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事務局長の旅日記Vol.9「誰のために」

アーツセンターあきたの事務局長が、旅先で広めた見聞を旅日記にまとめる不定期のコラム。少しご無沙汰してしまいましたが、第9回目は日本文化政策学会で訪れた八戸市での学び(直し)について。

3月15日~16日に八戸市を会場に開催された日本文化政策学会第18回年次研究大会。「事業評価」や「都市計画と文化政策」など、個人的な関心事項にひっかかるセッションが多く、非学会員ながら参加を決めました。新幹線での移動中は、作業が遅れていた次年度事業計画の目的や目標、評価指標や評価方法の整合性をチェックする作業に集中。盛岡駅ではやぶさに乗り換える頃には作業を無事に終えることができ、少し仮眠をとり、仕事を片付けた達成感を抱いて八戸市に降り立ちました。

そうして迎えた学会最初のセッションは、「説明能力(account-ability)を高める評価の試み―八戸市美術館、札幌市民交流プラザ、アーツコミッション・ヨコハマの実践」。

八戸市美術館、札幌市市民交流プラザ、アーツコミッション・ヨコハマが取組む事業評価の事例紹介と、九州大学大学院の中村美亜先生、文化コモンズ研究所の大澤寅雄さんによるディスカッションが行われました。3つの施設・団体が試行錯誤を重ねながら進める事業評価の報告やディスカッションを聞きながら、先ほどまで新幹線の車内でしていた自らの作業を思い出し、「いったい私は、誰に評価を説明しようとしているのか」と暗澹たる気持ちになっていきました。説明する対象者として即座に思い浮かんだのは、予算の決定権をもっている人たち。しかし、彼らに納得してもらうように事業計画をつくり、事業を遂行することに意味があることなのか(いや、そうではない)。また、「市民のため」と言ったとして、私たちがまとめている事業報告書は、市民に届く内容になっているか(いや、全然なっていないし、そもそも届けようとしている市民って誰だ!?)。自身が嫌悪していた、本質から外れた方便のための仕事を自らも無自覚に行っているということの衝撃。そういった思いが一気に押し寄せ、脳内も、寝不足でバキバキの首と背中も、一斉に悲鳴をあげだしました。そして、これまで職員向けにやってきた「自分たちのステークホルダーを想像する」研修プログラムの様子や、職員の顔などが走馬灯のように去来し、自分は本当に何をやってきたんだと激しい自己嫌悪に陥る始末。

思わず書きなぐった自分への問い「誰に対して評価を説明するのか?」「誰に対しての言葉か。」

「ああ、もう限界」と椅子にしがみつきながらディスカッションに耳を傾けつづけていると、札幌の事例を引き合いに「上がつくる目的で使われている外向きの言葉と、現場の担当者が用いる言葉は違うようで、実は本質的にずれていない」(脳内混乱状態でしたので、正しい発言内容ではないかもしれません。ご容赦ください!)という登壇者の指摘に、再びはっとさせられました。

立場や担当業務によって、日常的に事業について説明する相手は異なるわけで、したがって用いる言葉も変わってくる。重要なのは、言葉は違ったとしても本質がずれていないこと。その本質が何なのか、きちんと職場の中でコミュニケーションを重ね、共通認識を形成していくことに時間とエネルギーをかけることが大切であるということに気づくことができました。

新幹線で作業を終えた時には、現場を担う職員によって記述された目的や目標、評価指標等が「ちょっとずれている」感覚を抱き、勉強会が必要かもしれないと社内SNS上に、ちょうど提案をしていたところでした。それが、勉強会という一方的で強制的なインプットではなく、対話やコミュニケーションによって乗り越えられるのだとしたら、それを目指したい。

今回の学びを、即座に社内SNSで同僚とシェア

あっという間に、アーツセンターあきたも設立から8年目。「誰のために」という視点により意識的に取り組んでいきたいものだとの思いを新たに、秋田への帰路についたのでした。

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた 事務局長

三富章恵

静岡県生まれ。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。2006年より、独立行政法人国際交流基金に勤務し、東京およびマニラ(フィリピン)において青少年交流や芸術文化交流、日本語教育の普及事業等に従事。
東日本大震災で被災経験をもつ青少年や児童養護施設に暮らす高校生のリーダーシップ研修や奨学事業を行う一般財団法人教育支援グローバル基金での勤務を経て、2018年4月より現職。

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