令和ではない。――今野の描く夢は、時代を超えている。どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせるのは、内田百閒(1889-1971)の小説の影響だろうか。いや、今野は百間に出会う前から、夢を通じていつも別の時代に跳躍していた。2024年にアトリオン(秋田総合生活文化館・美術館)で開催された個展〈喋る羊の夢〉でも、彼の絵画を含むインスタレーションは、やはり令和ではなかった。今野の作品が、このように現実離れした独特な空気感を持っているのは、彼が高校生の時、ジュルジュ・デ・キリコ(1888-1978)の絵画に大きく感化されたからかもしれない。より正確には、彼は、デ・キリコだけではなく、シュルレアリスムの世界観から強い影響を受けている。いずれにしても、今野の表現は特定の時代を超えた「超現実」であることに間違いはない。
秋田ではない。――今野は虎を逃す夢を見た。舞台は中学時代と言うから、彼の出身地である兵庫県での出来事だろうか。またある時は、それよりもずっと昔の昭和時代に遡り、阪神ビルを登る夢を見た。日本を超えて中国の寒翁荘(現実には存在しない場所。いかにもありそうな名称だが、実は今野による造語)で虎に関する書物を研究している人物の夢を見た。アフリカで獲物を探し回る狩猟民族の女首長に変身する夢を見た。今野は秋田を超えて、また自分が生まれる前の場所へ、さらにはまるで行ったこともないところへ、曲芸師のようにジャンプする。


右:《百閒の『虎』》絵画2点、写真(2025)


今野は、現実世界の法則などものともしない豊穣な夢を、なんとかそのまま汲み上げようとする。それは果敢な挑戦だ。普通、私たちは夢を思い出し記録する時点で、無意識的に「補正」を行なってしまう。「検閲」をかけてしまうと言い換えても良い。つまり、現実世界に沿うように夢を改変してしまうのだ。その時、夢の精彩さは削ぎ落とされてしまう。かつて、南方熊楠(1867-1941)は、夢をなんとかそのまま記録しようと試行錯誤し、その方法を独自に考案し実践もしていた(ここで詳細を述べる紙幅はないが、今野は熊楠の夢思想にも多分に影響を受けている)。それは、夢の世界から覚醒後、頭をなるべく動かさず、目覚めた時と同じ姿勢のまま枕元に置いている日記にその記憶を書きつけるというものだ。熊楠は、少しでも頭や身体の位置を変えると、夢が現実の法則に引き寄せられ改変されてしまうと考えたのだ。この方法が実際に効果があるかは不明だが、ともかく、それほど夢は繊細でフラジャイルなものというのは確かだろう。
制作過程で、今野がどのような方法で夢を記録していたのかは、詳しくはわからない。しかし、作品からは不思議と、夢のもつ不可解さとビビッドなイメージがこちらにしっかりと伝わってくる。だが、それでもなおそれらは、彼の夢そのものが持つ豊穣さの半分にも満たないものだろう。それほど夢は奇妙で深く大きなものなのだ。しかし、彼は文字、絵画、オブジェ、写真、映像、音声と様々な媒体を使い、私たちに懸命に伝えようとする。また、これは今野に直接聞いた話だが、彼は絵を描きながら、ふと夢の詳細を思い出すこともあるという。特にその夢における明暗や静けさなどが思い出されるという。そうすると、彼はより慎重に筆を動かすようになるそうだ。思い出した内容と作品を一致させるために、例えば《懇願する虎》は、3〜4回描き直したという。そのような熱量と丁寧さは、この絵画からだけではなく、全ての作品から醸し出されていた。

《トンテキの夢》に描かれたサーカスのテントが印象的だ。アクロバティックな芸が披露されるサーカス。人間と動物が入り乱れる特殊な空間。そこは現実の中の非現実である。そのような観点からも、サーカスは夢とかなり相性がいい。夢もサーカスも、現実の論理的法則を超えた技の饗宴場なのだ。そこで人々は、重力も距離も因果も超えて、眩暈を起こしながら「自由」を手に入れる。今野は、無意識的にそのことを嗅ぎつけたのだろう。実は、このようなサーカスに関心を持った画家は多くいる。パブロ・ピカソ(1881-1973)もジョルジュ・スーラ(1859-1891)もそうだ。シュルレアリスムに関連する画家だと、マックス・エルンスト(1891-1976)やマルク・シャガール(1887-1985)が挙げられる。

シュルレアリスム運動の筆頭であったアンドレ・ブルトン(1896-1966)は、「通底器」という概念を重視した。簡単に言えば、それは、理性と狂気、生と死、内面と外面などの連結装置のことだ。あるいは、錬金術的思考を可能にするダイナモである。ブルトンは『シュルレアリスム宣言』の中で以下のように述べている。
私は、夢と現実という、外見はいかにもあいいれない二つの状態が、一種の絶対的現実、いってよければ一種の超現実のなかへと、いつか将来、解消されてゆくことを信じている。
アンドレ・ブルトン、巌谷國士訳『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』岩波書店1992年p.26

現実は夢に侵入し、夢は現実に侵入する。このように一見相反する事象が互いに深く嵌入し合う概念的道具が「通底器」である。そして、この「通底器」のモデルこそ、シュルレアリスムの核心である。また、今野が目指すところもここにあるだろう。事実、会場で配布された日記には、彼の約3ヶ月にわたる現実の出来事と夢の出来事が入り混じるように記されており、インスタレーションも、現実の出来事と夢の出来事で複雑に構成されていた。
一方で私は、夢こそが「通底器」ではないかとも思う。この世とあの世がかろうじて区別されながらも混交するところこそ、夢ではないだろうか。熊楠は、このことに関して次のように述べている。
扨烏羽玉の『夢』てふ物は死に似て死に非ず生に似て生に非ず、人世と幽界の中間に位する様な誠に不可思議な現象で種々雜多の珍しい問題が夢に付て斷ず叢り居る。
南方熊楠「夢を替た話〔南方先生百話〕」『牟婁新報』1918年
人世(この世)と幽界(あの世)の中間にある夢。熊楠は、ここにこそ不可思議な現象、つまり私たちが最も考えるべき事柄があると言う。今野は夢の先にある幽界(あの世と言っても良いし、生命のルーツと言っても良い)をどのように捉えるだろうか。そして今後、夢を通じて無意識のさらに奥へどのように踏み込んでいくのだろうか。当然そこは令和でもなければ秋田でもない。むしろそこは、そのような概念が生起してくる豊穣なゼロ・ポイントだ。そして、そこは決して明朗快活な場ではない。むしろ暗鬱としている。アポロン(形式や秩序の象徴)的なものではなくディオニュソス(情動的で過剰な衝動の象徴)的であると言い換えても良いだろう。一言で言えば、ロゴスを超えている、ということだ。今野は、そこに触れつつある。彼の夢が、作品が、全体として決して明るいものではなく、むしろ不穏さあるいは妖しさを漂わせていることからも、それはわかるだろう。
今野は、単なるイメージを超えた、もっと心の深海にあるヴィジョンを掴もうとしている。表層的な想像群ではなく、人間の原初的部分に触れうる何か。それは明確な形を持たないし、簡単に視認できるものでもない。それは、例えば集合的で超巨大な「生命記憶」と呼びうるものかもしれない。その内奥への探求は果てしない。夢の「虎穴」は広大無辺だ。


作品撮影:越中谷優一
Profile
唐澤太輔 Taisuke Karasawa
1978年神戸市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。南方熊楠の思想を軸に、華厳思想やハイデガーの存在論などを交えながら、粘菌(変形菌)を哲学的に探求している。著書に『南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者―』(勉誠出版2014年、第13回湯浅泰雄著作賞)、『南方熊楠と岡本太郎―知の極北を超えて―』(以文社2024年、石井匠との共著)など。2020年より秋田公立美術大学で粘菌研究クラブを主催。
粘菌研究クラブ https://www.facebook.com/nenkin.art
秋田公立美術大学大学院 https://www.akibi.ac.jp/daigakuin/advisor/taisuke-karasawa/
Profile
今野嵩琉 Takeru Imano
2004年兵庫県生まれ。秋田公立美術大学、アーツ&ルーツ専攻在籍。夢や無意識を人類のルーツと捉え、現実と夢の内容を交互に記録した日記をもとに意識・無意識の関係性についてリサーチや制作を行っている。昨年は秋田県の若手アーティスト支援事業である「アーツアーツサポートプログラム」に採択され、個展「喋る羊の夢」をアトリオンにて開催した。

Information
今野嵩琉 個展「虎日記」
※本展覧会は終了しました。
■会期:2025年12月13日(土)~2026年1月22日(木)
入場無料
■休館日:2025年12月29日(月)〜2026年1月3日(土)
■会場:秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT
(秋田市八橋南1-1-3 CNA秋田ケーブルテレビ社屋内)
■時間:9:00〜17:30
■主催:秋田公立美術大学
■協力:CNA秋田ケーブルテレビ
■企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた
■お問い合わせ:NPO法人アーツセンターあきた
TEL.018-888-8137 E-mail bp@artscenter-akita.jp
※2025年度秋田公立美術大学「ビヨンセレクション」採択企画