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トークシリーズ「藤さん、今からちょっといいですか?」#2

アーツセンターあきたの理事長・藤浩志と、事務局長の三富が、設立から7年目を迎えたアーツセンターあきたのことを中心に四方山話を繰り広げるトークシリーズ「藤さん、今からちょっといいですか?」。第2回は藤さんの新プロジェクト「Project Goodbye」の構想について。

アーツセンターあきたの理事長・藤浩志と、事務局長の三富が、アーツセンターあきたのことを中心に四方山話を繰り広げる不定期のトークシリーズ「藤さん、今からちょっといいですか?」。収録方法を毎回実験しつつ、三富が勝手にテーマを設定し、藤に問いを投げかけるスタイルで進行します。

第2回目のテーマは、藤さんの新たなプロジェクトの構想「Project Goodbye(プロジェクト・グッバイ)」について。藤さんの幼少期の原体験まで掘り起こしながら、プロジェクトについて話をききました。

何にグッバイ?

三富
今日は、改めて「Project Goodbye(プロジェクト・グッバイ)」について伺いたいと思います。何度か伺いながら、わかったようでやっぱりわかってないなと思って。


僕もわかってないです。

三富
いったい何にグッバイなのか。


何にグッバイというよりも、グッバイのあり方だよね。

三富
ちょうど先週末アウトクロップシネマで、東海テレビ制作の「さよならテレビ」っていうドキュメンタリー映画を観てきたんです。「なんで”さよなら”か」というプロデューサーのインタビュー記事を見ると、既存のテレビ番組の制作スタンスと決別する、ありのままを曝け出すという意味でのさよならである、というようなことを語っていて。Project Goodbyeは、何かと決別するためのグッバイなのでしょうか。


スタンスはちょっとちょっと違うかな。まず前提として、僕が死んでいくと遺骨はどうなるっていう問いがある。それはお墓に入れるという、なんか当たり前のように受け入れてきたことって実は最近の風習というか、最近作られた当たり前。最近というのは、二世代ぐらいで、僕の祖父の生まれた明治時代にはまだなかったんじゃないかな。ちゃんとした、士族とか、階級のある人たちは墓に埋葬されていたのかもしれないけれど、いわゆる庶民は死んだら普通に自然に戻っていったんじゃないかな。
それと廃棄物の問題について言えば、僕が子どもの頃生ゴミは川に普通に捨ててたからね。橋の下で遊ぶときはゴミが降ってくるから気をつけろっていうのが常識だった。

三富
へえ。埋めるんじゃなくて?


川に捨ててた。まだプラスチックがない時代だよね。全てが自然に戻るものだったと思うんだよ。それがまず素材が変わっていった。物の循環や廃棄の仕方が変わってきた。この50年ぐらいは、そういった背景について考えずに物が作られてきた、そこに問題意識がある。

そして、美術館の問題とか、これは油谷(満夫)さんの問題にも通じるけれども、活動をどう残すのかという問題もある。アーカイビングの問題。デジタルで残す方法は、2000年ぐらいからのわずか20年の話。美術館とか博物館の歴史は近代化以降に構築されたもので、正倉院のように宝物を残す形はもっと前からあったけれど。江戸後期に博物館の設置を提唱したって話を太宰府天満宮の宮司さんから聞いたけど、日本という国をアイデンティファイするために博物館が必要であるという発想に基づいているんだよね。地方に美術館ができていったのも、地方のアイデンティファイに関わる問題だし。その当時どういう作家がいて、どういう技術があったのか、さらには人のつながりや活動、状況がどうだったのかを残すために博物館や美術館が立ち上がっていった。2000年ぐらいに芦屋市美術博物館の具体美術協会の作家の作品のコレクションが問題になったことがあった。敗れた紙の作品とか、活動の痕跡が残っているものを集めていたんだよね。残すことは重要だけど、同時にその活動そのものをどう残すのかってなったときに、映像メディアとか、写真とか、印刷物とか、何をどのように残すのかの問題につながっていく。さらに言えば、次の世代が何を受け取るのかっていうことを考えなきゃいけないと、僕自身が切実に思うようになってきたというのがある。

ご存知のように、僕も50万点ぐらいのプラスチックのゴミを集めてるし。今ちょうど風力発電の風車の脇を通っているけれど、この前、羽が破損した事故があった。この間メーカーの方からあった相談は、風車が設置されてもう20年ほど経つから、これからどんどん風車の廃棄物が出てくるけど、使えないかっていうもの。 もう10年前くらいには、ある中間処理業者の人から、藤さん今から信号機がすごい出てくんだけど何か使えないかなっていう相談もあったね。信号機のライトがLEDに変わっていくタイミングだった。中間処理業者の人たちと話をしてると、ある時期のあるものが、一斉に廃棄される時期ってのがわかる。

そうやって活動を記録することとか、その後どういうふうに循環されて、次に繋がっていくのかっていうことを、トータルで考えていく発想が今重要だなと考えています。次世代に引き継いじゃいけないものもいっぱいある。次世代に引き継がなきゃいけないものと、次世代に受け渡しちゃいけないものと、これをどう考えていくのかっていうことを無視したくない。

アーツセンターあきたで向き合ってる油谷コレクションの問題。これは明らかに油谷さんが生涯かけて意思を持って集めてきたもの。それを廃棄するっていうのはない。廃棄しちゃいけない。 どういう繋ぎ方があるのかは無視できないよね。他にもソーラー発電のソーラーパネルや自動車もそうだけれども、製造するときに、これが次にどういう状態になっていくのかっていうことも考えなきゃいけない時代になってきてる。生産・製造と廃棄という二つの軸をどう循環させるのかっていうのと、どう残していくのかっていうこと、もしくは最終処分みたいな形に向かっていくこともある。

ベースには33年一世代という考え方があって、僕は66歳になろうとしているんだけど、今から33年後の99歳では生きている確立は1%ってのも面白い。逆に言えば、死ぬ確率が99%。話しを戻すと、お墓については、山や森をお墓にする循環葬という考え方がでてきたり。今までのやり方に違和感を覚えて、どうにか形にしようとする人がでてきている。温暖化や廃棄物、地球環境、エネルギーや核廃棄物の問題もある。そういう問題について考えてしまうという感じです。

砂場の原体験

三富
現状に対して違和感をもつというのは、やっぱり未来への思考が起点になっていますか?


未来はわからないっていうのは学生にもよく言っている。将来どうなるとか、未来どうなるとかって考えすぎると、何かそれは圧力という重しになっちゃう。それよりも、どっちかっていうと今っていうことを考えた方がいいっていうふうに思ってて。今自分自身がどうやれば「ドライブするか」というか。グルーヴしていくかとか、自分自身の時間の質がどう変わるかっていう、ちょっと明るくなるような、今の状態が変わるかどうかっていうのがすごく大事な気がする。

三富
最近博物館学とかちょっと勉強しようと本を読んでいて、博物館の世代論のことを知ったんですけど。第3世代は、「社会の要請に基づいて必要な資料を発見・つくりあげる。住民の参加・体験が運営の中心になる」というふうに定義されているようです。油谷さんの収集活動や、藤さんが考えていらっしゃることは、誰かが決めた”社会の要請”に基づいているわけではなさそうですよね。


誰かによって要請が定義されているものというよりは、この先どうなるかわかんないけれども、残した方が良いと考えている。油谷さんに関しては残そうという意思があったので、残したけど、僕の場合はそこにこだわっているわけではないんだよね。  ただ、無視できない。 廃棄されていくものを無視できないし、集めてみようと。しかも僕の場合、生きている間ずっと取り組もうと決めてるけど死んでからのことは考えていない。そもそも僕が集めているのはゴミだから、油谷さんとは前提が違うし、廃棄されたものを残しておこうとは思ってない。 ただ僕自身は活動をつくっていくってことの方が中心になるので、つくる上でどっちにしろ素材を使うわけだから、それだったら廃棄されるものをつかった方がいいんじゃないかっていうモチベーション。自分が生きている間にやっていこうと思っていて、引き継ごうとは思っていない。2003年に一度終わろうとしてたんだよね、このプロジェクト。1997年から2003年までで終えるはずだったんだけど、やめれなくなった。意外と面白かったというのがあるし、深刻だなっていうのもあるし。 予想を超えたところでいろいろ動きが出てくるから、今も続けてるっていうのがある。ちょっとずつ広がるし、深まる。もともとそんなに広がるとか深まるとは思ってなかったんですよ。石油化学工業製品は僕が生まれる時代くらいから普及して、僕の人生終わるぐらいにはなくなって欲しいという思いがあった。90年、99年とか、三世代の間に出てなくなっていくというような運命みたいなものに付き合わざるを得ない感覚ですよね。

僕自身、体がすごく弱かったのがあって、喘息や皮膚病、アレルギーがあったし、筋肉の成長がちょっと悪いみたいなこともあって、化学物質に対してすごく被害者意識はあった。高度経済成長被災者っていう言い方もしていたけど、自分の体の弱さの裏側に、ちょうど石油化学工業製品が出てきた時代っていうのがあった。周りの子はみんな元気に野球して遊んでるけど、僕は砂場で、顔も上げれなかった記憶が原体験としてある。だからプラスチックっていう素材も、嫌で仕方なかった。でも、パプア・ニューギニアに行ったら、プラスチックが珍しくて、現地の学生がプラスチックの良さをすごく語ってみたいな。

三富
藤さんと同じ世代の人たちって、例えば「就職氷河期世代」みたいな形で、「工業化によって身体的な影響をこうむった世代」として一括りにされたりしているものですか。


そういうわけではないですよね。僕らは就職氷河期の前なんで、むしろバブル時代だったから、就職がすごく良かった。だからむしろ工業化に恩恵をこうむってる人たちも多い。僕は美大の出身なんで、同級生たちは企業に入ってデザインとか商品開発に携わって、時代をつくっていったけれど、僕は何かそこに行けなかったんだよね。

三富
「砂場」の原体験をやっぱり引きずってたんですかね。


楽しくはやっていたけれど、例えばみんなが欧米を目指すときに、パプア・ニューギニアを目指すみたいな。80年代の時代の空気があまり好きじゃなかった。その時に気づいたのが、日本にいるとタイムトラベルできないけど、国を変えるとタイムトラベルできるなと。例えば80年代だと、中国とか韓国がその前の世代のような気がしたし、今や逆に日本が過去になっているけれど。当時は開発途上国は、江戸時代とか近代化前みたいなものを感じていて。僕の関心は、明治維新ぐらいの状況にあって、西洋文化が流入していろんな価値観が変容していく状況に関与したかったので、青年海外協力隊に加わった。そこで派遣された先がパプア・ニューギニアで、ちょっと時代を戻りすぎちゃったみたいなところがあったけれど、800もの言語があって、それを使う800以上の部族があって、日本の1.5倍くらいの面積の中にそれぞれが独立した状態で成立し、交流もほとんどないという珍しい地域で、僕にとって非常に大きな影響を与えてくれた。

現地の学生たちは、プラスチックについて、こんな軽くて、丈夫な素材はないっていういうわけですよね。僕は忌み嫌っていたプラスチックが、場所が変わると価値が変わる。そういうもんかって思ったんですよ。ここまでがProject Goodbyeの前半という感じかな。

三富
やっぱりわかったようでわからない感じです。この記録を聞き直して、ゆっくり咀嚼しようと思います。


でもまだ本当にやり始めというか、今からリサーチのような状態なんで、アウトプットってわかんないんだよね。  だからまずはちょっといろいろ触れていく、 手を伸ばしていくというか、調査から始める。息長く、いろんな人が関わって、いろんな活動が始まって、試行錯誤がある中で、だんだんと形づくられていくのかなと思っています。


収録方法の実験記録

収録方法
・移動中の車内のダッシュボードに携帯電話を置いて録画。
・事前に社内の機材に詳しい人におススメのアクションカメラとワイヤレスピンマイクの情報を募ったが、予算面で折り合わず、格安のピンマイクをネットで購入。
成果
・音声は比較的聞き取りやすい。
・撮影については、太陽光を考慮にいれることを失念し、終始日差しがまぶしい。また、画角も調整を要する。
課題
・機材のことが気になっていたのと、やっぱりProject Goodbyeのことがよく理解できず、途中で上の空に。次回は記録は誰かに任せて、会話に集中したほうが良いか。

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた 事務局長

三富章恵

静岡県生まれ。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。2006年より、独立行政法人国際交流基金に勤務し、東京およびマニラ(フィリピン)において青少年交流や芸術文化交流、日本語教育の普及事業等に従事。
東日本大震災で被災経験をもつ青少年や児童養護施設に暮らす高校生のリーダーシップ研修や奨学事業を行う一般財団法人教育支援グローバル基金での勤務を経て、2018年4月より現職。

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