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風が巡る、完結しない力 藤原櫻和子個展「風の流るるかたわらに」トークイベントレポート

秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTにて2025年11月8日から約1ヵ月間開催した 藤原櫻和子(同大大学院複合芸術研究科)による個展「風の流るるかたわらに」。会期終盤の12月1日には、ゲストを招いて鑑賞会とトークイベントが行われました。

風を主要なモチーフとし、土を素材に制作を行う藤原櫻和子による個展「風の流るるかたわらに」。土を焼成した立体作品と、粘土を描画材料としたドローイングを展示し、空間全体を一つの作品とすることを試みました。

2025年12月1日には鑑賞会とトークイベントを開催。トークに先立つ鑑賞会では、展示室内でサウンドソーシャルアーティストのnost氏が演奏を行いました。陶器の破片や造形作品の空洞などからも音を奏で、藤原による展示空間と共鳴した音響体験をもたらしました。

その後、パナソニック汐留美術館学芸員の川北裕子氏と秋田公立美術大学ものづくりデザイン専攻の安藤郁子教授をゲストにトークを行いました。川北氏は益子陶芸美術館の学芸員を経て現職で、近現代の工芸デザイン分野を担当し、多数の展覧会を企画されています。安藤郁子教授は陶芸を専門とし、藤原の制作を学部時代から見守ってきました。

トークに先立って行われた演奏会のダイジェスト映像

表現の現れ方が地続きな空間

川北:私は過去に栃木県の益子町という、関東では一番大きな焼き物の産地にある美術館で学芸員をしており、それが出発点になっています。もともと陶芸や工芸を勉強していたわけではなく、たまたまそこで仕事をしていく中で、焼き物の世界に出会っています。もともとは絵画ですとか、美術全般に関心がありました。

焼き物というのは非常に多義的な表現ですから、立場によってどう捉えるかというのはすごく違うんですけれども、私は土で表現していく現代性に非常に関心があります。そういった視点で、藤原さんの作品も見ていますし、いわゆる焼き物にもそういう観点から接しています。

左から安藤郁子氏、藤原櫻和子氏、川北裕子氏

川北:私はnostさんが音楽を奏でる前に、この展示を一度拝見しました。藤原さんが、風というものを一つの鍵にして作品を作っているということを踏まえ、それがどのように空間の中で展開されているのかを、あまり前情報を入れずに見るようにしました。

まず思ったのは、非常にシームレスな空間になっているということです。平面作品と立体の作品が交差していくんですけれども、そこでは素材や、表現の現れ方が地続きになっていて、藤原さんが意図していた「空間で見せる」ということが、的確に成立していると思いました。

一方で、質感の両義性のようなものを感じました。すごくゴリッとしたところと、ツルッとしたところが、不思議と共存している。あるいは重力と浮力が拮抗しているというようなことを感じていました。

さらに、nostさんの音の空間の中であらためて鑑賞したことで、そこに新しい空間が重なり合って、より豊かに、藤原さんがきっと描いているのであろうものを、五感の深いところで感じることができました。シームレスというのが、また音の世界においても改めて感じることができるなというふうに思った次第です。

安藤:シームレスという言葉、地続きという言葉が、一つのキーワードだと思いました。

藤原:地続き……。私はよく、風が回るとか巡るとか、そういう言葉の使い方をするんです。秋田を出発地点として風がぐるりと流れて、また秋田に戻ってくる。そして、また流れていく……。そういうことを、よく考えています。例えば秋田と、私の地元の兵庫というところで、場所は違えど回ってくるものは同じであるということを考えていたりするので、川北さんが言ってくださった地続きという言葉に重なってくると思いました。

ドローイング、泥ーイング

川北:あらゆるものが一つの風だったり、エネルギーを通してつながっていってという考えがある一方で、藤原さんの中では、あるものは焼き物の形として表れてきていて、また別のものは絵画的な表現として出てくるわけですよね。そういったところに何か、ご自分の中で違いというのはあるんですか。それとも、実は、私たちが受け取っているほどには違いはないのでしょうか。

藤原:焼き物は焼くと、パキッと固まってしまい、あまり動きがないように私は思っています。風が通るという形を作っているんだけれど、一瞬を切り取るようなことをしているように思います。絵画は描き重ねられるというか、ずっと重ねていける、変わり続けられるというところがある。風が流れ続けるということにすごく近い、動きのある表現の仕方かなとは思います。

川北:藤原さんの中で、先に焼き物の表現が深まっていて、だんだんと、焼き物では表現できないことが絵画として出てきているんでしょうか。あるいは、同時多発的にというか、一緒に芽生えてきているのでしょうか。

藤原:絵というか、ドローイングはもともと描いていなくて。焼き物をやってきた中で、土という素材についてもっと考えたいと思ったのがきっかけで始めたんです。大学院の友人と2人でドローイングの活動をやっていました。今回は1人で向き合って描いてみることにしました。

川北:実際に1人で描いてみて、違いはあったんですか。

藤原:今回は2カ所で描いており、1カ所は新屋にある新屋NINOという場所で描いています。もう1カ所は角館にある五井酒造さんというところに5日ほど滞在し制作したものです。その二つの場所では、描いていたときの気持ちがすごく違います。新屋NINOというところは人通りが少なくて、夜は怖くて、寂しいなと思いながら、それでも頑張って描くぞという感じが強かったです。角館では、五井酒造さんの奥さんと旦那さんが毎日様子を見に来てくれたり、角館に住む人たちが来てくれたり。公開して制作していたので、人の出入りがすごく多かったので、伸び伸びと描けたように思います。

川北:描いた場所が違う2種類の絵が交ざっているということですよね。それって、私たちが見て分かるものですか。

藤原:意外と分かるかもしれないです。5枚中の2枚はどこかで、5枚中の3枚はどこかで、という感じなので、多分、分かると思います。

川北:この絵画作品について、どういう支持体でとか、どういう素材を使って、何をどう描いているのかなどを、あらためて教えてもらってもいいですか。

藤原:素材は基本的には掘った土を使っています。結構粒子の粗いものを使っていて、それをベースに、釉薬の酸化鉄を混ぜたり、腐葉土を混ぜたり、炭を混ぜてみたりして、色を増やしていきます。歩いていて拾った実とかをつぶして、汁にして描いてみたりもしています。

描いているのは、一日一日の中で起こった出来事。聞こえてきた音とか、見ていたもの。具体的に言うと、屋根の上をカラスがチャッチャッチャッと歩いている音が聞こえてきて。カラスの姿は見えないんだけれども、音は聞こえて、今どこにいるのかなって追ってみるということをしたり。植物をじっと見ていたり。雨が降って、その音で目が覚める一日とか。そういうのを線とか点とかで表してみる。それを一日一日重ねていくということをやっていました。

角館にある五井酒造で滞在制作に取り組む作家

川北:それって「よし、今日は絵を描くぞ」と決めて、カラスの足音とかに出合うのか。それとも、何となく頭の中に蓄積されていっている記憶みたいなのがあって、それがいつの間にか絵になっていくのか、どんな感じですか。

藤原:カラスの足音が聞こえたと思って、描いてみるかと動き出す感じです。何もなければ、きょうは早めに終わるかなとか。その日によって結構変わるし、起こっていることで変わったりとかして。

川北:皆さんは会場で見て感じたかと思うんですけれど、支持体の布の、ひらひらした柔らかさとか軽やかさがある一方で、描かれているものというのは、ゴリッとして結構質感が強い。塗り重ねられていたりとか、酸化鉄などのいろんな素材を混ぜているので、そういう物質的な戯れみたいなものが感じられる。非常に対極的な感覚というのが、画面の中に共存しているのが、すごく面白いなと思って見ていました。

安藤:ちなみにこのドローイングのドロって漢字の泥なんですよね。泥ーイング。

小さな完成を積み重ねていく

安藤:私が若いときは、苦しいけれど作品を作る、孤独でないと作品ができないみたいな、そういう世界に住んでいたような気がするんです。けれど最近、例えば藤原さんと一緒に晩ご飯食べたりすると、なんだか、「ああ、じんわりと楽しくていいんだ」みたいな感覚になる。

時代って言ったら変ですけど、今の学生たちや藤原さんを見ていると、平面か立体か、孤独か人とコミュニケーションをとるのか、というようなやり方じゃなくて、両方ありながら、両方行き来しながら、気付いたら表現として立ち上がってくるような作り方をしている。

安藤:そういう作り方をしたときの、「気付いたら強いものが出ていた」みたいなありかた。作ろうとして何かを表現しようとするよりも、なにか人間の根源的な魂みたいなものの自然な表出ができるんじゃないかと思います。

川北:フレームとか、作品作りとはこういうものであるという枠組みを先に決めてしまうと、もうそこからそれ以上のものというのはなかなか出てこないですよね。

一方で、今おっしゃっていたような、生きることと制作することというのが地続きに、違和感なく溶け込み合ってる状況ですと、ひょっとすると強度が曖昧なものも出てくると思うんです。その時々のバイオリズムとか、そういうものに左右されるかもしれない。フレームありきでは生み出せないような強い作品が出てくるか、未知数というか。

藤原さんにとっては、ここで作品が完成するとか、ここで仕上がりだというふうに思うときってどういうときですか。

藤原:難しいですね。ちょっとずつ緩やかな区切りがあって、完璧な、完全な完成はまだ見えていないんです。粘土を積み上げて、つながって、口の部分も広げていって、できたというところにいったらまず一つ区切り。そこで小さな完成があって、窯の中に入れて、焼いて、また色を重ねて焼いてというのをしたときに、また一つ小さな完成がある。そこで、焼いたことで、自分の手から少し離れたような気もします。その後、ちょっと違う考え方で、誰かに見せるとか、どこに置くかとか、そういうことを考えている気がします。

焼成を経た作品も「小さな完成」の段階だと話す藤原(中央)

安藤:今回の展示のように空間を作ったのも、一つの小さい完成みたいなものだったのか。この空間を作ってみて、結構大きい完成な感じがしているのか。今、どう感じますか。

藤原:これも小さな完成な気がしています。

安藤:そうなんだ。

藤原:はい。もっと、いろんな場所に連れて行ってあげたい気もします。ここが一番のベストではないような気はするので、小さな完成かなと。

安藤:3年生のときだったか、展示したくないというときがあった。講評会のときに、「この部屋に展示してね」って決まったのに、そこに展示をするのはなんか違うんじゃないかみたいに言って。

藤原:ありましたね。学部の3、4年生の頃は、室内に置くということが窮屈に感じていて、私が作る作品は外のほうがきっとなじむんじゃないかと考えていたので。講評会の決まりとしてこの室内に置くということは決まってるんだけども、いやいやと思っていた。結局その講評会では室内に置いて、その後、外に持って行って、また展示をしていましたね。

《ひとつ見つめ、風めぐる》(2023)

焼き物に着手したきっかけ

川北:最初に焼き物に着手しようと思ったきっかけはなんですか。

藤原:高校のときには油絵をやっていました。大学の学部1、2年生も油絵をちょっとやっていたんですが、ふと立体を作ってみたいなと思って。ものづくりデザイン専攻で陶芸の安藤先生に出会ったときに、この人の考え方がなんだか、すごくいいなと思って。ちょっと、ついていってみようか、みたいな。本当に先生と出会ったことが、きっかけだと思います。

安藤:最初から、焼き物で塊みたいなものを作りたくないという感じでやっていましたよね。風が通るとか、穴が開いているとか。

藤原:はい。陶芸を始めた最初の頃、何を作っていいのか分からないという時期があって。自分の好きな作品を集めてみるといいと先生が言っていたので、陶芸の本を見てみると、すごく、ドシッとした塊の作品が多くて。あ、陶芸ってこういう塊なのかなと思った。

でも、この重たいのが陶芸なら、陶芸の専攻にいる私はこの塊を作んなきゃいけないのかなとか思って。でもそれだと、すごく居心地が悪い。堅苦しいなと思って、穴を開けたりするようになりました。

安藤:その穴も、これじゃ焼けないよというところまで穴を開ける。「形が崩れ始めてるから、これ以上、穴を開けたら駄目じゃん!」ってこちらは思うんだけれども、藤原さんはやめない。で、穴を開け続けるみたいなことがありましたね。

《地から生まれ、風になる。》(2024)

川北:やっぱり焼き物も普遍的な表現ですので、皆さんが作ってきた人の知恵とかそういったものが蓄積されて、非常に合理化されている。こういう形にしないと破裂してしまう、とか。あるいは陶磁器というのは、量産性も一つの特徴になっていますので、基本的には効率良く作るとか、そういう方向に向かう表現なんだと思うんです。そうなってくると、陶芸とは、器とはこうあるべきみたいなものが、いつの間にか決まっていく。

藤原さんが陶芸の本で出会った、塊のような、重力に従っているような作品群というのは、たぶん、ある時期のある時代のそういう、無意識だったりとか焼き物の歴史が積み重なっていく中で、形成されてきた形の在り方だと思うんですよね。

でも一方で、最近すごく思うのは、焼き物ってすごく表層的というか、皮相的とも言えるんです。例えば器の形でもいいんですけれど、内と外があり、中が空洞である形。外側と内側というのは地続きなので、それを頭の中で展開していくと、全てが表面みたいなものにもなるわけですよ。

川北:焼き物というのはある種、彫刻を一つのモデルにして芸術としての地位を得てきたところがあるので、その“塊としての焼き物”という姿、つまりフォルムとか、立ち上がってくる形というのを大切にする価値観というのは、一方であるんですけれども、最近の人たちの作っている陶芸の作品を見ていますと、むしろ、そうではない価値観がある。さっき申し上げたような表面とか、表層とか、被膜とか、そういったものをキーワードにして、土というものをいじって焼くという人たちも出てきていたりもする。焼き物とはこうあるべきというもののフレームというのも、以前ほどガチガチに固まってはいないんじゃないかという気がしているんですよね。

ですから藤原さんが抱いた違和感というのも、実は自然なものなのかなと思います。幸いにして安藤さんはとてもユニークな活動をされている作家さんですので、そういう、実直に土というものに向き合っている先生が身近にいたというのは、やはり、この分野に取り組んでいく上では大きいことだったんだろうなとは思いました。

安藤:表面、表層、被膜というのが、私にとっては境界なんですよね。内側と外側の間にある部分だから。でも藤原さんにとっては違うかもしれない。

手業が身体に染み付いている

川北:安藤さんと藤原さんって、一応、先生と学生なんだと思うんですけど、割と対等というか……。もしかして、秋美のカラーなのかしら。それとも安藤さんの教える皆さんって、そういう感じの関係になっていくんですか。なんというか、すごくいいなと。

普通、先生と学生って、上下関係とは言わないですけれども、そういう構造になりがちですが、お二人を見ていますと、非常に人間同士のお付き合いを感じるというか。気のせいでしょうか。

安藤:結局、藤原さんのことを一番知っているのは藤原さんなので。私は何かを外側から押し付けちゃいけないなという気持ちはすごくあって。藤原さんだけじゃなく、学生たちとか、それぞれに持って生まれた志向性というか方向性があって。それはもう、肯定すべきというか。そこを広げてほしいというか、そこが広がってくるのを止めずに生きていてほしなという思いがあるから。私が私の感覚で何かを教えるという、こっちの方向に来なよみたいには言えないなというのは常に思っているなと思っています。

安藤郁子氏

川北:藤原さんにとって、自分でこういうものを作りたいって思うものというのが、今、できているのか。それとも、実はもうちょっと違うことを思い描いていて、今まだその途中なんですという感覚が強いのか、聞いてみたいです。

藤原:この展示の中にある一番大きな焼き物を作ったときに、なんだかもう満足した気持ちがありました。もう作るのはやめていいかもしれないって思うくらい、自分の中で満足がいくものを作れたと思っています。作品の方向性は、既に軸としてしっかりあると思うんですけど、もっと作り続ければ変わってくとは思います。

川北:どのジャンルもそうだと思うんですけれども、焼き物って、ある程度、手を鍛えていかないと作りたいものが作れないと思うんです。ある形にして、それを窯に入れて焼くことで仕上がるものなので。いわゆる構造、あるいは色の変化の化学的な部分を分かっていなきゃいけない。ある程度、経験を得ていかないと、こういうものを作りたいと思ってもなかなかできないと思うんです。

だから技術的にうまくなっていこうという話ではないんですけれども、ある程度そういうことができていかないと、満足いくものというのもできないのがこの分野ですよね。そういう意味で、技巧的にならずに、でも自分で進んでいこうとするための手掛かりを得ていくことができているんだとすれば、表現としても拓かれていくだろうなというふうに思います。

「もう作るのはやめていいかもしれないって思うくらい、満足した気持ちがあった」

川北:一方で、何となくできてしまうとか、偶然というのも、自分を規定していかないという意味では大事な要素なんですが、焼いて生まれてきた現象をそのままこう、これが思っていた作品ですというのは、私はやはり作品としてはどうなのかなと思わないわけではないので。

藤原さんが自分の人生を切り拓いていく中で、もっと大きいものを作ったりとか、あるいはもっと華やかなものを作ったりとかあるかもしれないと思うんですけれども、そうしていきたいときに手業を、自分なりに十分に、最低限これだけはというものを持った状態で次に向かっていけると、すごくいいんじゃないかなって思ったりします。

ちょっと答えにくいこと言ってしまいましたけど、言いたかったのは、焼き物って、摂理を分かっていないとできないよねということ。そんな感じがしませんか?

藤原:そうですね。最近は手の使い方というのが、よく分かってきたなと思っていて。土をこねるときに、なるべく指を立てないとか、手の腹の部分でこねるとか、土に空気が入らないようするためですけど。

土を扱うということを、ずっとやってきて、もうそれが、癖のように習慣づいている。積み上げるときも跡をなるべく残さないように、刺さないとか、撫でるように積み上げていくとか。爪を切るのもそうです。

そういう手の使い方があるうえで、泥ーイングの活動をユニットでやってるときに、お互いの手の癖というのが見えてきたりしました。やっぱり私は焼き物を作るから、その手の使い方。土を手に持って乗せていくとか、そういう使い方を泥ーイングのときにもやっている。

川北:面白いですね。ちなみに、ろくろはやらないんですか。

藤原:時々やります。器も時々作ったりしますね。そんなに本格的にはやってないです。

安藤:私がろくろ、苦手というか、そんなやらないので(笑)

川北:あまりそのイメージないなと思いながら、今ちょっとあえて聞いてみました。
というのも、ひも作りとか手びねりって、こういうものを作ろうみたいなビジョンがないと立ち上げていくことが難しいじゃないですか。逆に、ろくろというのは、思考を流していけるというか、手に委ねていける。その力の加減とか、その立ち上げ方というのを得ていれば、かなり抽象度の高いものに到達することもできますよね。

安藤:ええ。

川北:人それぞれだとは思うんです。別に器の形をする必要もなくて。細工物みたいなものを作っていく人もいますから。何がその人の指先になっていくかというのは結構、面白いところだなと思って。

だから今、藤原さんの土のこね方が、実は泥ーイングにもつながっているというのを聞いて、「あ、それが、藤原さんの身体性なんだ」とわかりました。

安藤:土を重ねていくとき、自分が作るんだけど、土が“なっていく”のを手助けしているみたいな感覚も実際あります。何となくやっているうちに、これくらいの厚みで、これくらいの角度で、こういうふうにしたら、土は、土と親しくなると分かってくる。そういうものは身体にできてくる。ここが出過ぎてるから削らなきゃいけないとか、ここが甘いからもっとぴりっとしなきゃいけないとか、そういうことが、考えているわけじゃないんだけれども、見える感覚があったりとか。

体にリズムを刻んでいく

安藤:ちょっと話が飛ぶんですけど、例えば編み物をやってる人とか、最近すごく多いなと思っていて。編み物も土と同じでやっぱり、やっていて落ち着く。生きているということと、毛糸を使って何かを編み上げるみたいな行為で、人を支える。なんと言うか、人を支えてることが、ここにある物体を全部支えていくみたいな。そんな気もします。

ずっと土と関わっている時間が長いことで、形ができてくるみたいなところはあるのかなと思うんですが。

藤原:そうですね。その話を聞いて、思い浮かんだことがあります。
ものづくりデザイン専攻のある先生が、「学校に来たくないときでも、来たら何かしらあるし誰かがいるから、なるべく来たほうがいい」と。ちょっとニュアンスが違うんですが、そういう話をしてくれたときがあって。

それを聞いてから、ほぼ毎日学校に行っていて。月火水木金、あと土日もずっと。
毎日、学校に行き、作る日々を送って、その日数、土に触れるということをしたおかげで、自分の体の使い方が分かってきたし、土の扱いも分かってきた。重ねた経験が今に生きているなと思いました。

川北:これはプロの作家さんとかでも皆さんそういうのを何かしら持っているなと思っています。

例えば私が直接聞いた話ですと、岩手県の野田村で活動する泉田之也さんは、大きい作品も作っておられるんですが、並行してすり鉢をずっと制作し続けています。「自分の表現としては大きいものを作っていきたいけれど、体を整えるというか、反復作業とかリズムのために、ろくろをもってして体にリズムを刻んでいくために、すり鉢を作り続けるというのはすごく大事なことなんです」というようなことををおっしゃっていたんです。
たぶん、どのようなアーティストもそういうのをみんな何かしら持って生きていくんだろうなと思います。

だから、きっと今、藤原さんは、毎日学校に行くとか、土に極力触れるようにするとか、何かそういうふうにしてってるんだと思うんですけど。それがきっと形が変わっても続いていったりすると、自分の軸というか、よりどころというか、何かそういうものになっていくのかなと思います。

編み物の話もありましたが、土とか糸という素材が、そうした精神の動きと連動しやすい媒体だなと思います。だから今、テキスタイルとか焼き物を表現の手段としていたり、表現とまでいかなくても自分の大切なこととして取り組んでいる人たちが少なからずいるというのは、すごく理にかなっているというか。その素材が持つ力が、そうしてるのだろうなって、すごく思いますね。

が通って、軽くなった

安藤:今回の展覧会で風がテーマになってきたいきさつについても話したいと思います。

藤原:先ほどのnostさんの演奏の中にも、インタビューの音声として、ちょっと出てきていたんですが、私はあんまり人前で発言をしないタイプだったので、言葉みたいなのが詰まってお腹の辺りに溜まっていくのをずっと感じていて。それが重くて、毎日しんどいなと思いながら、どうにかしたいけれど、どうにもできないもどかしさがあった。そんなとき道を歩いていると、風が強く吹いていて、なんだか気持ちがいいなと思って、口を開けていっぱい吸い込んでみたらすごく冷たい空気が身体に入ってきて、軽くなったような気がした。で、それをこう、吐き出してみてというのを何回か繰り返したら、重さというのがすごく消えたという話があって。

そこから、風を通すとか、風を入れて出すとか、そういうことに興味を持ったような気がします。

藤原にインタビューを行った音声をパフォーマンスの中に組み込んだnost氏

安藤:すごく面白い話だよね。自分の中でそろそろ準備が整ったというときに、ちょうど風がふわあっと吹いてきて、口を開けたら風が通って、ほどけていったのかな。いつでも、その風が吹いたらほどけるというわけじゃなくて、そのとき藤原さんの中で準備ができていたから軽くなったのかなと思ったんですけど。

藤原:秋田の気候とすごく重なっている気はしていて。冬は曇りが多いとか、冬はうつになりやすいとか。重く溜まるんだけど、冬は風が強くて、冷たくてというのもあるので、風によって出て行かせることはできるという。やっぱり、繰り返しの毎日みたいな。

安藤:皆さんも、そういう目に見えない、何かの重みとか軽やかさとか、そういったことを感じ、それが表現に結び付いたり、人の関係に影響したりすることはあるんじゃないかと思います。

藤原さんは風という言葉で表していますが、私にとっては風の前に土というものがある。自分の話になっちゃうんだけれど、私は土の中に入っていって、土に囲まれたいみたいな願望があって。でも実際には土ってすごく重いから、体包まれたら、窒息しちゃうだろうなと。

川北:安藤さんが土に包まれたいというそのお話、かつて初対面のときに、会って1時間ぐらいで話されたので、今も変わらないんだなと思いました。

安藤:そうですね(笑)

川北:藤原さんにとっての風というのは、私も気になっていたところでしたので、今お話を聞けてすごく納得しました。というのも、結構、具体的な経験に基づく到達だったんだなと。風というのは誰でも知ってる現象なんですけれども、そこから、おそらく藤原さんしか知らない感覚を確実に得ていて、それを拠り所にしているから、説得力がありました。

川北:風って、いわゆるエネルギーの対流とか、その動きとかダイナミズムとか、何かをつないでいくとか、通過していくとか、そういう要素のものでもあるわけですが、同じ風という漢字でも、例えば「風化」のように、消えていくといった意味の言葉もあるじゃないですか。

藤原さんが得た風に対する感覚から、その後、もっと別の意味合いについて、考察を深めたことはあるんですか。

藤原:風化に関して、作品を置く場所をすごく考えていたときに、外に置いたほうがなじむんじゃないかと考え、森に置いたり、学校の庭に置いたりしていました。もう1年ぐらい経っており、時々見に行きます。風が吹いて鳥の巣が引っ掛かっていたり、雨によって緑がかっていたり。湿ったことで、作品の色が少し変わったり、内側にクモの巣が張っていたりとか。時間の経過によって作品が変わってく姿が、面白いと思っているところもあります。

川北:雨風が、自分では予期せぬ時間性とか、新しい関係とか、そういうものを実はもたらしてくれるものでもあったりするんですかね。

藤原:そうですね。できた作品を外に置いて、そこに一つ完成がある。自分の手から離れるという感覚と近くて、そこから私は、手を加えない。自然に任せるというか。一つ手放す、区切りになっている気がします。

物に入り込む風を見ている

安藤:時々、目に見えないエネルギーの流れが充満しているように感じられるときがある。nostさんが藤原さんの作品を触って音が出たとき、そこに風というエネルギーの流れが充満して聞こえたりとか。

藤原さんの作品も、物自体というより、物から発せられる力みたいなものを見せている。物から出て、物に入り込む風を見ていると言ったほうが、近いかもしれない。だから、薄い布の上に、強い素材で描かれたあの線が揺れている、なんかそのはざまみたいな。あわいのような。そこを見ているような感じもしました。

川北:私の中ではつながる話なんですが、私が焼き物を面白いと思えるのは、焼き物の産地の美術館で働いていたからという理由が大きくて。例えば大きな博物館で、もう出来上がった花瓶だけを見ていても、あまり関心が湧かないんです。前職は周囲に作っている人たちがたくさんおり、出来上がる前の、何かになろうとしていく段階を皮膚感覚で味わえる環境でした。窯焚きを一晩見学したりして、何ものかになる前のプロセスが焼き物の素晴らしさを生んでいるんだというのを目の当たりにできた。それで今でも焼き物を面白いと思えるのだろうなと。

おそらく、何かと何かの間にあるものや、個と個の間に見いだされる何か、エネルギーの話にもつながっているような気がしています。藤原さんの作品は、完成はしてるとは思うんですけれども、そこで完結しない力も持っている。いろんな人が入っていけたり、そこに浸っていられる強さになってるのかなと思うんです。

なかなかそういう状況をつくるというのは大変なこと。いろいろなことが奇跡的に積み重なって、安藤さんがおっしゃっていたように、風という主題をキャッチするタイミングが来ていたんだと思うんです。誰でもそういうときはあるんだと思うんですが、そういう、偶然と必然の中間のようなことが起きて。秋田という場所で。それが、非常に尊いことだなと思いました。

「風の流るるかたわらに」メインビジュアル

川北:もっと早く聞いたほうがよかったのかもしれないけれど、この写真のことを聞いてもいいですか。この今回のタイトルとかも含めて。

藤原:タイトル『風の流るるかたわらに』については、空間を考えるときの大きい流れの中に私たちはいるというのを言葉にしたくて、このタイトルにしました。写真は、焼き物とかドローイングとには関係がないと思われるかもしれないですが、私の考えている風のイメージとか、境界が曖昧になる時間帯の穏やかさとか、そういうものをメインビジュアルにできたほうが、展示としていいかもしれないなと思って、この形にしました。

川北:とても茫洋としていて、今聞いて、なるほどなというふうに思いました。ありがとうございます。

作品写真:越中谷優一

Profile プロフィール

キュレーター/パナソニック汐留美術館学芸員

川北裕子 Yuko Kawakita

東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了(美学芸術学)。2013-21年益子陶芸美術館学芸員。2021年より現職。工芸・デザイン分野の展覧会を企画・担当する。専門分野は美学芸術学、近現代工芸・陶芸。特に、個人陶芸の成立と展開、現代における陶表現の諸相、記憶と素材と表現の関係などを研究課題としている。主な展覧会に、2014-15年「表現するうつわ ―イギリス現代陶芸の精神」、2019-20年「土と抽象 ―記憶が形に生まれるとき」、2021年「加守田章二 天極をさす」、2024年「ポール・ケアホルム展 時代を超えたミニマリズム」、2025年「ピクチャレスク陶芸 アートを楽しむやきもの ―『民藝』から現代まで」など。

Profile プロフィール

秋田公立美術大学ものづくりデザイン専攻教授

安藤郁子 Ikuko Ando

陶芸制作・ソーシャルアート
《プロフィール》
青森県弘前市生まれ
2019年 Breaking The Ceiling: Japanese Women in Clay Lacoste/Keane Gallery(Boston)
2021年 個展 応答の言葉を置く gallery yamahon (伊賀)
2022年 The Fourth Dimension うつわの未来へ 益子陶芸美術館(益子)
2022年 個展 こえをきく 壺中楽(鹿児島)
その他個展、グループ展多数

Profile プロフィール

サウンドソーシャル アーティスト

nost

過去現在を行き来し心象残響音像をつくるサウンドソーシャルアーティスト。ダイレクトレコードカッティング作家としても活動中。家族と長く暮らす事が目標です。

Profile 作家プロフィール

秋田公立美術大学大学院 複合芸術研究科 2年

藤原櫻和子 Sawako Fujiwara

兵庫県生まれ。秋田公立美術大学ものづくりデザイン専攻 卒業。秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科 在籍。 主に土を用いた制作を行っています。生きることとつくることが混ざり合う生活の中で、出会うものごとや人たちがいます。その関係性のあいだに細い風をすっと通し、縁をながく繋いでいけたらなと思う今日この頃です。

Information

藤原櫻和子個展「風の流るるかたわらに」

※本展覧会は終了しました。

風の流るるかたわらに
■会期:2025年11月8日(土)~12月7日(日)
    入場無料、会期中無休
■会場:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT
   (秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
■時間:9:00〜17:30

■関連イベント「鑑賞会&トークセッション」
 2025年12月1日(月) 17:15~20:15
 登壇者:川北裕子(パナソニック汐留美術館学芸員)、安藤郁子(秋田公立美術大学教授)、藤原櫻和子
 演奏:nost(ソーシャルサウンドアーティスト)

■主催:秋田公立美術大学
■協力:CNA秋田ケーブルテレビ
■企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた
■お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL.018-888-8137  E-mail bp@artscenter-akita.jp

※2025年度秋田公立美術大学「ビヨンセレクション」採択企画

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

早坂葉

2000年山形県酒田市生まれ。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻卒業。
大学卒業後、美術家/ラッパーを称し、2年間の睡眠活動、散歩活動などを通じて自己の涵養に取り組んだ後、2025年よりアーツセンターあきたで社会連携事業を担当。
好きな漫画はチェンソーマンです。

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