持たないものを展覧会へと描き出す本展の起点とし開かれた「菅江真澄をたどる勉強会」では、前半は吉川耕太郎氏が考古学者の視点で、小松和彦氏は秋田の人形道祖神を調査する過程で出会った真澄像についてレクチャー。後半は、キュレーター 服部浩之氏、芸術人類学者・石倉敏明氏を交えた4人が真澄と美術の接点を題材に、真澄の記録に宿る創造性を語りました。ディスカッションの模様を公開します。

第1回「菅江真澄をたどる勉強会」
日時|8月20日(火)18:00〜20:00
場所|秋田公立美術大学 アトリエももさだ 作品展示室
ゲスト|
吉川耕太郎(秋田県教育庁払田柵跡調査事務所)
小松和彦(小松クラフトスペース・秋田人形道祖神プロジェクト)
内容|
・レクチャー
「考古学からみた菅江真澄について」吉川耕太郎(記録はこちら
「秋田人形道祖神と菅江真澄について」小松和彦(記録はこちら
・ディスカッション
「真澄と美術との接点の作り方」吉川耕太郎、小松和彦、石倉敏明、服部浩之

知的好奇心に突き動かされた結果としての「旅」

石倉 吉川さんと小松さんによるレクチャーは、とても面白かったですね。秋田には菅江真澄ファンは結構いると思うんです。どこへ行っても菅江真澄の痕跡が記念碑として残っているので断片的な情報を知っている人は多いと思うのですが。レクチャーを聞いて、菅江真澄をもっと立体的に見るとさらに面白くなりそうだということを強く感じました。

服部 菅江真澄が初めてこういう記録を残したという「初めて」ということがすごく印象に残りました。僕はそこまで菅江真澄の仕事のディテールを知らなかった。この人はなぜこんなふうに移動と逗留を繰り返すのか、彼の旅そのものに着目していたので新鮮でした。お二人の話はそれぞれ、真澄がどうやってものを見ていたかという観察眼であるとか、どう捉えて言葉にしていったのかというように具体的に捉えているのが興味深かったです。それは今、例えばアーティストみたいな人が何かを見て形にするときの態度にも通じるものがあるなと。そういう意味では、いろいろなことを初めてやっているのは何でなんだろうと思って、すごく驚きました。

石倉 僕が面白いなと思ったのは、菅江真澄は今の愛知県で生まれて、長野から新潟を通って北上し、秋田や岩手、青森、北海道に行ったり、また秋田に長期滞在もしているわけですけど、当時の江戸とか京都に行くことに関心がなかったように見えることです。すごく知識があるのに、それを都で発表しようとか社会的に成り上がってやろうといった欲望が感じられない。ただ世界を知ろうとか、今現在の自分の知らない所に行ってみようという好奇心に突き動かされている。先ほど吉川さんがお話されていた「欲求」とか「欲望」ですよね。最も初歩的な欲求としての「場」への働きかけとおっしゃっていましたが、その姿勢のすがすがしさは今、菅江真澄を見ると強く感じるし、すごく現代的だなと思うんです。ローカルからローカルへという運動が。そして、出世ではなく純粋に知的好奇心に突き動かされていて、それを後から見てみると旅をしているように見える。でも彼は、旅をしようと思って旅していたわけではないのではないかと思えるんです。そのあたりは、アーティストと接点があるんじゃないでしょうか。旅するアーティストと言われる人の多くは、好奇心とか表現力が強い人が多いですよね。

服部 特に何かを表現している人の旅には、旅をすることによって見えてくるものや、何かに行き着こうとしているものというのがあって。吉川さんがフィクションとノンフィクションのはざまみたいなことを言われていて、欲求と抑制のはざまで記録をしていくことは、ものを作る人の態度みたいなものにつながるところだなと思いながら聞いておりました。

石倉敏明氏(芸術人類学者、秋田公立美術大学准教授)

服部浩之(キュレーター、秋田公立美術大学准教授)

時間が伸び縮みしてしまう面白さ

石倉 吉川さんも小松さんもある意味、菅江真澄の精神や態度を尊重して、とても実証的に話をされていたのが印象的でした。論理的だし、観察を大事にされているし。でも生々しいんですよ、血が通っているというか。僕はそこら辺が可能性だなと思っています。菅江真澄がやっていることは非常に客観的で、それと同時に非常に生々しい主観も含んでいる。そこに、真澄という人物をもう一度取り出してみる必要があると思いました。そして単に旅をしただけではなくて、彼の旅を通り越してさらに僕らは旅を続けることができるという気もした。例えば200年前に初めて記述された道祖神のさらに奥に、道祖神っていつ作られたんだろうというタイムトラベルが出てくる。あるいは記録した土器を通して、2,000年、3,000年という時間が出てくる。そうすると時空を超えていく。時間が伸び縮みしてしまう面白さがあります。つまり過去の旅人ではなくて、むしろ未来にも行けちゃう未来の旅人のような気もしてきました。

小松 私が着ているこのTシャツは、今日の発表の中でご覧いただいた小雪沢の両手のないドジンサマです。もしかしたら真澄が記録したドジンサマそのものなのではないかという気がしているわけですが、これは一緒にプロジェクトをしているイラストレーターの宮原葉月さんが描きました。まずは人形道祖神という面白い民間信仰があるということ。そして菅江真澄が200年前にこれに初めて着眼して記録に残した。それを今のクリエイターである宮原さんが、イマジネーションを湧き立てて手がある形で描いたわけです。よく観察して描いているので、どんなにアレンジしても特徴が出ている。菅江真澄が気付きを与えてくれて、それが表現の根源になるという力が人形道祖神にはあるのでないかなと思います。

©️宮原葉月

©️宮原葉月

石倉 発想がすごく自由ですよね。けれどもちゃんと抑えるべきポイントがあって。恐らく美術館で菅江真澄を扱って、真澄の目を通してさらに先に展開していこうとするときに、そのあたりがヒントになりそうだと感じているんです。今そこにあるものを超えて、新しい創造に結び付けることができるのではないか。縄文土器や土偶に対する視点や科学的な分析がありながらも、それを記録して後世に残そうとする姿勢が非常に面白いなと。イメージとは何かということをすごく考えさせてくれる人だと思うんです。

文化人類学の世界では、1920年代にエスノグラフィー(民族誌)という記録上のフォーマットが作られた。ほとんが文章の形なんですが、レオ・フロベニウスなど何人かが素晴らしいドローイングを残している。ところが今、文化人類学者はあまり絵を描けなくなっています。そのため、実は最近の人類学の教育法ではエスノグラフィック・ドローイングという、ドローイングの授業をあえてつくる大学もあるようです。日本では真澄がかなり古い時期のエスノグラファー、民族誌学者と言っていいと思うんですが、現在の実験的民族誌というジャンルで試行されているような、イメージと文章の両方を等価で書きながら、ある意味ではアートの領域に近づいていくということを最初からやっていた。そういう意味では、非常に新鮮に思えるんです。考古学や民俗学、文化人類学、歴史学などいろいろなところにヒントを与えてくれるという気がします。

服部 菅江真澄はすごく領域を横断していますよね。ところでレクチャーの時、石倉さんがめちゃくちゃ土器をスケッチされていて。それが気になっていて。

石倉 フィールドワークの体験の中で、写真や映像を撮るだけではなく「線を描くこと」や「形をたどること」の価値が最近ではもう一度見直されています。時間がない中でぱっと描くというのは、必ずしもうまく描こうっていうことではないじゃないですか。それで僕もちょっと実験をしていたんですけども。スケッチやドローイングの技術は、視覚的なリアリティを理解する脳の訓練にもなります。例えば言葉が苦手だけど図像を描くのが得意な人って、口語ではない脳の部分を使っているわけですよね。僕の場合は美大に来て、そういう思考法や技術を持った人たちから教えられることが多い。僕はこれから学ばなきゃいけないのはそういうところかなと思って、先ほどちょっとだけ描いていました。

マクロとミクロを行き来する

服部 真澄はあるディテールにフォーカスしたり、すごく引いた視点で風景のようなものも描いたりしていますよね。その視点の行き来というか、ミクロからマクロみたいなところまでいくというのは、視点としては研究者的なものなのか、むしろもっと表現者的なのか。その点は吉川さんはどう考えますか?

吉川 真澄の研究者的な部分が大きく作用しているのではないかと思います。真澄は出土したものだけではなくそれがどういう地形の、どういった場所から見つかっているのかも考えて、研究者的な視点を自分の中で醸成していったというのがすごいなと思うんです。いろんな人に教えられて、それを自分の中で融合させて、この東北の地で醸成していった。絵もだんだんうまくなっていく。そういう飽くなき好奇心がある。その理由のひとつとして、真澄は外から来た人だからかなと。例えば道祖神にしても、ずっと見慣れていたらあそこまで描くだろうかと。真澄が表現するのは全て秋田のいいところ、東北のいいところですよね。それはいろいろな思いとかスタンス、執筆態度もあるんでしょうけど、土地のいいところを探していこうという姿勢があるのかなと思います。本当は真澄はすごく熱い人で、その熱さを抑え込んでいるけれど漏れてくる。それが多分、石倉先生のおっしゃっていた生々しさみたいな部分につながってくるんじゃないのかなと思いますね。