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移ろいながら描く、深くて広い、静かな境地への旅
三上と西尾が並走した半年間

2021.08.30

BIYONG POINTで開かれた三上真穂×西尾葉月による展覧会「洞然/インサイダー・アーティスト」。ふたりが秋田で出会い、半年間にわたる並走で見えてきたものは何だったのか。制作過程における試行錯誤や心の移ろいをインタビューで探りながら、展覧会をアーカイブします。

三上真穂《洞然》、西尾葉月《インサイダー・アーティスト》
半年間にわたる並走によって、見えてきたものとは

BIYONG POINT(CNA秋田ケーブルテレビ)にて6月11日(金)まら8月29日(日)まで開かれた展覧会「洞然/インサイダー・アーティスト」。本展は、秋田公立美術大学を2021年春に卒業した三上真穂の絵画と西尾葉月による映像作品で構成。作品を完成させるまでの試行錯誤や心の移ろいといった作家の制作過程に寄りそう展覧会として企画されました。
2020年初秋から冬にかけて、半年間にわたる並走によって見えてきたものとは、何だったのでしょうか。卒業後はそれぞれの道を歩み始めたふたりに美術家・尾花賢一(NPO法人アーツセンターあきた)が当時を振り返りながら探ります。

▼インタビュー映像はこちら

「この子しゃべらないけれど、すごく絵がうまい。何度も見て、じわじわと興味が湧いてきて」。秋田公立美術大学のビジュアルアーツ専攻で出会ったふたり。それぞれの作品や制作過程をお互いに見つめてきたなかで、「いつか絶対取材したいし、私はこの子を撮りたい」と心に決めていた西尾と、その被写体となった三上。
三上は、幼少の頃から場面緘黙症と向き合ってきました。コミュニケーションを取りたくても意思に反して体が強ばり、言葉を連ねることができない。そんな困難と共に生活するなかで、絵を描くことにより言葉にできない思いを表出してきました。一方、西尾は写真や映像を媒体として、被写体の奥に潜む物語を引き出す作品に取り組んできました。対象と丁寧に対話することで、深い陰影や奥行きを重ね合わせる表現を試みています。

「場面緘黙症について人に伝えることに抵抗はありましたが、意識して自分を出していこうと思っていた時期でした。でも自分で語るのはなかなか難しくて」と語る三上は、西尾から被写体として打診されたことに「声を掛けてもらえて嬉しかった」と話します。大学4年の中盤から半年間にわたる並走によって、卒業制作として発表された絵画作品《洞然》と、映像作品《インサイダー・アーティスト》。それぞれのタイトルには、深く内面を見つめるふたりの姿勢が反映されていました。

《インサイダー・アーティスト》というタイトルから
三上さんのなかに広がる、言葉では伝わらない
深いグラデーションのようなものを感じました(尾花)

尾花:《洞然》という聞き慣れない言葉のタイトルに、三上さんはどのような意味を込めたのでしょうか?

三上:《洞然》という言葉には、深く受け止めて静かであるさま、という意味があります。自分の心と向き合うときにいろいろな考えに囚われてしまうと狭いなかに閉じ込められて、息ができないような感じになってしまう。でも深く向き合っていくと、いつでも広く、静かな心に戻れる。ということを表したくてこのタイトルにしました。

西尾:《インサイダー・アーティスト》のそもそもの由来は、アウトサイダーアートです。専門的な美術教育を受けていない人がつくった美術作品のこと。私は美大生に着目して作品を制作していたので、美術教育を受けていない人がアウトサイダーアートなら、美術教育を受けている人はインサイダーアートかなと、ふわっと考えました。この言葉に、自分の心の内を美術作品に落とし込むという二重の意味を込められないかと思いました。インサイドが内側という意味なので、ぴったりくるなと。

尾花:映像では10月頃の出会いから言葉を通さないふたりのなんともいえない交感みたいなものが始まって、三上さんの内側にまで迫る内容になっていると思います。タイトルの《インサイダー・アーティスト》からは、三上さんのなかに広がる言葉では伝わらない深いグラデーションのようなものを感じました。

西尾:今までの作品は自分本位でつくっていたので、自分の好きなように自分の思ったタイトルを付けていました。今回に限っては三上さんが主役の作品で、あまり自分の感情を入れられない。そこに別の意味が出てしまうと思ったので自分の作品に込めた思いを入れつつ余計な感情がないようなぴったりなタイトルに、と思ったら悩んでしまって。卒業制作のタイトルの締め切り日まで悩んで、やっと出てきたタイトルです。

尾花:卒業制作の最終段階まで取材をしていたということは、編集が終わったのはきっとその後なので、かなりぎりぎりまで迫ったのだなと感じました。一方、西尾さんにかなり近い距離で密着されてきたのが三上さんですが、自分の制作過程をここまでじっくり見られることに抵抗はなかったのでしょうか。

三上:抵抗は特になくて。西尾さんのさりげない撮り方がとても上手でした。いつも通り描いていました。

尾花:踏み込んだ質問になると思うのですが、ここまで密着してくると自分が見せたくない部分、特に場面緘黙症に対して僕は出すべきか出さざるべきか悩んだ時に三上さんから「出してください」と返事をいただきました。触れるべきか触れざるべきか、西尾さんは触れそうで触れないけれどぐっと入っていくような絶妙な距離感でインタビューしていました。それでも抵抗がなかったことには何か理由があるのでしょうか。

三上:自分の考えていることとか場面緘黙症に関して人に伝えることには抵抗があったのですが、意識して自分を出していこうと思っていた時でもありました。自分の言葉で語るのはなかなか難しい。いまやりたいという時に声を掛けてもらったので、とても助かったというか、渡りに船というか。

何度も見てじわじわ興味が湧いて、
自分と対極的だけれど、どこか似ているのではないかなと。
「いつか絶対取材したいし、私はこの子を撮りたい」と
ずっと思っていました(西尾)

尾花:三上さんの背景を周辺の人に聞いてみたのですが、大学の4年間で、自分が苦手にしていることや課題に対して自分のなかで解消して新しい自分に出会おうと努力してきた姿を聞いてきました。今は教職の道を目指していて、人とたくさん接しないといけないし自分の思いをぶつけなきゃいけない現場に飛び込むというのも、すごく勇気のいる決断だったのではないかと三上さんの強さを感じています。今に至るまで、自分の苦手なことに対してどうして向き合えてこられたのかについてぜひお聞きしたいと思います。

三上:小学校・中学校までだいぶふさぎこんでいた時期が長くありました。その後でいろいろな方に優しくしてもらったり勇気をいただいたりして生きることに対してとても前向きになれた瞬間があって。不自由さを感じていたのですが、それが人とつながることと自分を認めることで好きに生きていいし、生きるのが楽しいと思えるようになりました。それを与えてくださったのが先生だった。私もそういうことを与えてあげられる先生になりたいと憧れをもったのもあるし、成長したいという思いになりました。

尾花:西尾さんは、三上さんに興味をもったきっかけ、被写体として選んだきっかけはあるのでしょうか?

西尾:ビジュアルアーツ専攻3年の終わりから彼女の作品を何度も見て、コンセプトを聞いて、制作にまっすぐ取り組む子だなと思っていました。言葉数が少ないし、正直その時点でだいぶ興味が湧いていた。「この子しゃべらないけれど、すごい絵がうまい」って。何度も見てじわじわ興味が湧いて、自分と対極的だけれどどこか似ているのではないかなと。「いつか絶対取材したいし、私はこの子を撮りたい」となっていった。それが自分でもしっかり意識するようになったのは4年の卒業制作間際。たぶん興味自体はずっと前からあったと思います。

尾花:取材させてくださいという一言は、どんなふうにコンタクトをとったんですか?

西尾:LINE!(笑) Zoomで中間発表があって。その時に三上さんの作品のコンセプトを聞いて、三上さんが若干制作を始めていたのを見ていたので今言わないと間に合わないと思って、急いで長文のLINEを送りました。講評のその日か次の日に。

尾花:ふたりは秋田公立美術大学のビジュアルアーツ専攻で3年、4年と一緒に過ごした仲。西尾さんはすごく気になっていたということですが三上さんは西尾さんについて何か印象はありましたか?

三上:専攻のみんなと関わりたいという気持ちはあってもなかなか勇気が出なくて自分から行けなくて。そういう時に3年生の時から西尾さんが日常的に声を掛けてくれたのがすごく嬉しくて。作品についても西尾さんの作品ってすごく心を振るわせるものがあるなと思って、とても好きでした。中間発表を聞いた時に「美大生の誰かを取材します」と言っていて。それを聞いて「私だったらいいのになぁ」と思っていたので、嬉しかったです。

尾花:お互い作品を見合いながら認め合って、何か一歩を踏み出せなかったけれども、急に仲が縮まったという感じなのでしょうか。

西尾:そうだったらいいんですけど(笑)

尾花:映像では西尾さんは三上さんの実家の青森まで取材に行っています。かなり踏み込んだ取材かなと思ったし、さらにお酒を酌み交わしながら感情がぽろぽろと、思いが自然な感じで溢れ出ている描写があって、ふたりの深い関係性みたいなものを感じました。

何かと対峙することで、そこに自分を見て
自覚が深まっていくような気がします。
モチーフがあることで、じっくり掘り下げていけるような(三上)

三上の絵画作品と、その制作過程を取材した西尾の映像作品。片方の作品を見ただけでは分からない、ふたつが対峙する空間だからこそ感じられる関係性があります。インタビュアーの尾花はここから、ふたりの作品について、取材の仕方やモチーフの捉え方について掘り下げていきます。

尾花:三上さんは、映像のなかでは海やあるいは自分が慣れ親しんだ土地に行ったり、パネルを一から作るなど取材を繰り返しているなと感じました。普段から油彩で表現するときは取材を何度も積み重ねているのでしょうか。

三上:作品をつくる時は、2種類あって。取材もなく自分の心から出てくるものを思いっきり画面にぶつけること。もうひとつは、実際にあるものとしっかり対峙してつくること。ひとつ目はだいたい呼吸するみたいな感じでやっていますが、ふたつ目については実際に何か物と対峙するとそこに自分を見るというか、自分でも気づいていなかった部分、自覚が深まっていくような気がします。何もない自分だけの時だとできないので、モチーフがあることでじっくり掘り下げていけるように思います。

尾花:海の風景や自然などを観察しながら作品の構想を練っている場面がありました。絵画には波のようなかたちや円を描いた太陽なのか月なのかあるいは何かのかたちか分かりませんが、そういった見たものの風景がだいぶ出てきているのかなと思いました。その一方で、タイトルには自分の内側の思いを込めたということで、見てきた風景と作品に入れ込めたモチーフ、そして表現したかったものの関係というのは何かあるのでしょうか。

三上:絵に描いているのはだいたい自分の心の風景。それは故郷の風景だったり、今まで自分が体験してきたことの記憶だったりというのが基本で、それらがかたちづくっているもの。海をモチーフにしているのは、自分の経験としてずっと海の近くに住んできて。ふさぎ込んで海に行くと自分が小さいことで悩んでいたような、もっと大きな世界に広がる気がするのと、洗い流されるような、全部受け入れられるような感覚になるので自分にとって海はとても大事なものです。心のなかは、もともとは何もないところに見聞きしたものが入ってパターン化されて、自分というものができていくのかなと思います。