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かえっこをめぐる、これからの話 ―「かえるくんとカタルバー」(佐々木樹・高升梨帆編)

藤浩志と、大学院を修了したばかりの2人による鼎談「かえるくんとカタルバー」。詩人や文化施設のコーディネーターとしての実践をそれぞれに展開するゲストとともに、「かえっこ」をきっかけに、アートや場のあり方について語り合いました。

藤浩志 素材と制作と循環を考える現場「かえる、かえる。」の会場で行われた鼎談「かえるくんとカタルバー」。藤浩志と、この春に大学院を修了した佐々木樹、高升梨帆の2名が、「かえっこ」を手がかりに、それぞれの活動やアートプロジェクトの現場について語り合いました。現場から生まれる言葉が交差する、静かでひらかれた対話の記録。

藤浩志と卒業生、3人の現在地


かえるくんとカタルバーをボチボチはじめさせていただきます。ちょうど昨日卒業式で、その後の謝恩会で、山川君とカラオケを歌って一発で喉がガラガラになってしまいました。それはいいか。今日は、秋田公立美術大学の博士課程と修士課程を修了されたばかりの、佐々木さんと高升さんのお二人をゲストにお招きしました。

今日は、お二人に進行していただくという「うらがえる」形で進めていきたいと思っています。

佐々木
秋田公立美術大学の博士課程を修了しました、佐々木樹といいます。普段は兵庫県姫路市を拠点に、詩人として活動していまして、アートプロジェクトとして詩人がどういうふうにできるかということを考え、姫路市で詩人便利軒というものをやっています。いわゆる一般的な便利屋さんって、引っ越ししたら2万円を請求するような経済的な活動だと思うんですけど、僕のプロジェクトは、お金ではなく、あなたが書いた詩をくださいという活動をしています。

高升
修士課程を修了しました、高升梨帆と申します。

今は青森県八戸市に住んでいまして、八戸ポータルミュージアム「はっち」という文化施設でコーディネーターとして働いています。はっちには、今年度から修士課程に在籍しながら働いています。大学院ではアートマネジメントという領域を研究したんですが、自分自身が組織の中に入り込んで研究したいと思って、はっちで働きながら研究活動を行いました。

(左)高升梨帆さん、(右)佐々木樹さん

佐々木
秋田公立美術大学大学院に2020年に入学して、藤さんから指導を受けるようになりました。6年かかって、ようやく卒業できました。藤さんの作品を観たりは以前からしていたのですが、実際にお会いしたのは2019年。東京ビエンナーレ計画展の時にアーツ千代田3331に伺って、「取りあえず入ってみたら」と。それで、2020年に入学したんですけれど、コロナが始まって。僕もその時は、岐阜とか東京とか転々としていた時期で、大学としては秋田で研究活動をしてほしいという考えがあったようなのですが、相談する中で、遠隔でも研究を継続できるようになりました。それがきっかけになったのか、その後県外から遠隔で通う博士課程の学生が増えたんではないかなと思っています。

僕は美術系ではなくて社会学系の出身です。社会学系の場合、博士課程に入ると1年目とか2年目に指導教官と一緒に研究発表して、次は共著を出して、その後自分で論文を依本書いてというスタイルが一般的なんですけど、藤先生は「勝手に活動してくれ」って言ってくれて。そして、2年生のときに東京ビエンナーレ2020-2021の現場で、「佐々木君何か1個企画やってみない?」って声をかけてくださって。実はそのことを博士論文の3ページ目に書いているんですけど、先行研究としてすごく効く機会をもらったなと思っています。


何か一緒にやらないといけないなとは思っていたんですよね。東京でちょうど現場があって、佐々木君はその時東京にいたし。

この「かえる、かえる。」の会場内に、その時の破片を展示しているんですよ。当時スポンサーしてもらったマクドナルド社のハッピーセットを粉砕した素材。

佐々木
あれですね。それを使って「Plastic Word Dictionary」という企画をして、破片を色分けしてもらって、そこから独自の意味と文字、視覚言語をつくろうという取り組みをさせてもらいました。


それをやると、こどもたちはポイントをもらえるという。「かえっこ」の仕組みは、たとえやりたくないことであっても、ポイント欲しさにやってしまうという。

佐々木
こどもたちは、ポイント稼ぎに来ていましたね。それで、一応378文字集めることができました。すごく詩的なものができたなという実感がありました。

藤さんからは、その時も「一緒に現場をしないと作品の価値はわからないから、一緒にやってみよう」と声をかけてもらいました。その後2025年に便利屋を始めたときに見にきてくれたり。


なんか、ちょこちょこ会っているよね。古墳も一緒に見に行ったり。

佐々木
そうですね。藤先生は、前日くらいに「今神戸にいるんだけど、明日一緒に古墳行かない?佐々木君、近かったよね」と、連絡をくれたり。友達みたいな感覚で、よく遊んでもらったという感じがあります。

藤浩志との巡り合わせ

佐々木
僕は、実は結構運命的なものを藤さんに対して感じているところがあります。

藤さんが独立した1992年6月の翌月に僕は生まれています。藤さんが当時勤めていた会社を辞めるきっかけとなったジャパン・アート・スカラシップを受賞した33年後に、僕は33歳になった。藤さん今は辞めてますけれども、吸っているタバコの銘柄も一緒だし、お酒を飲むとドロドロになってしまうのも同じ。僕の父親と藤さんは同じ年齢で、親父なのか友達なのか、コピーなのかわからないですが、とにかく運命的なものを感じています。

高升
佐々木さんの運命的な藤さんとの出会いと違って、私は偶然の出会いだったんです。大学2年生のときに、千鳥文化という複合文化施設のカフェでバイトをしてたんですけど、そこのオーナーから、「2008年初期に『かえっこ』をやったことあるんだけど、すごく楽しかったから、私ディレクションでここでやって欲しい」とを言われたんですね。 私は「かえっこ」を見たこともないし、どういうイメージなのかつかめずに、ただひたすらホームページを調べて、という感じだったんです。 そうすると、これを考えたのがどうやら藤浩志さんって人らしいぞということがわかり、私は大学でアートマネジメントを勉強していたので、藤さんに会いに行った方が良いと思って、その時アーツ千代田3331に伺ったんです。


重要だよね。アーツ千代田3331で、いろんな人に出会っている。

高升
そこで、「秋美を受験したいと思うんですけど」という話もして。で、その後京都市文化博物館の展示のバイトにも参加させてもらいました。

秋美に入ってからは、アートプロジェクトを研究する同期が他にいなかったので、もっと自分で動いて現場に入っていかなくてはと思って、秋田市文化創造館に出入りしたりしていました。大学院1年生の時には、授業外のツアーで青森県内の文化施設を訪問することがあって、その時八戸に行って、直感的に「私ここで働くな」と思ったんですね。


すごいね。

高升
はっちの入社試験を受けて採用してもらって、後になって藤さんがはっちのアドバイザーをしていることを知りました。 


大学院が出来たときから毎年、大学院一年生をみんな連れて青森を回ってますね。大学院ができる前はアーツ&ルーツ専攻の学生を連れて、秋田から1泊2日で青森県立美術館国際芸術センター青森十和田市現代美術館などを回るツアーをやりはじめたんです。ツアーをはじめた当初は八戸市の美術館は設立準備室だったし、弘前も計画中だった。

高升
秋田の経験を経て八戸のまちを見ると、秋田とは違う余白があり、つながる“のりしろ”がある気がします。ハードは整っているけれども、人と人とはまだつながる“のりしろ”があるという感覚。そういう気づきを得られたのも、大学院時代に秋田と青森を往還できたことが背景にあるのではないかという気がしています。


青森のまちづくりのことを振り返ってみると、最初に国際芸術センター青森(ACAC)というレジデンス施設ができて、さらに青森県立美術館という立派な県立美術館ができ、そして人口5万人程度の十和田市に現代美術館ができた。十和田市現代美術館は、十和田市の観光推進課が管轄している観光施設という位置づけにあって、まちなかを、商店街を活性化したいという思いのもとでできた。八戸市はまた特殊で、最初に交流施設のはっちができて、その後デパート跡にマチニワができ、ブックセンターができ、そして元々税務署だった建物を改修して八戸市美術館ができた。

八戸市は、十和田市現代美術館の盛況ぶりをみて、八戸市にも吸引力のある施設をつくりたいと美術館計画をつくって、ジャイアントルームという機能を設け、展示だけではなく市民活動の場所をひらいた。弘前は、古い酒蔵を改装してれんが倉庫美術館ができ、県立美術館、ACAC、十和田、弘前、八戸の5館とも全然違うタイプの施設となった。秋田でもそういうことができるといいよね。2人に任せるっていったのに、すごい話しちゃった。

「かえっこ」という仕組みの作品性



この会場にあるおもちゃがなんでこれだけ集まったかというと、「かえっこ」という仕組みによって。それから、このキャップは、秋田に来てから消費してきたもの。目薬とか、お酢とか、ソースとか。

僕が33歳の時、娘が生まれた1992年の世界人口は54憶人で、その33年後には85億人になるという新聞報道があった。僕が生まれた1960年の人口は30憶人で、親父が生まれた時は20憶人。33年間のサイクルで、世界人口が20憶から30憶に、それが54憶になり、85憶になると予想されていて、実際今は83~84憶人になっている。秋田では人口減少が問題になっているけれども、重要なのは元々はそんなに多くなかったということ。人口が増えるという状況の中で出てきたのが、消費社会、消費経済であり、僕はその時代の中を生きてきたのだから関心を持たざるを得ない。

そして、プラスチックをはじめとする石油化学製品は、僕が生まれた時にはほとんどなかった。それがこの60年くらいの間に流通し、1992年には今後爆発的に人口が増え、廃棄物が増え、温暖化が進む、気候変動が起こることが予想される中で、廃棄物を集めるようになってしまったという。集めていって、何かに使えるんじゃないかと思っているんだけれども、結局捨てることになるという。そのことに対して違和感をもっていて、2000年にこどもたちと一緒に考えたのが物々交換をして遊ぶ「かえっこ」という仕組みだった。それが26年たって、こうなってしまった。

今日話したかったのは、次の世代への引き継ぎ方。「お父さん、これどうするの。残されても困る」とうちの娘が言うわけ。それは当たり前だよね。

佐々木
そのことは(論文)審査会の場でも質問していただきましたよね。僕も詩を集めているので、「その後どうしようと思っている?」って。僕の場合は平面だから容積はそこまでないですけど。藤先生が、今回会場で絵を描くとおもちゃや本を持って帰れるという風にしているのは、物量を減らしていくための活動なのかなと思ってみていました。


できれば減らしたい。

佐々木
一方で、これをどうやって保存したらいいのかなとも思います。プラスチックが安価で誰でも買える素材になっていったことに対するカウンターとして、アンチプラスチックの人たちが出てきたという歴史があるし、逆に今の国際情勢を踏まえるとこのプラスチックに逆に価値がでてくるという状況もあるのではないか。藤さんがこれまで何十年と活動をするなかで、何度も価値転換がおこってきたんではないかと思うんです。これがすごい無駄に思える時とか、すごく特別に思える時とか。

これをどう保存するか、この活動に共鳴する作家やコーディネーターをどう増やしていくかが結構重要な気がしています。

高升
大阪でかえっこと出会って、最初本当にこれで人が集まるのかなと懐疑的だったんですけれど、人はちゃんと来るんですよね。これを目の前にすると、大人もこどもも話し始めて楽しそうな雰囲気になる。ゴミになる手前のおもちゃが集まって、こんなに並べてみると圧巻で。かえっこというシステムの妙というのか。どの世代も、誰でも参加できるし、ポイントを集めておもちゃと交換するためにゲームやプログラムに積極的に参加するようになる。こういう仕掛け1つ1つは紐解いていくと深いんだけれど、感覚的にはとにかく楽しい。こういった仕組みの背景を、私たちの世代はしっかり理解しなくてはならないなと思っています。

佐々木
この仕組みに関わった後に、幾つかのフェーズがあると思うんです。自分でもおもちゃを集めたいと思うとか、自分でもつくってみたいとか、藤さんのことをもっと知りたいという人もいれば、この背景を知るために収集の現場をみたいという人もいれば。そういう複層化したフェーズの第一歩として、かえっこは優れた仕組みだと思います。それをさらにもう一歩踏み出すときに、僕たちが考えるのかなと思っています。


2000年にかえっこをはじめて、その後3年、4年くらい経過してから色々なプログラムが動き出した。刺激をうけたのか、時代的なものもあるかもしれないけれど、武蔵野美術大学の学生が0円ショップをはじめたり、横浜の方で本の思い出を交換プログラム「ブックブック」がはじまったり、洋服の思い出をタグに記録して交換するプログラムとか。そういう活動をする人が集まって横浜でトークイベントを開催したりもしました。物を交換することが広がりやすかった時期だったように思います。その後、ブックオフがでてきてきたり、ネットオークションが普及したりしていって、2005年、2006年頃にはかえっこはもうやらなくても良くなるなと思っていたんだけれども、いろんなところから要望が来て、ずっと続いている。高升さんは「自走」の研究をしていたけれど、僕らは2003年頃までは現場に直接行って、自分たちでセッティングしてやり方を指導していたんだけれど、だんだんと「現場には行きません」と宣言して、好きにしてくださいとしたら、どんどんと開催するところが増えていった。

高升
私がいた大阪の北加賀屋のスペースのオーナーのように、自分が10年前にかえっこを経験して、それを自分でもやってみたいという人もいただろうし、私の大学の後輩で一緒にかえっこをやっていた子が、今淡路島で地域おこし協力隊をやっていて、「プレイフルワールド」といういらなくなった物を使って何かをつくる活動をはじめたりしていて、かえっこに関わった人がかえっこを広げ、新しい活動をつくるという展開をもつくっている仕組みなんだと思います。


仕組みをつくることで空間がつくれるんじゃないかという実験として始まったもので、佐々木君と同じように仕組みをつくるのもアーティストの在り方としていいんじゃないかと思っています。作家がつくった物だから良いとか、価値があるということではなくて、何か状況ができることの中に作品性を見出そうとしていて、意外と仕組みをつくるほうが流通しやすくもある。

まさかこうなるとは思ってもいなかったし、増え続けるからどうしようという問題なんだけれど、そこはまた上手い仕組みをつくっていけばいいだけではないかという気もする。

佐々木
真面目に考えてみると、このかえっこというものを、捨てたり、消滅させたりということで終わらせるということもできなくはないと思うんですよ。それでも、さっき例にあがった0円ショップをはじめた人たちとか、「実はかえっこから影響をうけて」と言っていくだけで結構残せるんではないかとも思ったりします。今回絵を描くということも、物としての厚みはなくなっていくけれども、ちゃんとレファレンスとして痕跡を残せる、藤さんの思いとつながっているということを、ちゃんと言った方がいいんじゃないかなと思っています。みんな「この仕組みを発明したのが自分です」となってしまっていて。作品となると、自分はこの作品から影響を受けて、と言いますけど、仕組みの場合はみんな共通のものだからとなってしまっている。

高升
仕組みって、断片的な手法は似通っていたりもしますけど、その手法をどういう理由でつかっているのかとか、きちんと説明していく必要があるのかもしれません。仕組みも作品である。仕組みは、買う、所有するということができない性質の作品だからこそ、ちゃんと説明していかなくてはならないのかなと思います。


なんか、仕組みをつくっていたら、逆に物をつくりたくなっちゃったんだよね。鳥を作ったり。根本的には、作業が楽しいというのがあるからね。

もともとは作るためには材料が必要で、材料を買うことに違和感があったから、身の回りにあるもので何かできないかというところから発想していった。つくることは楽しいけれども、それが目的化することにもまた違和感がある。

それぞれのアートプロジェクト

高升
私がアートプロジェクトの楽しさに出会ったのが、大阪の北加賀屋で千島財団が使われなくなった工場跡などを使って、京都造形大学(現京都芸術大学)とも提携して、大きなアート作品を収蔵・展示したりしていたところで、日常と非日常が同居していることにまず驚いたというのがあります。そこでの活動の中で、作品のことを調べたり、関わるみんなで話し合ったり、わからないものに出会って、それをみんなでわかっていく過程を経験しました。藤井寺市とか、西成区とか、さまざまなアートプロジェクトの現場に入り込む中で、同じような経験を重ねて、どれも楽しくて、それが大阪の気質だからなのか、それともアートプロジェクトだから楽しいのか、すごく疑問に思って、だから秋田に出なくてはと思ったんです。


未知のもの、わからないものがあったときに、「わからないから」とはねのける人もいるかもしれない。この「かえる、かえる。」の現場も、みんな騙されて「わー」って入ってくるけれど、よく考えると意味わからないよね。それに対して、何だろうと関心をもって、理解していこうというプロセス自体が面白いし、それが好奇心で、好奇心が刺激されることで、どんどん深みにはまっていく。それがアートプロジェクトや、現場の面白さでもある。

なぜ興味がそそられるのかというと、世の中にはわかりやすさを掲げたものが溢れすぎているから。その中で未知であることに魅力があるのかもしれないという気がしているんです。

高升
秋田はよくわからないものを理解しようとする人がたくさんいるから、文化創造館もわけわからないけれど楽しそうと思ったり、共感する人が常連さんとしてたくさんいるのではないでしょうか。


たくさんではないけれど、ちょっとはいる。

高升
それがまちにとって、大切なことだと思います。

佐々木
僕は茨城県ひたちなか市とか、兵庫県尼崎市の施設でやっている小さなアートプロジェクトとか芸術祭とかのディレクターをやっています。僕自身がアートプロジェクトに関わりだしたのは結構遅くて、2010年頃に芸術祭が始まりだした頃は学生で、一人で詩を書いていたんですけれども、詩の業界からは全く相手にされなくて。それで、雑誌以外に作品を出すことができるところがないかと探していた時に、ちょうどアートプロジェクトなるものでてきた。「僕も行ってもいいのかな」と思って、アートプロジェクトに関わるようになったんですが、限界もあって。最初は、地域で共有できるものを集めて作品をつくれば、みんなが理解してくれて、会期とともに消えるのではなく残りつづけるものになると思い描いていたけれども、実際は会期が終わった後に「このゴミどうするんだ」と言われたり、理解してくれる人がいる一方で苦手だと言う人もみえてくるようになってきて、共有できることの限界性に気づいていった。そうなると、もうちょっと知りたいと思って、藤先生のところに来たんです。

高升さんが言っていたことに近いんですけど、文化創造館はすごく特殊で、僕はギャラリーとかカフェとかに行くのが苦手で、緊張するんですよ。こういなくてはいけない、こう見なくてはいけないという、勝手な強迫観念があるんです。


空間がそれを強制するような感じがあるよね。

佐々木
僕は仙台出身なので、せんだいメディアテークとかで自習していた人間なんですけど、例えば家で勉強するときにジャージでいいけれど、外に勉強しに行くときには着替えなくてはいけないみたいなのがあるとして、文化創造館はジャージで来ていいと思えたのは、すごい特殊な空間だなと。

で、その特殊な空間をつくったのは藤さん。

高升
文化創造館は、ダル着で来れるという雰囲気がすごくあると思っていて。はっちは、観光展示とか、すごく空間が埋まっているんです。久しぶりに文化創造館に来ると、隙間があることで「ここで何かできる」と思わせる、ひらいた要素がある気がします。

次の世代へ、引き継がれるもの

佐々木
さっき、かえっこをレファレンスにしたということをみんな表明したほうが良いと言いました。僕は最初で最後の藤先生の博士課程の学生で、作家としても藤先生を尊敬していて、一番弟子として活動していくので、どこでも藤浩志の名前を出していきます。本当に藤さんがいなかったら、続けていなかったんで。制作活動も辞めていたと思う。そのくらいに境界領域を認めてくれるという人の存在は必要だと思っているし、次は自分がそれにならなくてはいけないんだと思っています。

高升
かえっこに出会って、藤さんと巡り会って、秋美に来ました。それなのに、藤さんは朝京都にいて、午後秋田に戻って授業をするというようなスケジュールで秋田にいてもなかなか会えなくって。でも、それでいいんだと思って、私も修士2年でも(秋美から離れた八戸市にある)はっちで働けるなと思ったんです。物をつくる人が移動しながら制作をしていくということを藤さんが態度として示してくれたことが大きく影響しています。

そして、秋田市文化創造館があって、コーディネーターがいて、相談ができるというのが、他の文化施設に勤めてみると、いかにすごいことなのかを実感しています。自分がそうであったように、ここでチャレンジした学生たちが、なぜこんな余白をもった施設であることが可能なのか、どういう仕組みでできているのか、そういうことを考えてもらえればなと思っています。

お二人から藤さんに、かえる入りの花束が贈られた

登壇者プロフィール

美術家、秋田公立美術大学教授

藤 浩志 Hiroshi Fuji

1960年鹿児島県生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇に没頭した後、公共空間での表現を模索。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校に勤務し原初表現と人類学に出会う。バブル崩壊期の土地再開発業者・都市計画事務所勤務を経て土地と都市を学ぶ。「地域資源・適性技術・協力関係」を活用し地域社会に介入するプロジェクト型の美術表現を実践。取り壊される家の柱で作られた「101匹のヤセ犬」、給料一ヶ月分のお米から始まる「お米のカエル物語」、家庭廃材を蓄積する「Vinyl Plastics Connection」、不要のおもちゃを活用した「Kaekko」「イザ!カエルキャラバン!」「Jurassic Plastic」、架空のキーパーソンを作る「藤島八十郎」、部室を作る「部室ビルダー」等。十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学教授、NPO法人プラスアーツ副理事長、NPO法人アーツセンターあきた理事長。 https://www.fujistudio.co

詩人

佐々木 樹 Miki Sasaki

1992 年宮城県仙台市生まれ。法政大学社会学部卒業後、日本大学大学院芸術学 研究科文芸学専攻修了(同専攻学位記受領者総代)。中小規模のアート・プロジェ クトおよび芸術祭における制作・実践を通じて、芸術表現としての詩が日常的な生 活空間において発生する手法・プロセスを探る試みを行なっている。 現在、特定非営利活動法人みなとメディアミュージアム アーティスティック・ディレクター、 とちのきアート・プロジェクト ディレクター。 秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科博士課程修了(予定)
https://mikisasaki.site/

高升 梨帆 Riho Takamasu

秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科修了(予定)。秋田市文化創造館「mizutama練習プロジェクト-10デイズランスルー-(2024年)」をきっかけに、組織の一部としてアートマネジメント実践と研究を行いたいと思うようになる。現在、八戸ポータルミュージアムはっちコーディネーター。

Information

藤浩志「Project Goodbye」関連企画
素材と制作と循環を考える現場

かえる、かえる。

●会期:2026年3月7日(土)~4月6日(月)10:00~18:00 ※火曜休館
●会場:秋田市文化創造館スタジオA1(秋田市千秋明徳町3-16)
●主催:秋田公立美術大学、NPO法人アーツセンターあきた
●後援:秋田県、秋田県教育委員会、秋田市、秋田市教育委員会、秋田魁新報社、朝日新聞秋田総局、読売新聞秋田支局、毎日新聞秋田支局、河北新報社、秋田経済新聞、NHK秋田放送局、ABS秋田放送、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送、CNA秋田ケーブルテレビ
●お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL 018-888-8137 E-mail program@artscenter-akita.jp

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Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた 事務局長

三富章恵

静岡県生まれ。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。2006年より、独立行政法人国際交流基金に勤務し、東京およびマニラ(フィリピン)において青少年交流や芸術文化交流、日本語教育の普及事業等に従事。
東日本大震災で被災経験をもつ青少年や児童養護施設に暮らす高校生のリーダーシップ研修や奨学事業を行う一般財団法人教育支援グローバル基金での勤務を経て、2018年4月より現職。

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