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菅江真澄『浦の笛滝』(写真:秋田県立博物館提供)

旅の始まりは、表現の始まり

石倉 そうなんですよね。「はじまり」に対する探求、つまりアルケオロジー(考古学)と、「いま・ここ」に対する関心(考現学)が彼の視点に含まれていると思います。現在と過去って、常に二重写しになっているというところを踏まえている。例えば実は「道祖神」っていう神様はこの世界の始まりに、あるいはある村の「はじまり」に存在した神話的なご先祖さまのイメージでもあるわけですよね。「はじまりの探求」という意味で、道祖神と菅江真澄とか、縄文時代の古いものと菅江真澄は非常によく重なり合ってくる。彼もそうした時代に連なる物事を、「いにしえぶり」という言い方をしていますよね。

服部 あと、未来を見ている感じはしますよね。記述の残し方も含めて、過去をきっちり調べるとか、きっちり観察することよって、恐らく未来へ残していこうとか。そういう視点は、その当時のいろいろな人にあったのかどうか僕には分からなくて。先ほどの「時層」という言い方に近いもので、それを内包している感じはすごくするなと思ったりします。

吉川 古川古松軒に対して、1,000年も後まで残るから書くときには自制しろみたいな。今の社会のSNSで過剰なまでに感情を表現する風潮に対して、こうした自制心も必要と言ってやりたい気持ちにもなります。

石倉 今は情の時代って言うんですか。情報とか感情に流されていくSNSの時代に、どうやって表現の自由を確保していくのかというときに、ある意味、菅江真澄的なクールさっていうのは大事かもしれないですね。彼は政治のことには関わっていかないという自制もあるわけですね。これも面白いなと思うんですよね。

小松 宗教的な、批判的な言葉も書いていない。

石倉 例えば江戸時代の秋田に生まれた平田篤胤とか安藤昌益っていう思想家たちは、哲学や形而上学的なことも書くし、宗教や政治に関係する重要な意見を書いていますよね。安藤昌益の場合は、仏教、神道を含めて古い観念的なものに対して非常に鋭い批判を加えていて。ただ、昌益の場合は、仏教や神道よりも身近にある古い実感を、農業や生活と密着する実践的な思想の形で生かしていくための知恵や独自の宇宙論、政治的な自立の思想を再構築しようとしていました。そういう意味では、外から来て、あくまでも客観的な記述にとどまろうとした菅江真澄とは対照的かもしれません。

吉川 恐らく過激なことを学んでいるはずなんですけど、一切触れていないっていうところに計算高さっていうのがあるんじゃないかなと。結局、藩から許可を得て移動したりするには、ある程度は信頼性がないと駄目なんですよね。そういうところでも、自制心っていうものが働いているんじゃないかなと。

石倉 そうですね、たしか弘前藩では追放されたりして。北海道と松前でもスパイの疑いとか、危険な目に何度か遭っていますよね。秋田に来て、頭巾をかぶったのは刀傷を隠しているんじゃないかみたいなうわさもあったようです。生き抜くための知恵だったのかもしれないとも思いますね。

小松 読んでいくと、ちょっと格好つけている感じなところがありますよね。わざと古い文体で書いてみたりとか。ああいうところって文学的にいい文章というわけではないんですが、ちょっと格好つけみたいなところが何となくちょっとださい部分っていうか。和歌もいっぱい書いていますけど、そんな傑作なんかないこととかもね。本当にクリエイティビティーなのかというと、逆に弱いのかなっていうところがある。

服部 フィクションだけじゃ駄目っていうことですよね。結局、アクセスできる何かがあった上での彼、その想像力みたいなところなんですかね。

石倉 じわじわ来るタイプですよね。1,000年後にじわじわ来るっていう。誰もが100点満点を付けるような絵でも文章でもないんだけども、後から効いてくるっていうね。

小松 じわじわと。

石倉 スルメみたいですね。笑

服部 単純に発想力だけの天才というよりは、積み重ねみたいなものというか。絵もだんだんうまくなっていって、最初に長野で描いていた絵とは全然、違いますよね。そういうのが見えてくることに人間味も感じますね。

小松 自分は絵が下手だけれど、これから描いていくんだということを長野で書いていて。

服部 そういう意味では継続性とか。最後は地誌を依頼されて編むまでになっているわけですよね。そういう止めないことだったりとか。

石倉 止めないこと、始めること。彼は旅の始まりが表現の始まりになっているじゃないですか。それがすごいなと思いますよね。人間の移動が、そのまま彼の人生である表現であり。それが100年後、1000年後に残るというね。

知恵を大切にする感性

小松 真澄は旅立つとき、日本中の神様を崇め奉るということを言って出発する。旅の動機をそのまま鵜呑みにするのであれば、かなり単純だったと思うんですけど。それがだんだん進化していくのがすごく面白いですよね。

石倉 彼の同時期の神道の流派などにイデオロギー的に誘導されていないし、仏教のこともかなり客観的に書いていますよね。むしろ、仏教でも神道でも「割り切れない部分」に対して、ぐっと入っていく。しかもクールに。アニミズム的なものにも距離を持って入っていくことができた、というのが、後世に残った秘訣かもしれないですね。

小松 そうですね。割り切れないところに自分を通さない。考えを前面に出さないところっていうのが魅力ですよね。

服部 いろいろなところから自由にアクセスできるというのは魅力ですね。それこそ継続性があって、さまざまなところを複合しながらやっているからこそ、それぞれの全然、違う専門の分野から、なぜか興味がかき立てられてしまうというか。

石倉 彼は博物学や本草学も勉強していますし。植物とか動物とか薬草の知識がベースとしてあるから、見たら描けるわけです。それに人に対する関心というのもあって、民俗学者顔負けのことをやっている。歴史への関心も、考古学への関心もある。そういう意味では、ヨーロッパで言う百科全書みたいな人なんですけど。ただ、彼は旅をしながらそれをやっているっていうことですよね。ゲーテも旅をよくした人ですけれども。ちょっとそれに近いようなところがあるかもしれないですよね。

小松 観察して書くには、かなり理系の知識が大きいですよね。私も考古学を専攻したときに、考古学は文系だけど理系の分野だと言われたことがあって。理系と文系では割り切れないとは言っても、そういった知識のベースがあってなのかなという気がします。

石倉 そうですよね。西洋の科学に対するローカルナレッジ、あるいは伝統知と呼ばれているものがあるんですけど。菅江真澄がかき集めていた小さなサイエンスは、世界中にあるんですよね。薬草の知恵だったり、天文学的な日の出、日の入りの知恵だったり、鉱物に対する知恵だったり。知識ではなくて、知恵と言われているものを大切にする彼の感性の鋭さ。そして、それを集めてきて一つの大きなものに変えていこうという記録の仕方というのは、非常に面白いですよね。

吉川 菅江真澄の時代は、ヨーロッパでも近代科学がどんどん発達していって。ヨーロッパそのものを体系立てていったときに、日本では菅江真澄とか水戸光圀もそうですけど、そういう人がぽつぽつ現れるが体系化されなかった。江戸時代の封建的というか儒教的というか、19世紀の時代性みたいなものがあった。

石倉 ヨーロッパだったら、すぐに天才と呼ばれちゃっていたと思うんですよね。レオナルド・ダ・ヴィンチみたいに扱われたかもしれない。でも彼は謎の、怪しいおじさんのまま死んでいくっていう。すごいですよ、これ。そろそろ今日の話を振り返りたいと思うのですが、質問や意見などありましたら。