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【未来の生活を考えるスクール】第1回レポート
美術・憲法・哲学の専門家と「未来の生き方をイメージする」

2020.12.22

【#秋田市文化創造館プレ事業】
新しい知識・視点に出会い、今よりちょっと先の生活について考える
「未来の生活を考えるスクール」(全4回)。
第1回は、美術・憲法・哲学の専門家と「未来の生き方をイメージする」。

このまま続いていくと思われていた日常が、いま、大きく変化しています。私たちの生活はこれからどうなっていくのか。秋田の大学で教鞭を執る藤浩志(美術)、棟久敬(憲法)、鈴木祐丞(哲学)の3氏が語り合いました。
そして第2部では、哲学を専門とする鈴木氏が進行役となり、参加者と一緒に意見を交わす哲学カフェを実施。そのレポートです。

※「未来の生活を考えるスクール」は、「秋田市文化創造館」プレ事業〝乾杯ノ練習〟の一環です(秋田市委託事業)。詳しくは#乾杯ノ練習

藤 浩志 Hiroshi Fuji(写真右 秋田公立美術大学大学院教授・美術)
奄美大島出身の両親の影響で大島紬周辺で遊ぶ。京都市立芸術大学在学中演劇活動に没頭した後、地域をフィールドとした表現活動を志し、全国各地の現場でプロジェクト型の表現を模索。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校に勤務し原初的表現と社会学に出会い、バブル崩壊期の再開発業者・都市計画事務所勤務を経て土地と都市を学ぶ。「地域資源・適性技術・協力関係」を活用したデモンストレーション型の美術表現により「対話と地域実験」を実践。

棟久 敬 Takashi Munehisa(写真中央 秋田大学講師・憲法)
1982年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。2016年より現職。

鈴木祐丞 Yusuke Suzuki(写真左 秋田県立大学助教・哲学)
1978年北海道生まれ。筑波大学大学院修了(博士(文学))。専門は実存哲学。キェルケゴール、ウィトゲンシュタインといった哲学者の思想と向き合いつつ、人間という存在とその生き方について考察を続けている。2014年より現職。著書に『キェルケゴールの信仰と哲学』(ミネルヴァ書房、2014年)、訳書に『キェルケゴールの日記』(講談社、2016年)、『死に至る病』(講談社学術文庫、2017年)がある。

ポートレイト:草彅 裕


【第1部】 藤浩志氏と棟久敬氏によるプレゼンテーション

●「未来の生き方をイメージする」

鈴木 与えられたテーマは「未来の生き方をイメージする」。もちろんコロナ渦と密接に関わっています。例えば僕は今日、自宅からバスでここまで来た。降りるときに料金を払いますが、常日頃の習慣が抜けなくて、運転手さんに「ありがとうございます」と言おうとした。でも運転手さんが、話しかけてくれるな、という風で、それを察知してその言葉は言わなかった。

もう一つは、アーツセンターあきたの有馬さんと先ほどご挨拶をしたとき、「はじめまして」と言うべきだったのかどうか。つまり我々は直接対面したことはなかったが、zoomを通じて何回かやりとりさせていただき、ある意味で知り合ってはいた。どういう関係なんだろう、という疑問がそこにはありました。

つまり、我々の生き方というのがいま変更されつつあり、新しいこれまで存在しなかった人間関係の形が問われている。だから立ち止まってみて、考えるべき問題がどこにどういうふうに転がっているのか、一つずつ出来る限り取り出し、話してみる場が必要なのだと思っています。

●藤浩志「違和感と向き合うことで生まれた表現」

「秋田市文化創造館」が、もうすぐ動き始めます。ここがどういう場所であるか、ということは、今日のトークとも深く関わると思っています。今日は憲法と哲学の専門家と話ができるということで、どのくらい僕が抱えているモヤモヤした違和感を共有できるのか、ぶつけていきたいと思います。違和感からさまざまな活動が発生すると捉えているからです。

僕が学生時代のもう20年以上前、自分がどう生きるんだということを考えていたときに、「生活」という言葉が重くのしかかっていました。いま学生と話しても、それは変わらないと感じます。この「生活」という言葉の中には2つ「生きる/活きる」があるなと思いながら、学生時代に「カメハニワ」という作品を作りました。

これは「カメ」という個体が、「ハニワ」という社会的な立場、活きる役割、肩書きのようなものを頭に乗せているモデルを紙粘土で作ったものです。それを屋内に敷き詰めた芝生の上に並べたりしました。

●AとBの「接点」ではなく、「間」を作る時代

青丸がモヤッとした「個」、「私」という存在だとします。
もうひとつの赤丸が別の存在。

コロナ以前の僕の活動の作り方、場の作り方としては、2つの関係してないものが混じる接点を開発しようとしていました。工作でいう「のりしろ」のような部分です。「関わりしろ」という言葉も使ってきました。

ところがコロナで確認したのが、接点を作る時代ではなくなったということ。ディスタンスをとることを考えなければならないこれからの社会は、2つの間にあるこの黄色いムニョとした存在をデザインしていくことなのかなと考えるようになりました。AからBに移動していく間に全然違うものを作るとか、家庭と職場以外に別の場所を作るとか、AとBの間にある時間、空間、間そのものを作っていくことが必要だと感じています。

●20代の違和感

抽象的な話から始めましたが、具体的な活動がどのように作られていくのかという事例を話していきます。自分の周りに漂う「何かが違う」という言葉にならない違和感に向かい合い、そこに触れようとすることから動き始め活動の連鎖がはじまります。

20代前半の違和感は表現の現場についてです。美術館やギャラリーでなく、どこで表現するのかという問題に対し、例えば川を使って表現するのはどうだろうと思いました。染織科だったので、鯉のぼり15匹を制作し京都の鴨川の三条大橋の下に展示してみました。

すると、京都府土木局が撤去するという騒ぎになりました。実は川が河川管理法というもので管理されていることに気づき、始末書を書かなきゃならなかった。初めて自分の周りにある法律を意識した事件でした。

もう一つ重要なのが、この時の学長が梅原猛さんという哲学者で、学生の表現を京都府が撤去したことに抗議してくれました。それは僕にすごく大きい影響を与えています。街の風景の全て、建造物や公園、道路、川や山や海でさえも、なんらかの団体が所有し、法律や条例で管理されている。そこに新しい隙間を見つけ、表現する場を獲得していかなきゃならないんだと気づいた20代でした。

20代後半になると、美術を学ぶために欧米にゆく常識への違和感から、開発途上国で活動する選択をし、青年海外協力隊員として、パプアニューギニアに行った。僕はパプアニューギニアで所有という概念のない社会を体験し、文化人類学や社会学の手法に出会い、思いがけず太平洋戦争の現場にも出くわしました。山奥に戦闘機や爆弾が落ちていました。日本の常識が全く通用しない世界に多くを学びました。

●30代の違和感

30代の違和感は、〝食うために働く〟という常識への違和感。都市計画事務所に務めながら途上国の緑化運動とか食糧支援のプロジェクトを行っている頃。食うために働いているという1ヶ月分の給料全てを使ってお米を買ってみました。すると1トンのお米が買えました。1トンというのは10年間食っていける量です。食うために働くって言っているけれど、違うじゃないかと。僕は何に騙されているんだろう、ということを考えているうちに、お米が腐って、右往左往することになります。

違和感が解決しなくても、活動が連鎖していく面白さがあり、違和感が消えていく。問題に向き合うのも大切ですが、どんどん活動に転嫁していくのもいい。このコロナ渦にしても、ディスタンスの問題から、いま実は予想もつかなかったものが生まれてきていると思うんです。ここから何が連鎖するのかが興味深いのです。

●40代の違和感

40代になり、子供を育てていく中で、田舎の農家を借りて暮らしはじめ、廃棄物に対しての違和感を抱き始めます。なぜこんなにビニプラの廃棄物が多いんだということでした。考えてみると自分が生まれた1960年くらいから石油化学製品が増え始め、大量消費社会になっていった。ゴミを捨てずに洗って分別し蓄積していくとどうなるのだろうという実験を家族で始めたのが1997年。3年間蓄積すると、毎日消費する卵パックや納豆パックが、1000個くらい溜まるわけです。ペットボトルの凄い量が集まります。子供が小さい頃は木製のおもちゃしか与えないと決めてがんばっていたのに気付いてみるとプラスチックのおもちゃで部屋が埋まっていました。それを使って活動を作れないかと考えるようになりました。

問題に向かい合いながらも、ズレとか、バグみたいなものを見つけ、面白いことができないかなと考える。すると、思いもよらない方向に進展して、生活が楽しくなってゆく。

●いま抱える違和感:個人と団体の関係や距離を見直す時期

そしていま50代になり、いい社会を作ろうと動いてきたはずなのに、なぜこんなに生きづらい世の中になってしまったのかという違和感。若い人はなぜこんなにも生きづらそうなのか。僕らだって決して生きやすいとは言えない社会だということ。改めて個人と団体の関係や距離について見直す時期なのではないかということ。

以上を、今日の僕の問題提起としたいと思います。