美術家・藤浩志による「Project Goodbye」関連企画 素材と制作と循環を考える現場「かえる、かえる。」が、3月7日(土)より秋田市文化創造館でスタートしました。初日にあわせて行われたギャラリートークで、藤が語った「Project Goobye」とは。そして、つくるとは、めぐるとは―。
モノやコトの循環を考える「Project Goodbye」
今回、「Project Goodbye」として、ほぼ1年近くかけてやってきました。
Project Goodbyeとは、僕らがものをつくりはじめる前に、それをつくり出すきっかけやモチベーションがあるのではないか、ということから考えているものです。
授業で学生に言っていたのは、「テーマに縛られるな」ということです。結果を先に見せるのではなく、どうなるかわからない状態で何かに向き合っていくことが重要だ、という話をしてきました。
素材との出会いや、ある状況から何かが生まれていって、それが活動をつくっていく。その過程で、つくりたくないものまでつくってしまったり、何かを生み出してしまったりすることがある。
それが本当にいいんだろうか。
これって廃棄物になるだけじゃないだろうか。
廃棄物を増やしているだけじゃないだろうか。
そういう疑問が、ずっと学生時代からあったんです。
その結果、いよいよ、これがどうなるんだ、ということを突き詰めながら考えていくきっかけとして、「Project Goodbye」として、制作物と素材との出会い、もしくはそこからの循環や、それがどうなっていくのかということを考えたいと思っています。
「つくることとめぐることを考えるガイドノート」について
今回、「つくることとめぐることを考えるガイドノート」をつくりました。ぜひ皆さんに手に取っていただきたいと思っています。これは、何となく僕の頭の中で考えていることを、少し見えるようにしたものだと思ってください。
何かをつくるというと、いろんな結果を求められるんですけれど、結局、その中ではいろんな行為をしていくことになる。叩くとか、伸ばすとか、引くとか、折るとか、編むとか、並べるとか、分類するとか。それらの行為の結果として、いろんな表現が出てくると思うんです。さらに考えていくと、僕らは前の世代のものを引き継ぎながら、今の世代としてここにいる。そして、僕らの活動は、次の世代が引き継いでいく。そういうイメージが立ち上がってきます。


この空間にあるもの
その考えで、まずこの空間を見てみましょう。
2013年に秋田公立美術大学ができて、翌年に赴任することになり、そこからずっとつくってきたもので、この空間は埋め尽くされています。奥には、僕の研究室にあったものや、書類や本がある。
それから、学生が使った後の廃材を拾って、それらを使って棚を学生につくってもらいました。
よく見ると、廃材と廃材がつなぎ合わされて棒になっていたり、ベニヤ板も、コンパネを切った後の端材がつぎ合わされて板になっていたりする。そういう具合に、素材を集積させて、次のものをつくるということをずっとやってきました。
ベースとなるのは、僕の活動の結果として出てきた廃材や、それをまた次に、さらに循環させて何かをつくるということを繰り返してきた結果、集まったものです。

プラスチックのおもちゃが集まり始めたきっかけ
この素材について、ちょっとだけ話をすると、見てわかるように、プラスチックのおもちゃが山ほどあります。なぜこれだけ集まっているのかと、皆さん疑問に思うと思うんですが、このきっかけになったのが、今、後ろで黙々と作業をやっている家族の存在です。
1994年に、ゴミに対する違和感がすごく湧いたことがあったんです。さらに92年までさかのぼるんですけれども、今から34年前に娘が生まれたことが、いろんなことを考え始めるきっかけになりました。
97年に福岡に引っ越したとき、たまたまゴミが捨てられないという状況が出てきました。その結果、妻がゴミをため始めたんですね。責任転嫁していますけど。なぜゴミが捨てられなかったかというと、町内会に入らないとゴミ置き場、収集場所が使えなかったからです。なので、ゴミを洗ってためていった、というのが経緯なんです。

廃棄物はいつから生まれたのか
考えてみると、1950年代ぐらいまでは、「廃棄する」という概念があまりなかったんですよね。
というのは、自然にかえっていく素材が多かったので、田舎の方だと収集車もなく、山に投げるとか、畑に戻すとか、それで済んでいた。僕は鹿児島で生まれ育ったんですけど、小学校のとき、川で遊んでいると、橋の上からゴミが降ってきたりした記憶があります。
そこで、廃棄物は一体いつから出てきたのか、ということについて考えてみます。江戸時代には、都市部では廃棄物はあったんですね。収集のようなものもありました。でも、たとえば青森の蒐集家の田中忠三郎さんが話されていたのですが、昭和の一桁の時代は肥料がすごく大事だったので、畑に用いる肥料のために、馬ふんを皆で競い合って拾うぐらい、有効活用しようとする時代があったとか。
1960年代、プラスチックとキャラクターの時代
そして、僕が生まれた1960年代は、ちょうど石油化学工業製品が出てきた時代です。石油化学工業製品をつくるコンビナートができ、化学製品工場ができ、日本全国に大きな工場ができて、プラスチックがつくられていった。これによって流通が変わった。
それと同時に、面白いなと思っているのは、1960年代以降というのは、キャラクターが出てきた時代でもあるということです。これは、安易に成形できる、可塑性の高いプラスチックを用いて大量生産され、流通が進んだからです。以前はブリキや木でつくっていたものが、プラスチックの登場で容易にできるようになった。それと同時に、キャラクター文化、キャラクター産業が生まれた。それが、僕が生まれた1960年代です。
サンリオが誕生したのも僕と同じ年、キティが生まれて50年ほど経過していると思いますが、そのぐらいの時期から消費文化が始まった。これに対して、僕自身は違和感を抱いてきたんです。何か違うな、と。
身体感覚としての違和感
見てわかるように、僕は皮膚病を持っています。アトピーもあり、目も悪くて、喘息持ちでもある。石油化学工業製品や薬物に対しては、ある種の被害者意識があって、高度経済成長の被害者だ、という意識があったりします。そういうふうに、何か嫌なんだけれども、どんどん自分の周囲に増えていっている状況がある。
プラスチックは原油を原料としています。原油ということを考えてみると、今ちょうど戦争でも問題になっていますけれど、これは土に戻らない素材である。マイクロプラスチックの問題も話題になっている中で、これから土に戻るような、生物由来や自然由来のプラスチックに変わろうとしているのかもしれないけれど、すでに生まれてしまったプラスチックは、非常に長い期間、土に残る。
なくなる時期は、僕が死ぬ頃なのではないか、とも思うんです。今、僕は65歳で、あと33年後、99歳まで生きる確率は1パーセントぐらいらしいんですけれど、その頃には、もしかしたら「昔、プラスチックというものがあったよね」と言われるように、恐らくなくなっていくものであるとすれば、僕が生きている時代と、このプラスチックが生きている時代とが重なるとも言える。そうすると、これを無視できなくなる、というのが僕の考えです。無視できなくなるので、これをどうにかしたい。

家庭内ゴミゼロエミッション
そこで最初、コレクションし始めて、「家庭内ゴミゼロエミッション」という活動をやり始めたんですね。意味不明ですけど。
97年から、ゴミを捨てないとどうなるかを実験し始め、卵パック、納豆パック、いろんな袋、ラップとかを全部ためて、家族で洗って干して、それを何かの活動の素材に使う。ポリ袋とかビニール袋を全部ひも状に切って、織物をつくったりとか、アニメイトの袋がうちにはやたらとたまっているんですけれど、それを切って、さらに編んで買い物袋をつくる。それを使って、子どもたちと一緒にファッションショーをやってみる。そんなことを、2000年ぐらいまでやっていました。
家族とのプロジェクトとしての「かえっこ」
その中で、家庭から出る廃材を使って、地域の中で子どもたちの活動をつくることはできないのか、と思ったときに、たまたまうちの長女が小学校一年生、次女が保育園のときに、自分たちのおもちゃを使ってお店屋さんごっこがやりたい、と言い始めた。それなら、お店屋さんごっこをやろうと。
それまで実は、家族とのプロジェクトってやってなかったんですけれども、家族とやるプロジェクトを始めたんです。お店屋さんごっこといっても、お金を使いたくないので、いらないおもちゃを並べてフリーマーケットみたいにしてやってみて、お金を使わずに物々交換でやる「かえっこ」が始まったんですね。これが2000年です。
物々交換といっても、なかなか交換するものがないこともある。そこで、絵を描くと交換できることにしました。そうやってやり始めると、そこから子どもたちがどんどん自発的に動いていくようになるんです。店長をやったり、銀行をつくったり、運送屋さんが生まれたり、レジをする人がいたりと、子どもたちにいろんな役割が生まれていく。そういうふうに、この「かえっこ」というものをシステム化しよう、ということを思いついた。それで「かえっこ」という仕組みが生まれました。
システム型の表現とデモンストレーション
1996年頃から、システム型の表現というものができないのかな、と考え始めていました。勝手に空間が発生するようなシステムとしてつくったのが「かえっこ」です。その後も、「燈明」や「ビニールプラスチックコネクション」など、いくつかのシステム型の表現を生み出していますが、「かえっこ」という仕組みはとにかく流行りすぎて、全国各地でやるようになり、当初は2003年にやめるはずだったんだけれど、やめられなくなった。
結局、妻がかえっこ事務局をやって、そのうち2005年には、防災イベントと絡めてワークショップをやる「イザ!カエルキャラバン」を、NPO法人プラス・アーツ(神戸)と始めた。これは今、海外にも展開しています。つまり、仕組みをつくり、地域にインストールするということをやると、自分の手を離れていって、表現が自動でどんどん動いていく。こういった状況を踏まえて、僕は「デモンストレーション」ということを言い始めました。「表現としてのデモンストレーション」です。
予期せぬことが起こるという面白さ
実は、仕組みをつくったときには、こんな恐竜をつくるイメージもなかったし、ハッピーセットのおまけがこんなに集まるとも思っていなかった。けれども、こうやって続けていると、予期せぬことが起こる。この、予期せぬことが起こる、ということが、実は表現にとってすごく面白いことなんです。なぜかというと、予想する範囲でつくるというのは、自分たちが今知っていることをやることであり、知っていることをやっても、あんまり面白くないからなんです。
知らない世界にどう踏み込んでいくのか。自分が出会ったことのない世界、見たことのない世界に、どうやったら出会えるか。そういうことを仕掛けていくのが、表現として面白いし、僕自身はそこに興味があるということでもあります。ハッピーセットがこんなにいっぱい集まることとか、破片がこんなにいっぱい集まることとか、ぬいぐるみが山ほど集まることなんて、予想もしていなかった。
子どもたちはおもちゃをどんどん物々交換していくので、いっぱいおもちゃが集まって、倉庫からあふれてしまった。それが2007年ぐらいです。2000年から始めて7年間で、作業場にもう足を踏み入れられない状態にまでなったときに、まずぬいぐるみをどうにかしようとして考えたのが、ぬいぐるみを断熱材として活用することでした。今ここに広がっているのは、デモンストレーションであり、ここにあるのは、「かえっこ」が20年以上続いた結果であるというふうに思っています。
破片の美しさと、恐竜の誕生
また、小さい破片をじっくり見ていくと、実はこれらがプロダクト製品であるということに気づくんです。当たり前なんだけれど、この背景には必ずデザイナーがいて、会議に会議を重ね、試作に試作を重ねてつくられたものであることがわかる。それを考えると、すごく綺麗に見えてくる、というのがあるんですね。
さらに、このプラスチックの原料は原油であるということ。原油は、ジュラ紀、1億7000万年とか、その倍ぐらいの時代からのバクテリアが地中に堆積して、それがたまたま分解されず、地中の中で圧力を受けて生成されたものであるということ。それを考えると、恐竜が生きていた時代からの接続みたいなものが、今この時代に立ち上がってくるのが面白いのではないかと思って、恐竜をつくり始めたんです。
僕は子どもの頃、プラモデルをつくるのがすごい好きだったんですよね。パーツがぴったりはまっていくという作業自体がすごく楽しいので、ついついつくっていく中で、これだけのものができてきた、というのがあります。大体ここにあるのは、秋田にいた11年間ぐらいの間に分類され、制作し、研究室でつくったり、いろんな現場でつくったりしたものです。大きなメガロスは、ちょうどコロナ禍に作業場所にこもって制作しました。

「展覧会」ではなく「現場」
今回、ここは「展覧会」という言い方をしていないんです。展示するということに対して、すごく違和感を持っています。
ずっと完成させたことがないし、これらを作品としてあまり見ていないんですね。あくまで、空間をつくるためのツールである。空間をつくるためのツールであり、いろんなところで何か別の関係をつくったり、別の出来事をつくっていくためのツールであると捉えています。
「やせ犬」から続いていること
その考え方は、実は向こうの方にある木彫りの犬がきっかけになっています。あれは古い作品で、86年、87年頃からつくり始めた「やせ犬」という痩せこけた彫刻です。あれも実は廃材からできています。最初は、東京で取り壊しになる一軒家の柱を拾い上げて、それを使ってつくりました。これは全部で101匹いるんですけれど、そのときから、何かをつくり続けるということが自分にとってすごく重要だと感じて、101匹になるまでつくり続けようと決めていました。1匹の作品として見るというよりは、「やせ犬」をつくり続けるということ自体が僕にとって重要で、10年近くかけて101匹を目指してつくっていました。
実は7年目、8年目までの間に、16匹しかできなかったんですね。そうしたときに、ちょうど鹿児島で水害に遭いまして、住んでいた建物の隣が被災して、納屋にいっぱい崩れた柱があったんです。崩れた柱という素材はいっぱいあるけれども、101匹をこのまま一生つくり続けるのも嫌だなと思って、残りの85匹を、その柱を使って一気につくって、101匹になりました。つくる作業は終わったんですが、完成とは何か、発表とは何か、ということがピンとこなくて、とにかく101匹の犬と旅をする、ということはやりました。旅した後は、生活に困って、1匹ずつ切り売りして生活を支える、ということもありました。
だから、展覧会はほとんどやっていないんです。
文化創造館でやりたかったこと
展覧会としてやるよりは、廃材を使ってつくることとか、巡ることとか、循環について考えるための現場、という言い方をしているんですけれど、そういうことをこの文化創造館でやりたいなと思いました。実を言うと、僕自身の自主企画として展示をするのは34年ぶりなんです。それ以外は、頼まれてやる展示しかやっていない。この企画に関しては、頼まれていないんですよ。逆に、アーツセンターあきたに僕から頼んだ。
そして、なぜ文化創造館でやったかというと、これだけの広い空間で、自然光が入り、壁にはもともと藤田嗣治の壁画があったという歴史がある。その壁画は隣の県立美術館に移されて、当初は取り壊しになろうとしていた古い建物だったんですよね。それを、たまたまアーツセンターあきたができて、運営管理計画を立てて、市は県から譲渡を受けて、アートセンターとして運営することになった。

前の世代を引き継ぐ空間として
空間はちょっと修復されたけれども、ほとんど建築された当時のものが残っている。その意味では、冒頭でお話ししたような、前の世代のものを受け継ぎながら、次の新しいものができていくという循環みたいなものとつながるイメージができる。
そして、これだけの展示空間があるというのは、日本中、世界中を見渡してもそんなにたくさんはないと思います。これまでにも、京都の文化博物館とか、オーストラリアのシドニーホール、タイのバンコクのチャンチュイクリエイティブパークなど、規模としては似ている場所で開催したことはありますが、上から見られる場所はなかったんですよね。
こうやって並べると、上から見たくなるんですよ。3階から見ることができるという、すごい空間で、ここに最初に入ったときから、おもちゃが並んでいる情景を想像していました。
美術館ではないことの自由さ
展示空間としてもいいけれども、美術館ではない。
美術館ではないということも重要で、植物を持ち込めたり、飲食ができたり、土を持ち込んで山もつくれます。
虫とか動物も持ってこられるかもしれないけれど、これは美術館ではありえないです。
そういう意味で、すごく自由な空間であり、綺麗な空間であり、なおかつ上から見える空間で、ここをフル活用して、いい展示とか、プロジェクトなどに使っていくことができる。
そういう意味で、この企画は、秋田市文化創造館という空間を活用するためのデモンストレーションでもあります。
Information
藤浩志「Project Goodbye」関連企画
素材と制作と循環を考える現場
「かえる、かえる。」
●会期:2026年3月7日(土)~4月6日(月)10:00~18:00 ※火曜休館
●会場:秋田市文化創造館スタジオA1(秋田市千秋明徳町3-16)
●主催:秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた
●後援:秋田県、秋田県教育委員会、秋田市、秋田市教育委員会、秋田魁新報社、朝日新聞秋田総局、読売新聞秋田支局、毎日新聞秋田支局、河北新報社、秋田経済新聞、NHK秋田放送局、ABS秋田放送、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送、CNA秋田ケーブルテレビ
●お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL 018-888-8137 E-mail program@artscenter-akita.jp
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