境界の曖昧さ
「藤原櫻和子個展 風の流るるかたわらに」が、2025年11月8日(土)から12月7日(日)まで、秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTで開催された。筆者は会期後半の12月初頭に、本個展を訪ねる機会を得た。
その少し前から、全国各地でのクマ出没に関するニュースが報じられ、世間を俄かに震撼させていた。とりわけ秋田はクマの目撃多発地域であるといわれていたので、どこか実感のないまま、しかし漠然とした警戒心をもってこの時は秋田入りした。実際のところ、市内施設の建物入口は、クマの侵入対策として自動扉が電動から手動に切り替えられ、大学の工房棟では、ノートをちぎったようなラフな貼り紙に「クマ注意!」と喚起しているのを見かけた。そのゆるやかというか、文字の軽快な調子が、かえって事態の深刻さを感じさせた。学生の大学生活もサークル活動が制約され、土日含めて開放されていた校舎には入構制限がかかったという。「クマに気をつけて帰りましょう」というフレーズが、まるで「雨に気をつけて」と同じくらいのニュアンスで交わされ、何かの合言葉のように印象深く耳に残る。その挨拶一つとっても、すがたを見せないものの気配に対する緊張感と、それを解そうとする軽やかさが拮抗し、日常の間隙に溶け込む無情の現実を垣間見た気がした。おそらく、生活する上で本当に気をつけなければならない事柄は、いくらかのカジュアルさをもって、日頃から織り込まれておく必要があるのだ。
秋田を含む北方の地域で形成されてきた風土や民俗において、人間と熊との深い関わりが見出せることは想像に難くない。それは同時に、外部の人間からすれば対岸の出来事として捉えられるものであった。ところが、もはや誰もが感づいているように、この数年間でクマなる存在が突然私たちの生活に入ってきたのではない。最初から、テリトリーの断面は、すぐそばにあったのだ。これからは、熊が人間に与え続けてきたインスピレーション、隣人としての熊とともに生きてきた歴史のラインを、より解像度高く、見据えておかなければならない。かつて網野善彦が非農業民モデルで日本史像を結び直したように、私たちが気づいていないだけの社会の深層に対して、常識から零れ落ちてきた表象を想像する力を働かせる必要がある。
同時に、思うことがある。たしかに、年の瀬が近づいた、ある日の体験に過ぎない。しかしながらあの時、現在進行形で生じていた皮膚感覚を、これから先、いつまで記憶しておけるだろうか。認識の問題として、自然と創造物、野生と人間社会を隔てる何か、延いては生と死―当然と信じていた境目が変わる瞬間は、突然やってくる。たとえ隣り合わせにいたとしても、ものとものの境界ほど、曖昧なものはない。

対流する空間と時間
本個展で、藤原櫻和子は「境界」を一つのテーマとして掲げていた。
現在の藤原が制作する作品は、主に2つの表現に分けられる。土を焼成した立体的造形と、土を画材として描かれたドローイングである。やきものは手びねりで袋状に立ち上げられ、焼き締められる。中空を抱えつつも、空気をため込むのではなく通過を促すような、破ける動態の一瞬を捉えたような姿を呈する。絵画はオーガンジーのような透光性の高い布地の大画面に、画材そのものにマチエールが含まれているような抑揚のあるストロークで図様が描かれている。会場には、5点の立体が床に置かれ、5枚の絵画が天井から掛かり、大人の目線からするとかなり低い位置に電球が吊り下げられていた。

本展の開催に際して、藤原は次のステートメントを寄せている。
この場所と、あの場所。
こちらの風と、あちらの風。
漂い、流れ、混ざり、
やがてまたどこかへ流れていく。
そのうねりは、大きな流れとなり、ここに。
確かにここにあると。
風の流るるかたわらに。
私たちはいるのだと。
風、うねり、流れ、あちらとこちら(延いては、彼岸と此岸)。ここには、藤原がたびたび口にするキーワードが詰まっている。このステートメントは、藤原自身が視覚的に表現しようとすることの、かなり正確な描写である。若い作家がしばしば陥りがちな、理想の言語化と実態の手作業との落差や破綻というものが殆どなく、自らの内なる声に耳を澄ませた、藤原の誠実な態度が結実する。
本展を構成するにあたり、藤原は「作品一つ一つがありながらも、空間全体を一体の作品として見せたい気持ちがあった」という[i]。さらに「私たちは毎日忙しなく生活しているが、それでも毎日風が吹く。まわりまわって大きな流れの中で生きていることを感じてほしく、展示空間は『ゆるやかな時間が流れるように』した」とも語った。藤原が展示全体で表そうとしたことは、空間と時間、双方の軸における対流であった。
個々の制作物の鑑賞を促すよりも、場としてシームレスであることを際立たせること。それは翻って、対極的なものの存在や、同一と信じている現象の両義性を自覚させる。床に置かれたやきものと宙に吊るされた絵画は、メディアとしての立体と平面の違い、重力と浮力の拮抗、異なる質感の共存を示唆する。観者は作品と対等な立ち位置で空間に佇むこと、あるいは座り込むことで、ものとものの間にあるものや、自己と他者を隔てるもの、境界とは何かを考えさせられることにもなる。そこで私たちに求められたことは、作品と対峙し、内部に潜入するという意味での、いわゆる没入型の「作品鑑賞」ではなかった。(その意味で、床に置かれたやきものに対して、鑑賞者の視線を下方に向ける意図があったというあの電球の高さは、シンプルにものを照らす光源としても、またここで企図された「鑑賞」的態度を促す装置としても、少し不親切であったかもしれない。こう記したとて、空間の調和を惑わす異質さを否定するものではない。藤原には、自己内在化された視線も、対象を突き放して俯瞰する視点も備わるが、自己完結しない、あるいは予期しない状況に直面した時に、光との関係性は探究の余地のある、おそらく今後取り組み得る課題の一つではないかと思う。)
藤原の求めに対して、本展会場でnostがみせたパフォーマンスは、その応答のひとつのかたちであったといえるだろう。やきものをさすり、電子鍵盤の上にやきもののかけらを置き、やきものに音を奏でさせる。そこに藤原にインタビューした声をサンプリングして重ねる。音と声のあいまに、30分弱の演奏は藤原の作品に潜在する感覚を増幅させ、「もう一つの空間」として見事に浮かび上がり視覚化された。あえて視覚、と書いたのは、眼前のやきものを介在させた空気の波動の顕現だからである。両者の共演による「もう一つの空間」の現出は、あの場にいた参加者の鑑賞体験を深化させたが、同時に、「観る」「観られる」の対象の関係性が常に表裏一体であることも気づかせた。(参加した学生の一人が演奏の途中で体勢を変えたことの理由について、最初は演奏するnostの姿を見つめていたが、途中でこの個展で観るべきは背中側に広がる空間にあると気づいたからだと語っていた。)元々は音楽を聴く装置であったターンテーブルが演奏する楽器に転じたように、音は聴くものという常識すら覆す、ささやかながらも芯の強い訴えが感じられた。と同時に、制作者と演者と参加者が一体となった一連のパフォーマンスがもたらしたのは、藤原自身の言葉を借りれば、これまでとこれからの生を肯定する「祝福」であった。

プラーナとしてのやきもの
藤原の彫刻とドローイング、あるいはやきものと絵画に、共通するモチーフは土と風である。元々は油彩を勉強していたが、陶芸の指導教員である安藤郁子との出会いも機に、やきもので表現する道に進んだ。しかし藤原にとって、従来の陶芸作品にみられる、重力に従うような量塊感は、自身の表現として求めるところではなかった。むしろ大地に由来する素材として土が有する、自己と他者を繋いだり、対話を可能とする性質を拠り所とした。「やきもので塊を作りたくない」という造形思考は、いわゆる土の生理や陶芸らしさに配慮したものではなく、形が崩れ始めても構わず穴を開け続ける態度を生んだ。立体のフォルムは、藤原が主題に掲げる「風通りのよい形」を表し、極力薄手であることを望み、布や衣服の襞のような顕れとなっている。ある形を「とどめる」とも「再現する」作業とも異なる手びねりの集積である。しかし卒業制作時に比べると、近年は穴の割合は減少したといい、本展の出品作品はひらひらした浮力だけでなく、何かを包むような弾力を身につけていた。地球に対する気宇壮大な想念から、より近距離の実生活や故郷への想いへ、藤原において学部の卒業制作から今日までの短くもかけがえのない年月の中で起きた変化は、展覧会にあたって公開されたウェブサイトにまとめられている[ii]。穴が塞がるというのは、藤原自身の精神や実生活ともリンクしたメタファーでもあり、また安藤と同様に、生そのものが実直に作陶に結びついた振る舞いである。土に対してより相対的な態度を取れるようになったとき、むしろ藤原の造形は土の可塑性や焼成の理にかなったものとして地に足がついていく。

より作風の根幹を占める「風」という主題は、風そのものの表象というよりは、空気が通り抜けていくさまや大気の循環、ダイナミズムとしての風を捉えるものである。藤原が多用する「風がまわる」「風がめぐる」という表現は、異なる土地(現在の秋田と郷里の兵庫)を一体に結ぶワードでもある。それは、呼吸や息吹を意味するサンスクリット語の「プラーナ」に近しい概念ではないかと推察する。風は、体内のリズムを整える契機にもなり得る。風を通して、異質な他者を受容していく強さが増している。
風という主題との邂逅は、藤原自身の具体的な体験に基づく。本人のエピソードによると、藤原は日頃あまり発言をしないタイプで、日々、表に出ていかない言葉が腹の内に溜まっていく感覚を抱いていた。それは重たく、毎日しんどいものであったという。ある日、大学から最寄り駅まで徒歩15分くらいの一本道を歩いていたときに、風が吹いていた。何か気持ちいいなと思い、その風を思いっきり吸い込んだ。風を腹に入れたらいつもの重さが消えて身が軽くなり、気持ちが良くなった。この体験を経て、藤原は「風を入れて出すこと」に興味を持つ。曇天の多い秋田の気候とも関わる、藤原にとっての芸術的霊感を得たきっかけともいえるが、藤原自身の中で、風が満ちる準備ができていたのだろう。風への気づきは、表現を生活すること(生きること)と地続きに捉えることを導く契機にもなっていた。


描くことの身体性
土に取り組む過程から、藤原は異なる表現手法として絵画を手がけていく。同級生の友人・曽田萌とユニット「土間(どま)」を組み、「泥ーイング」と称して土由来の画材を壁面などに即興的にのせていく制作活動を不定期で行っている。本展には、藤原が一人で制作した平面作品が発表された。作品は、秋田市内の新屋で描かれたものと、仙北市の角館で2日間滞在制作して仕上がったものからなる。前者はひとけのない場所で、誰も入ってこない孤独と静けさの中で制作した。後者は公開制作であり、人の出入りが多く会話が飛び交う環境で仕上げた。ここでは、いわば異なる精神状態が反映された画面が混在する。画材は、自ら掘削した土や、釉薬を作るときに用いる酸化鉄の粉、腐葉土、墨を混ぜて作り、そうして色の階調を増やしていく。近隣を歩いて拾った木の実を潰して描いたりもしたそうだ。そこに描かれる画面には一日の出来事が描き重ねられる。その日みたもの、聴いた音。屋根から響くカラスの足音を追ってみたり、雨音で目覚める朝など、そのときどきの五感への響きを線や点で表している。


藤原にとっての表現するメディアの違いは何か。やきものは焼き固まる、静的なものであり、風を通るかたち、一瞬を切り取るものである。絵画は「描き重ねる」もので、風が流れ続ける、動的なものであり、変転し続けるものである。土を使って身体を動かすことを起点とした表現は、視覚的に訴える欲望とは趣向を異にする。何かを描こうということではなく、「土を置く」ことを重ねていくのである。作品制作は、孤独と賑わい、沈黙とコミュニケーションを互いに行き来することで、表現として強度を増していく。やきものにおける身体的動作の反復、あるいは継続して土に触れ続けることにより、藤原は「手の使い方がわかってきた」という感触を得る。指の腹の部分を使い、なでるように積み上げていく行為は、ドローイングの手法にも反映される。やきものと絵画の往還が、藤原の表現をより骨太に育んできた。
無為と発見の系譜
芸術、工芸、装飾、産業、流通、接触…あらゆる角度から切り込むことが可能な陶とは、現代において最も多義的な表現の一つである。表現史の視点で陶の世界を見つめると、人々のあるモノに対する憧憬の念が新しい造形を切り拓いてきたということがいえる。金属器のすがたの写し、玉のもつ質感への到達など、憧憬は大切なエネルギー源、制作動機である。憧れの出発点は、近現代にくだるにつれて、制作者の没我から自我へとシフトしてきた。
「陶芸」という呼称には、陶磁器に芸術表現を認めようとする、芸術として自律的なものとみなす眼差しが込められている。日本語の「陶芸」という言葉が人口に膾炙してから、せいぜい100年ほどである。「陶芸」という作品の捉え方が近代化の中で生じた視座であるということを考えると、「陶芸」というフレームにあてはらまない土の表現が多数存在することに違和感はない。土で表現することの全てが「陶芸」ではない。
外見上の特徴として、あるいは用途性により、多くのやきものは器形である。そうでないものであれ、多くの「陶芸」は内側と外側の造形と中空を有する形態をなすが、内と外が地続きとなった、表面の芸術として捉えることもできる。やきものが陶芸として自律していくときに確実にモデルとなったのは彫刻であったが、その倫理観もまた近代の産物である。物理的に厳密な意味では塊ではないやきものは、皮相、皮膜の戯れとみなすことが可能である。地続きでありながらも区切りでもある両義性は、まさしく安藤が「皮膜は内と外の境界」と語るとおりである。
藤原の作陶はきわめて個人的な営みだが、陶の師であるといって差し支えないであろう安藤郁子のDNAを受け取っていることは確かだろう。安藤が土を自身に内在化させることで作品制作と人間の生を分かち難く結びつけているように、「人間を表現しようとすれば、器にひびが入らざるを得ない」[iii]という思いが、形を変えて藤原に顕現している。ただし、陶芸を始めた時代背景も含めて「作品は苦しみの中から想像しなければならない」という安藤が抵抗を続けてきた深刻さや熱源としてきたものは、藤原においては日常性や愉悦にとって代わっている。

藤原が風に託したように、絶えず動き続けるものの肯定とは、つくらないことの積極的な態度とみることができる。八木一夫、イサム・ノグチらが濫觴となった戦後陶芸のモダニズムの曲線、自らの輪郭線を引くことの探求とは違う進路だ。
「つくるというよりは生まれてくる」ようなものを希求する無為への志向は、近代の陶芸家が取り組んできた大義の一つである[iv]。より一層、創造者というよりも土と火の媒介者であるという自意識が進むと、「つくらないこと」(形づくらないこと)を表現する志向が現れてくる。土で表現することを本質としながら、陶芸(今日では歴史的概念になった「オブジェ焼」、「クレイワーク」)に対する距離を置く態度は、2010年代以降に顕著となる、かたちよりも装飾や現象を重んじる制作の傾向に繋がっている。「つくらないこと」を支える動機は、「発見すること」である。今日的な「つくらない」系譜のルーツの一人に、現在伊賀を制作拠点とする植松永次を挙げることができる。植松は油彩や木版といった平面の制作を続けるうちに、個性の表出への違和感を覚え、1970年代初頭から土と火に立ち返った。やきものを「つくらない」という発想から出発し、現在では粘土や泥を焼いてみて「つくるというより、できてくる」ものを見出す喜びを重んじる[v]。飄々とした植松を尊敬し、直接あるいは間接的に刺激を受けた作家は少なくないが、植松こそが安藤に直接的に大きな影響を与えたアーティストである。
古来、作陶は量産性を本質とし、窯業技術はいかに効率よく人々の求めるやきものを作るかということへの応答として発達してきた。その結果生まれた無名の量産品に美しさを見出すこともあるが、そうした効率的な生産体制から逃れた結果として、より深く、根源へ立ち返っていくことになる。根源的な領域の発見は、発掘を促す。小川待子もまた、「つくらない」作家の道、やきものに人間の本質を映し出す態度を切り拓いてきた一人である。小川はクレイワークが評価の全盛だった時代に作家となるが、終始一貫して自作が「うつわ」であることを求めてきた。1992年頃には「かたちはすでに在る」[vi]という認識に達し、「うつわというのはやはり人間を表現できる。遺跡もそうですよね。人間の痕跡、生きた時間。割れたうつわも失われた時間を」と語る。「自分で作っていながら、傍観者みたいなところがあるんです。だから終わると何か自分には関係の無いものになるような感じがある。自然に生まれて来たもののような」とも述べている。ここで触れた安藤や藤原の源流にあるような、つくらない行為の肯定である。
鯉江良二や内田鋼一が陶芸を窯業全体の一部にすぎないと見通しているように、制度として陶芸と線引きするかしないかにかかわらず、陶芸の現代を切り拓いてきたのは、既存の枠組みにとらわれない人たちだ。無為であることや発見することの重視は、当然ながら技術の否定ではない(やきものの原理や構造に対する深い理解を前提とする)。ただ観る側が、焼き締めという技法で括ったり、プリミティヴィズムと言明することで、途端にエッセンスが脱兎のごとく遠ざかっていくようである。藤原が先達に対してどこまで自覚しているかは定かではないし、究極的にはどうでもよいことかもしれないが、藤原や安藤の立ち位置を見つめたときに、あまりに繊細で特異に見えることもまた、連綿と続く陶をめぐる継承の流れのなかで捉えることができるのである。


境界線の先へ
本展のヴィジュアルイメージは、藤原が撮影した写真である。茫洋とした海景だが、「空か海なのか、境界が曖昧になるときの穏やかさ」を捉えているという。つくらないということは、現在の肯定であり、作品という虚構を現実に引き寄せ、簡単なエンディングには導かない、積極的な創造である。他者の力を信じることにも通じていく。休息こそが最も自覚的であらねばならず、創造的であるともいえる。不在の可視化でもある。存在と不在の境界は何か。

藤原には、自作は野外に置いたほうがいいという考えがあるが、それは予期せぬ時間性や事物との新しい関係性が集積されることへの許容を意味する。
自作については「今回の展示がベストな場所ではなく、いろんな場所に連れていってあげたい」と話す。小さな完成としての作品の立ち上げ、焼き上がり、そして展示構成は、陶芸のプロセスにおける最終地点ではあるが、次なるやきものへと連なっていく。ふと、ティム・インゴルドの次の言葉が想起される。「散歩に出かけるラインのように、徒歩旅行者の小道はあちらこちらに進んでいく。方々で中断してからまた先に進むこともある。その小道には始点も終点もない。道の途中において、彼は常にどこかの場所にいる。しかしすべての「どこか」は、別のどこかへ行く途中である。住まわれた世界とはそうした踏み跡の入り組んだ網細工であり、生がそれらの踏み跡に沿って進んでゆくにつれて絶え間なく織られ続けるものである」[vii]。
12月初頭、藤原はクマ避け対策で友人たちとサンバを踊っていると話していたが、今でも続けているのだろうか。バシュラールが物質的想像力論で提起したように、風は飛翔の表象である。秋田での6年間を終えて、故郷や家族のことも想いながら、藤原はきっとまた新天地を見つけていくだろう。この先、どのような困難に向き合ったとしても、何かが思うように発芽しようとも、しなくとも、あのとき見届けた祝福、テクスチャーの追憶が消えることはない。どうか真に、創造的に、生き続けていくことを願っている。

写真:越中谷優一
[i] 以下、本稿において参照した藤原櫻和子の発言は、2025年12月1日にBIYONG POINTにて、藤原と安藤郁子と筆者とで行った鼎談の内容に基づく。
[ii] NPO法人 アーツセンターあきた. “こちらと、あちらの風 藤原櫻和子個展「風の流るるかたわらに」開催”. 2025年. https://www.artscenter-akita.jp/archives/56807,(参照 2026-01-26).
[iii] 川北裕子.「試論:うつわにおける“四次元”についての考察」, 『The Fourth Dimension うつわの未来へ』, 益子町文化のまちづくり実行委員会, 2022年, p.5
[iv] 例えば、濱田庄司(1894~1978)はやきものについてたびたび「作ったというより生まれたというような」ものを欲しいと語り、加藤唐九郎(1898~1985)は自作の志野茶碗の紫色について「(焼成の結果)創り出したものではなく、授かったもの」と述べている。
[v] 林いづみ.「植松永次」,『美術手帖』, 第77巻1104号. カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社, 2024年, pp.42-49.
[vi] 天野一夫.「小川待子インタビュー」, 『小川待子|生まれたての〈うつわ〉』. 豊田市美術館, 2011年, p.19.
[vii] ティム・インゴルド. 工藤晋訳.『ラインズ 線の文化史』. 左右社, 2014年, p.135.
Profile プロフィール
川北裕子 Yuko Kawakita
Profile 作家プロフィール

Information
藤原櫻和子個展「風の流るるかたわらに」開催
※本展覧会は終了しました。
▼風の流るるかたわらに
■会期:2025年11月8日(土)~12月7日(日)
入場無料、会期中無休
■会場:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT
(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
■時間:9:00〜17:30
■関連イベント「鑑賞会&トークセッション」
2025年12月1日(月) 17:15~20:15
登壇者:川北裕子(パナソニック汐留美術館学芸員)、安藤郁子(秋田公立美術大学教授)、藤原櫻和子
演奏:nost(ソーシャルサウンドアーティスト)
■主催:秋田公立美術大学
■協力:CNA秋田ケーブルテレビ
■企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた
■お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL.018-888-8137 E-mail bp@artscenter-akita.jp
※2025年度秋田公立美術大学「ビヨンセレクション」採択企画