ゲストは『発酵文化人類学』の著者、小倉ヒラク氏。
美術作家・音楽家らとの共同制作も行なう人類学者の石倉敏明氏が聞き役をつとめました。
「目に見えない微生物によって人間の文化は導かれている?」
酒や味噌などに留まらない、「発酵」を軸に広がるトークをお楽しみください。
※「未来の生活を考えるスクール」は、「秋田市文化創造館」プレ事業〝乾杯ノ練習〟の一環です(秋田市委託事業)。詳しくは#乾杯ノ練習
○小倉ヒラク Hiraku Ogura (写真左 発酵デザイナー)
「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちと発酵・微生物をテーマにしたプロジェクトを展開。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨の山の上に発酵ラボをつくり日々菌を育てながら微生物の世界を探求している。アニメ『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014を受賞。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』。YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』パーソナリティ。2020年4月に下北沢に店舗「発酵デパートメント」オープン。
○石倉敏明 Toshiaki Ishikura (写真右 秋田公立美術大学・大学院准教授)
1974 年東京都生まれ。人類学者。秋田公立美術大学アーツ & ルーツ専攻准教授。シッキム、ダージリン、カトマンドゥ、東日本等でフィールド調査を行ったあと、環太平洋地域の比較神話学や非人間種のイメージをめぐる芸術人類学的研究を行う。美術作家、音楽家らとの共同制作活動も行ってきた。2019 年、第 58 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭の日本館展示「Cosmo-Eggs 宇宙の卵」に参加。共著に『野生めぐり 列島神話をめぐる 12 の旅』『Lexicon 現代人類学』など。
ポートレイト:草彅 裕
【第1部】小倉ヒラク氏によるプレゼンテーション
●発酵から発酵文化へ
小倉 こんにちは。小倉ヒラクと申します。いま人生で初めてこの能舞台の橋掛りを渡りまして、まさかそんなことがあるとは思いませんでしたので、急きょ足袋を用意していただきました。この「橋掛り」というのは、この世とあの世の間をつなぐものですね。今日は発酵の話です。非常に身近なテーマですが、そこから、皆さんを普段あまり意識したことがないような世界へお連れすることになります。
これは、新潟県妙高という豪雪で有名な高原地帯です。毎年1月20日頃、大寒の日に、モコモコに着ぶくれした地元の女の人たちが、真っ赤な唐辛子を雪原に撒いています。すると雪原で唐辛子が燃えるように、雪の中でゆっくり発酵熟成していく。最終的に、唐辛子のお味噌みたいな調味料になるのですが、これは「雪さらし」といわれる行事。浮世離れしていますね。視界すべてが真っ白な雪原の世界に、とても大きな唐辛子を撒いて、時間が経つとだんだん雪の上に赤い花が咲いているような、とても不思議な風景に変わる。そんな行事が一年の最も寒い日に400年以上行われています。

発酵研究の一番シンプルな形は、微生物が何をしているかを調べて論文を書き、それを製品などに応用するというものです。僕自身の研究は少し違っていて、自然科学というよりは、どちらかと言えば文化領域にフォーカスしています。微生物と人間の関わりは、人間の文化にどのような影響を与えているのか、どんな経緯で発酵文化が作られてきたのかを調べていくことが大きな仕事です。
僕は「発酵デザイナー」という少し不思議な肩書を持っています。バックグラウンドが4つあり、大学の時に文化人類学を学んで、30歳までグラフィックや映像のデザインをしていました。その後、東京農業大学という漫画『もやしもん』で舞台として描かれている大学で、微生物学と化学を勉強しました。現在は主に発酵食と関わる仕事をしていて、東京の下北沢にある「発酵デパートメント」というお店のオーナーでもあります。そこに食材店や飲食店があります。なので、僕の発酵の見方は「こういうものがおいしいですよ」「健康にいいですよ」というだけではなくて、発酵というものをデザインとして捉えたとき、人間の文化とコミュニケーションにそれがどんな作用をするのかを考えています。
これは僕が専門としてきた「麹」です。麹はカビの一種です。お酒などの麹をつくるカビですね。これはその原理が分かるアニメです。最近は一般の方向けのプロジェクトもしていますが、もともとは子どもの食育から活動が始まっていて、このアニメはその当時、2014年のもので、僕がデザイナーの仕事をやっていたスキルが分かりやすく出ています。このアニメを使って海外でもワークショップをしています。

●「発酵」とは何か
これから「発酵」についての話を深めていきたいのですが、微生物学的に発酵とはそもそも何でしょうか。さきほどアニメに「大きなものを分解するよ」というセリフが出てきました。発酵で食べ物が美味しくなるということ以前に、もう少し現象的に考えてみると、目に見えない微生物、目に見えないある種の生き物によって僕らは社会生活を左右されています。今COVID-19で世の中が大きく揺れています。実はコロナウイルスだけの話じゃなくて、他にもたくさん目に見えない微生物(ウイルスは生物とはいえないかも)がいます。皆さんは体にそれぞれ固有の微生物の生態系を持っていて、今ここに4、50人くらい集まっているので、微生物界的には超異業種交流会になっているわけです。微生物同士が「なんか見たことないやつがいるぞ」と。
その微生物はいったい何をしているのか。皆さんは高校の生物の授業のときに「生産者と消費者」ということを習ったと思います。「生産者」は光合成をして炭水化物を作る植物、それを動き回って食べる動物が「消費者」だと。
実は生態系の中には第三の存在があって、それは「分解者」です。動物と植物の死体がそのまま放置されたら地球が死体だらけになってしまうので、それを掃除して水や土に還元する「分解者」の存在が必要になります。微生物の役割はこの「分解者」なんですね。そしてその「分解者」が分解するプロセスで、たまにやたらと人間の役に立ってしまうことがあります。そこに注目して、その現象に再現性を持たせたものを「発酵」と呼んでいます。
具体的に言うと、これはヨーグルトができる発酵の原理を簡単に、やや誇張して書いたものです。「乳酸発酵」というもので、牛乳の中にある糖分にこの乳酸菌が寄ってくるんですね。「美味しそうなものがあるな」と、金曜夜に赤ちょうちんに吸い寄せられてくるおじさんみたいな感じで。このグルコースが糖分を分解していくときに、ヨーグルトの酸味のもとになる酸っぱくてさわやかな乳酸という弱酸性の酸をつくるのと、生物学を学んでいる人は皆が知っているアデノシン三リン酸(ATP)を生成します。アデノシン三リン酸は生物のエネルギーの基本通貨と呼ばれていて、地球上ほぼ全ての生物が共通で使うエネルギーです。

乳酸菌は糖分を食べて元気を得ているんです。僕らも基本的には生きるため、エネルギーを得るためにご飯を食べる。その後、汗をかいたりゲップをしたりトイレに行ったりする。つまり、何かを食べてエネルギーをもらって余剰物を捨てている。この捨てている余剰物が乳酸なので、端的に言うと乳酸は乳酸菌のウンチなんです。
そのウンチを人間が「牛乳が腐りにくくなるし、酢っぱくていいよね」と有効利用しているのがヨーグルトの発酵というわけです。
生態系の中で見てみると発酵ってとても面白くて、ある微生物が捨てたウンチやおしっこやおならを、人間が「これ美味しい」「役に立つよね」と引き取っている。いわばリサイクルみたいなことで、それが生態系の中でチェーンのように張り巡らされて生物の代謝活動が行われていく。その循環が人間に役に立っている場合は「発酵」と呼ぶのですが、逆に「食べたらおなかを壊した」みたいな悪い循環もあるんですよ。その場合も微生物が何か余剰物を作っていて、その余剰物が人間の身体にとって悪い影響を及ぼす場合は「腐敗」になってしまう。発酵と腐敗は紙一重で、地球上のほぼ全ての有機物(たまに無機物も微生物によって分解されてしまいますが)を分解するときに必ず余剰物が出て、その余剰物が大抵は無害で、たまに有害で、たまに有益ということになります。そして「たまに役に立つ」場合、この余剰物は「発酵」となり、レシピとなって世界中に伝播していく。
そのように発酵というものを考えたとき、唯心論的な少し難しい話になるのですが、「くさや」を食べたことがある方はいらっしゃいますか? 10人くらい。では「くさやは美味しい」と思う人は手を上げ続けてください。2人しかいないですね。10人がくさやを食べたら、8人くらいは「これは腐っている」と思います。10人中8人にとって、くさやは「腐敗」なんです。そして美味しいと思う2人にとって、くさやは「発酵」なんですね。つまり人間がどう思うかで、発酵か腐敗かが決まってくる。発酵という現象自体は自然科学の領域なのですが、一方でグレーゾーンがあって。
僕は秋田だと、にかほ市に(酒蔵の)ある「飛良泉」が好きなのですが、「飛良泉」って変わったお酒も作りますよね。年間ごく限られた数だけ製造するような、酸っぱいお酒。昔ながらの日本酒ファンからすると「これは酒じゃねえ」と思うかもしれない味ですが、僕のように変なお酒が好きな人は「これ美味しいね」となるので、その時に発酵しているのか、それともダメになってしまっているのかの線引きは人の心持ちによって決まってくる。つまり文化の領域になってくるんですね。物理的な法則である発酵の微生物が起こす現象が、「この酒は上手い」「この酒は微妙だ」みたいな人間の心持ちや文化の中にある交差点になる。僕はそこに発酵文化というものが生まれてくるという発想で活動しています。
ちなみにそういうことを書いているのが僕が出している本の1冊目『発酵文化人類学』という本で、2冊目は秋田ともゆかりが深い「のんびり」というフリーペーパーを作っていた藤本智士さんが編集してくれた『日本発酵紀行』という本です。1冊目が論理編、2冊目が実践編という感じですね。次はこの2冊の本からいくつかの内容をピックアップして、話を進めていきたいと思います。

●発酵の西と東
まず、発酵文化を考えるときに、西と東で文脈が違います。この図は4000年以上前のエジプトの壁画です。

ブドウを摘んでワインをつくっている。下は魚や鳥みたいなものを壺に詰めて醤(ひしお)みたいなものをつくっています。またジョージアなどでは8000年前につくられたワインの製法があるので、世界的に見ても発酵文化の起源は非常に古いです。文字より古い。人間にとってかなり根源的なテクニックと言えます。その中で、日本の発酵文化はどのような位置づけにあるんだろうか。僕の見解としては、アジア、特に東アジアのさまざまな発酵文化がるつぼのように混じっていると思っています。
写真は愛知県岡崎の八丁味噌です。八丁味噌を仕込んでいる桶の上にピラミッド状の石積みをして、内部の水分の対流を促し、発酵させています。

八丁味噌の製法は中国の豆鼓(トウチ)に非常に似ていて、そのように日本の発酵文化は大陸から伝わったものが日本的に変形してきたものなのではないか。今の段階では仮説で、もう少しフィールドワークを重ねないと確かなことは分からないのですが、東インドのコルカタや飛び地のバングラデッシュ、あのあたりに発酵の境界線がある。そこから西になると、ヨーグルト、パン、ワイン、ビールなどヨーロッパ的な西の発酵のものになる。そこから東に行くと、味噌、テンペ、紹興酒といったアジア的なものになる。
このエリアは、甘酒とスパイスの両方がある不思議な場所。その象徴は僕が専門にしているカビです。多様な種類のカビがいるエリアと、あまりいなくなるエリアに分かれるのですが、東アジアにはさまざまな種類のカビが棲んでいます。カビは発酵のスターターになるのですが、例えばヨーグルトは乳酸菌だけでできる一方で、お味噌などは麹カビというカビがスターターになって、その後に乳酸菌、酵母菌その他さまざまな菌が入ってくる。カビが介在することによって、非常に味が複雑になっていく。
ざっくりいうと、一神教と多神教みたいな構造です。西はわりと一神教的な発酵のものが多い印象で、酵母だけ、乳酸菌だけという形。東アジアにおいては神羅万象の多様な菌があって、そのうち大半はいいもので、残りは何をしているのかよく分からない。
日本の場合、糠床が一番カオスです。本来は病原菌とされるような菌までが混じっていて、でもそれがいなくなると糠床っぽさがなくなる、不思議な世界です。
●日本は多神教的発酵文化
東の発酵文化である日本の中で代表的なのは麹カビです。米麹ですね。お米にピョンと胞子が飛んでいますが、これが麹カビの胞子です。正式名称はアスペルギルス・オリゼーです。日本食の特徴であるうまみや甘みをつくり、さらに他の微生物の呼び込み役になる。芸能界だとタモリさんみたいな存在ですね。タモリさんが司会をやっているとわりとしょぼい芸人でもそれなりに見える感じがあると思いますが、そういう感じで他の菌を引っ張り上げて、活躍させる力があるんです。麹カビも1種類だけではなくて、泡盛や焼酎用、醤油用、豆腐用、さらに鰹節などもカビを使って発酵させます。そういう多様なカビがひしめき合って、アジア的、多神教的な発酵文化をつくっているわけです。日本だけで見ても、醤油、味噌、みりん、酢、日本酒、焼酎、これらは全部麹カビがベースになってできています。本来みりんの原料は基本、水と米だけです。水と米だけでメロンより甘いものをつくれるのは、糖分をつくる麹の力のおかげですね。そのなかでも日本の麹の発酵文化を見ていくと、水田が非常に重要です。大豆と米ですね。大豆と米に微生物という変数を掛け合わせることで、さまざまなものをつくっていくんです。

例えば、定番の納豆かけご飯、豆腐の味噌汁について解説します。ご飯=米。納豆=大豆に納豆菌という菌をつけたもの。その上にかけている醤油=大豆をベースにちょっと麦を混ぜて、そこに麹菌・乳酸菌・酵母菌などで発酵させた調味料。そして味噌汁の味噌=大豆と米麹。豆腐=大豆。こうして見ると、ほとんど大豆と米でできていますね。秋田はたぶんやっていないと思いますが、僕の出身である山梨の古い田んぼを見ていると二毛作をやっています。暖かい季節に米をつくって、寒い季節に麦をつくる。今みたいに窒素を入れてやれないので、たまに田んぼを休ませるときに、土を肥やすこともかねてあぜ道などに大豆を植える。米麦や大豆を水田からつくるのが、それほど豊かではない日本の土地の基本フォーマットでした。そこから麹をつくり、味噌や醤油をつくって、さらに酒までつくってしまう。「水田さえあれば死なない。一生食べ続けても飽きない」と。毎日ごはんと納豆、お醤油、お味噌があったら飽きない。そんなふうに、麹カビがスターターになることで味が深く複雑になり、一生食べ続けても飽きない食文化ができていくわけです。しかも長生きができるし、最高ですね。お酒は飲みすぎるとあまり良くないですが。
●発酵と神
東北で水田の研究者たちとフィールドワークしたときにひとりの先生が面白いことを言っていて、よく田んぼの中にお墓があると。これは「田んぼで死にたい」というロマンもあるかもしれないですが、実は御影石などが避雷針の役割を担い、稲妻が落ちやすくなっている。稲妻が落ちると、農業をしている人はわかると思いますが、強制的に土の中に窒素固定が起こる。そうすると連作障害が防がれる。乱暴な言い方ですけど、コメリから窒素を買ってきて注入しているのと同じことなんです。昔の人は稲妻が落ちると田んぼがすごく豊かになる、豊作になることを知っていたので、「稲の妻」で稲妻だし、「神が鳴る」で雷になって、それは喜ばしいことだった。
僕は徳利をコレクションしているのですが、この徳利には稲妻が描かれていて、日本人の発酵と水田のイメージが湧きやすい。要は「神様が稲妻をプレゼントしてくれた。これで米が育つね、良かった良かった」と。取れたお米を一部お酒に醸して、神様に感謝してお返しする感覚でしょうね。お酒はもともと人間の前に神様が飲むもので、神様が飲んでいるそのお相伴にあずかるという儀式が直会(なおらい)です。水田とコミュニケーションを取るときに、酒を醸す、麹をつくるのは、超自然的な世界と人間が言語以外のもので意思疎通を図るためのツールだったわけです。

日本で最初に発酵に関する記述が出てくるのはヤマタノオロチ退治の話です。今から1300年くらい前ですね。須佐之男命(スサノオノミコト)は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に八塩折之酒(ヤシオリノサケ)という、8回醸した強い酒を飲ませて酔ったところを殺します。そしてヤマタノオロチの死体から出てきた剣をアマテラスに捧げるというお話なのですが、微生物学や醸造学を学んでいると8回酒を醸すのは絶対に無理だということが分かる。度数が強くなりすぎて酵母が死んでしまうので、3回くらいまでしか醸せる可能性がないんです。「3回より8回の方が盛り上がる」という感じで、昔の人は大げさにしがちだと思います。それはともかく、この話から分かるのは、1300年前の時点でかなり強い酒をつくっていたんですね。強い酒をつくるといっても、例えば『君の名は』に出てくる口噛み酒も無理があります。あの方法では度数2〜3%が限界で、カビを使わないと強いアルコール度数は出せない。そう考えると、顕微鏡もない1300年前の時点ですでに微生物の存在やカビの機能を知っていて、それをレシピ化していた日本人の姿が見えてきます。
一方、古代中国では、発酵を表す一番古い漢字の一つが酉の市の「酉」という字です。「酉」には意味が4つある。まず1つ目の意味は酒を醸す「甕(かめ)」です。先がとがっている、今でいうと沖縄や九州に行くとその甕がまだ残っています。対流が起きやすくて温度管理しやすいので発酵に向いていて、その甕を地中に埋めて発酵させます。2つ目の意味は「棺」です。日本も大和朝廷くらいまでは、「甕棺」と呼ばれる棺に偉い人や一家の主の死体をミイラ状態で入れて弔っていました。3つ目の意味は「鳥」です。動物の鳥です。3つ目の意味がなぜ動物なのか疑問に思うところですが、白川静さんが面白い説を唱えていて、この漢字が意味する鳥は渡り鳥であり、古代中国では渡り鳥は先祖の魂が帰って来たものを指すそうです。そして最後、4つ目の意味は「西」なんです。これは渡り鳥が飛んでくる方向だと。この4つを総合的に見るとどういう世界観が出てくるか。毎年穀物が収穫される時期になると、その穀物を甕の中に詰めて発酵させます。そうすると生命が蘇るという考え方を、古代中国の人たち、アジアの人たちはしていました。そしてまた穀物が実るときにご先祖様が帰ってくる、そのときも魂が再生されると考えている。
「醸」という文字も象形まで辿ると、もっとよく分かることがあります。醸すという文字は、白装束の死人の胸の中に神具と呪具を入れて、胸が盛り上がっている状態が字の右側なんですね。そして左は酒壺を表す。これはダブルミーニングになっていて、胸が神具で盛り上がっている状態と、どぶろくをつくるときボコボコと盛り上がってくるあの状態を掛けているんです。つまり古代文字のコスモロジーの中では、発酵とは単純に美味しいものができるためのものではなく、死者がもう一度新たな生命になって帰ってくるためという意味がある。自分たちの自然に対する向き合い方、神様やご先祖様に対する向き合い方を教えてくれるものなんですね。
たまたまその土地にいた微生物たちが僕たちの思考を結果的につくり出しているのではないか。目に見えない微生物によって人間の文化は導かれていきます。