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菅江真澄『栖家の山』(写真:秋田県立博物館提供)

菅江真澄的な何かが継承されている

石倉 真澄の視点って、例えば宮沢賢治の視点とはだいぶ違う。棟方志功のような神話や仏教、華厳思想などの世界性の獲得の仕方とも違う。真澄は外からやってきて、秋田を中心にいろいろな所に行って「今を見る」というドキュメンタリストだと思うんです。出来事に対して忠実であるという。そこに対して彼は想像力も豊かに使っていて。僕らは菅江真澄をそのまま楽譜のように演奏できるような気がする。僕らの中には1ミリの菅江真澄的な何かが継承され得るのではないかというような、観察者としての可能性を感じるんです。ものの視点を非常にクールに獲得しているという格好よさがあるのかなと。

小松 今日紹介した小掛のショウキサマなども、秋田に住んでいても私は全く知らなかったんです。それが何を意味するのかもよく分かっていなくて。調べていくと、宗教のカオスみたいなところがあるじゃないですか。本当にこの信仰っていうのは一体どういうところから来ているのかという。多分、真澄もそういうのを非常に感じて、のめり込んでいったのではないか。ミステリアスな魅力に魅了されたと思うんです。

私も秋田県人でありながら人形道祖神についてあまり知らなくて、そういったときに宮原葉月さんと知り合って。一緒に取材をするごとに、驚きの連続なんですよね。取材は今も現在進行系で、秋田にいながらどこか旅をしているというか。各地域のユニークな行事をこれからも記録していきたいというように思います。

私は仕事柄、アフリカやインドによく買い付けに行っていて、手工芸の買い付けもしていましたが、それよりも部族の祭りだとか、造形とかがすごく好きで行っていました。でもふと、自分の地元にもプリミティブで面白いものがあるんだということに道祖神の取材を通して気付いたわけです。真澄の時代から変わらずに残っていることにを足元を見たときに感じたんです。それに気付いたのは、私がアフリカやインドに行って戻ってきたからかもしれなくて。地元にいながらよそのものを見て、また視点を地元に戻したというのがあるかなと思います。

菅江真澄『おがらの滝』(資料写真:秋田県立博物館提供)

小松和彦氏(郷土史家)

元祖エスノグラファーとして

石倉 1980年代にルーシ・リッパードという美術批評家が、『オーバーレイ』というとても興味深い本を書いています。この本の中で、リッパードは新石器時代に作られたストーンサークルみたいな考古学的な遺跡と、当時の美術界で勃興していたサイトスペシフィックな表現、例えばさまざまなランドアートとかアースワークスと言われている野外芸術を比較したり、現代美術と古代的な芸術を敢えて「重ねてみる」ということを理論化しています。リッパードのいう「オーバーレイ」というのは、つまり「積層化する」「層を重ねる」という意味です。この本では、なぜ何千年も前の人間がつくった表現と、現代のアーティストや建築家が作ったものが似ていたり、時層を重ねるように見えるのか。また自然が生み出した地層に人間が建築物を建てるということがどのような意味を持っているのか、というようなことが説明されています。菅江真澄の視点は、こんな風に「層を重ねる」ということと関係すると思うんです。例えば「時層の旅人」(2014-2015年度に開催された『あきたアートプロジェクト』の共通テーマ)のように、秋田のアートプロジェクトにはよく「時層」という言葉が出てきますが、他の場所ではあまり見ない表現だと思います。僕もそれに触発されて、昨年タンザニアで行われたアジア・アフリカ学会に岸先生たちと参加した時には、鹿角地域に長期持続する表現と、「時層(time-layer)」の関係について発表しました。菅江真澄の本を読んでも、現在と同じように、時間の層がミルフィーユ状に積層している様子が見えてくる。そういう意味では、「時層」というものが一つのアートとの接点になり得るかなと思うんです。

この視点は、現代アートの表現方法の変化とも関係しています。1990年代くらいから、アーティストが美術館や美術大学、美術ギャラリーの外に出掛けるようになって、社会的な領域で市民とコミュニケーションを取ったり、人類学者のように一般に馴染みのない他者の文化と交渉したり、あるいは表現や制作に積極的に調査のプロセスを導入するようになりました。こうした変化を、美術史では「民族誌的転回(エスノグラフィック・ターン)」っていう言い方をしています。文化人類学との接点も、このころから格段に深まってきました。服部さんは日本で最も「民族誌的転回」に近いアーティストと仕事をされているキュレーターの一人だと思いますが、そうした流れについてはどう思われますか。

服部 僕は10年ぐらい、アーティストがどこかの地域に滞在して制作をするアーティスト・イン・レジデンスのプログラムにずっと関わっていたことがあって。青森に住んでいたんですが、外から来たからいろいろなものを知りたくて、勝手にいろいろ動いて見に行くんですよね。アーティストの人が何かを見たいとか、何かが出てくるときのプランって、滞在をする人の土地と関わる方向というか、他者としてある土地に入る手段として、自分との接点をつくる方法としてある。だけどその場合、あくまでただの外部でしかないと思うんです。そこにもっと違う在り方、関わり方を求めるときに、初めて外部だけではない視点というか、交わり方みたいなものができると思っていて。何かものを作っている人とどこかの土地で何かに関わることというのは、ある土地、あるいは人との関わり方を探っていくというようなところがある気がしているんですね。それがさっきの時間の層なのかもしれないし、いろいろなものの重なりの中で接点をさらに作っていく方向であったりとかで。

秋田公立美術大学は、複合芸術ということを例えば大学院では専攻の名前として打ち出していて、学部にもアーツ&ルーツという通常の美大にはないユニークな専攻がある。今日のレクチャーを聞いていたら、そもそも複合芸術やアーツ&ルーツ二様な試みは、菅江真澄的なんじゃないかと再確認できました。領域を横断して自分たちがやろうとしていることに、もっと以前に違う形で触れていた人として興味を持ちましたね。

石倉 菅江真澄って多面体というか、非常に多角的に読み解けるという人だと思うんです。彼には日記、地誌、随筆などいろいろなテキストのスタイルがある。彼は2、3週間の旅から2、3カ月の旅が多いんですけど、旅をしながら書く日記が彼の表現のベースになる。秋田に来てからは地誌の編さんを頼まれて、アーティストが行政から頼まれるコミッション・ワークのような形で記録を作っていく。これもすごく上手だし、様々な文献から引用して事例を分析していったり、その土地に残っている本を写しながらも、独自の考察を加えていく。そこに自分が観察した土地の風景だとか、事物だとか、土地の人から聞いた伝承やイメージを書いていくわけなんですけども、これがとても創造的なブリコラージュになっているんですね。もともと、人形道祖神もなまはげも、もっと古くから秋田にはあったはずのものです。これを外から来た旅人が観察して、価値のあるイメージとして記録する。土地の人たちが創造した既存のイメージに対して、旅人の視点でそのイメージを記録していくということ。外の視点がないと、あるイメージについて面白いと思って記述しないですよね。その意味では、菅江真澄という存在は、卓越したイメージメーカーであり、元祖エスノグラファーでもあるという、多面的な可能性を感じますね。

服部 ハル・フォスターという美術批評家が、『エスノグラファーとしてのアーティスト』っていう結構、有名な論文を書いていて。

石倉 あれはまさにそうなんですよね。批評家のヴァルター・ベンヤミンが、「生産者としての作家」ということを20世紀の初めに書いていた。それをハル・フォスターが美術の世界に引用しながら、「民族誌家としての作家」という視点を出したわけです。つまり、今、アーティストは、どんどん文化人類学者みたいな存在に変化しているということ。自分の生まれ育った文化の外に出て行って、民族誌的な記録を作ろうとしているように見える。そのことをフォスターは、半分は興味深い変化として、また半分はアーティストが「疑似人類学的」なアプローチに耽溺する危険への批判も込めて、注意深く記述していました。またそれを踏まえて、ボリス・グロイスは、アーティストが単に作品を作るだけではなく、キュレーターという存在がそのプロセスをリードしていることに注意を向けました。つまり、ある社会をリサーチしたり、アーカイブをつくったり、世界観を表現していったりということが、個人の仕事ではなく集合的な作業になってきている、ということでしょうね。

服部 多分、その間に20年ぐらいの開きがあるんですよね。つまり、ずっと長いこと、恐らく真澄がやっていたようなことの一部分を美術の人たちが断片的に、単純に直感的にアプローチはしていたということが、昔から既にあったわけですよね。

菅江真澄はアーティストなのか?

石倉 今、アーティストたちが大事だと思っているポイントは菅江真澄の一生の中に含まれていて、彼から学べるところは多いはず。真澄をクリエイティブに読み解くということは、今まであまりされてこなかったんじゃないですかね。その辺が宿題なのかなと。

服部 菅江真澄の創造性みたいなところにどうやったらアプローチできるんでしょうかね。

吉川 根本的なことですけど、菅江真澄はアーティストなんですかね。服部先生のおっしゃるアーティスト・イン・レジデンス、アーティストが文化人類学的なことをしたり、ある地域に滞在して創作活動をするという。真澄って逆な感じがしないですか。博物学的な関心から生まれた記録が今、アーティスト的な観点から評価し得るという、そういう動きなんですかね。

石倉 つまり、感性的なもの、美術的なものと、学術的、知的なものというのは、結構、緊張関係がある。例えば僕がやっている芸術人類学は最初から調和しているわけではなくて、芸術方面の引っ張り方と人類学方面の引っ張り方って、かなり激しくぶつかっている部分があるんですよね。菅江真澄はきれいに図を描いたりするんだけど、彼には決して日本画的な美とか、事物を美しく描いてやろうという装飾的な視点ではない、別の美学がある。そして、現代の芸術という実践は、ヨーロッパで生まれた純粋な美術というアイデアを食い破って、世界的な表現の世界の中で、もっと普遍的な文脈を再構築しなきゃいけないという時期に来ています。多分、そういう時期だからこそ、菅江真澄という存在にヒントがたくさんあると思うんです。もちろん菅江真澄自身、自分のことを絵師や物語作者のようなアーティストと思っていなかったし、そう見なされてきたわけでもなかった。当時も今も、彼はアーティストだというふうに思われていない。しかし、博物学者や旅行家としての、彼の名付けようのない創造性は江戸時代の秋田藩でも認められていたし、ファンも多かった。逆に、だからこそ学べるものが多いのかなという気が僕はしています。

小松 真澄のように民間信仰みたいなのを細かく切り取るっていうのも、当時はほとんどいなかったと言ってもいいと思う。そういったところのクリエイティビティーって、すごいなっていう感じですよね。それを何て表現すればいいかというと、ある部分でアーティストって言葉って、非常に分かりやすいっちゃあ分かりやすいのかなっていうのはありますよね。真澄はどういう人なのか、何だったのかというと、あまりにもいろいろな能力があり過ぎて、とりとめもないっていうことになっちゃうんですけども。私なんかは本の中でマルチタレントと紹介したんですけれど、アーティストという言葉も、ある意味で私は何となく納得するものはありますね。

石倉 ミシェル・セールという哲学者が、創造的な科学には必ず芸術的な側面があると書いています。また、創造的な芸術っていうものは必ず科学的な視点をどこかに持っている。芸術という分野は、ヒューマニティーズ(人文科学)に含まれていますが、実は自然科学の領域とも深くつながっています。何かをより深く観察し、表現するときには、人間はある種の力や技術、方法を使わなきゃいけない。つまり、それが芸術なんですよね。人間の想像力を使ったものと、事実を明らかにしようとする客観的態度とはぶつかるわけではなく、どこかで接点がある。そういう意味では、菅江真澄の人文科学者としての客観的な視点と、彼の創造的な表現というのは豊かに響き合っていると思うんですよね。狭い意味のアーティスト像というものを超えていく可能性がありそうだなと。

服部 「初めて」ということにもつながると思うんですね。新しい価値とか意味を見出していったというところでは、すごく創造的ですよね。それをアーティストと言うかどうかっていうところではあると思うんですけれど。

吉川耕太郎(考古学者、秋田県教育庁払田柵跡調査事務所)