南北に軸線を持つ8棟の倉庫は、1934(昭和9)年に旧秋田県販売購買組合連合会(現あきた経済連)が建設し、1939(昭和14)年に農林省へ寄付され、「国立新屋倉庫」と改称されました。主に米の需給調整に用いられ、秋田県における年間消費量の約3割(約1万3300トン)の保管が可能でした。
8棟の倉庫の造りは、規模、構造共に同じで、間口14.3m、奥行き45m、高さ12m(天井最高部8.5m)の木造平屋建て。東側には通り庇があり、かつては新屋駅から線路がひかれプラットホームとして利用されていました。現在、線路跡には駅まで桜並木が続き、散歩道、通学路として利用されています。