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「1/1000油谷コレクション」プロジェクトレポート#3

膨大な油谷さんの私蔵民具等の1000分の1程度を収蔵庫から取り出し、アーティストの藤浩志、國政サトシと市民ボランティアによる分類整理と、多様な分野の専門家による価値検証が並走するアートプロジェクト「1/1000油谷コレクション」。7月6日に開催したトークイベント「残されたモノの価値を問う」をレポートします。

「1/1000油谷コレクション」は、膨大な油谷さんの私蔵民具等の1000分の1程度を収蔵庫から取り出し、アーティストの藤浩志さん、國政サトシさんと市民ボランティアによる分類整理と、多様な分野の専門家による価値検証が並走するアートプロジェクトです。 プロジェクトレポート第3回は、7月6日に開催したトークイベント「残されたモノの価値を問う」についてお届けします。

※これまでのプロジェクトレポート
プロジェクトレポート#1 分類整理活動(前編)
プロジェクトレポート#2 分類整理活動(後編)

トークイベント「残されたモノの価値を問う#1|服部浩之、藤浩志、國政サトシ」記録映像(1時間3分)

400平米の空間を埋めるモノ

7月6日に秋田市文化創造館で開催したトークイベント「残されたモノの価値を問う#1」では、プロジェクトに関わる服部浩之さん、藤浩志さん、國政サトシさんの3名を迎え、スタッフの三富章恵の進行で油谷満夫さんのモノを集める行為と集めたモノの魅力、プロジェクトの展望について語り合いました。

分類整理の会場でおこなわれたトークイベント

三富
今回、蒐集家の油谷満夫さん(秋田市在住、90歳)の50万点を超える物の一部をお借りして分類整理をするという「1000分の1油谷プロジェクト」をスタートさせました。私の隣にいらっしゃる服部浩之さんを全体監修に迎えて、作家として國政サトシさん、藤浩志さんと一緒に始めているプロジェクトです。活動を始めて1週間が経過しました。服部さん、まず先ほど会場に到着されたばかりですが、ご覧になってどうですか。

服部
月並みですが、2tロングのトラック1台で運んだ物が、この部屋を占有してしまうというのは全く想像できていなかったです。最初の打合せでは、この部屋の半分ぐらいを使ってみたいな話だったんですよね。それが、中身を出していくと、こういうことになるんだというのがまず圧巻でした。そして、この場所の特徴が活かされた広げ方だなと思っています。上から見るとすごい気持ちいいんですよね。物が綺麗に分類されて配置されている状態を俯瞰できること自体が非常に面白いなと思って。油谷さんは男鹿市に倉庫を持っていらっしゃって、近年は旧金足東小学校(秋田市)に置かれていた個人の収集物を男鹿市の倉庫に移動させていらっしゃるんですけど、その倉庫を見ると、場所とか部屋ごとにきちんと分類されてるんですよね。今回、この一部屋の中で、これだけバラエティに富んだ物がある状況で、分類の仕方もいろいろと変わってきている印象を受けました。

秋田市文化創造館2階のスタジオA1を埋め尽くした油谷さんの物

三富
油谷さんは県内に5箇所くらい保管する場所を持ってるんですけど、どこから物をお借りするかというのは、あえて直前までお伝えをしなかったんです。伝えてしまうと整理されてしまうと思ったので。私たちとしてはできるだけ未整理のごちゃごちゃの状態の物を取り出したかったので、いろいろ見させていただいた中で、横手市浅舞の一室が一番手をつけてなさそうだなっていうのを見ていて。でもそれを早めに言ってしまうと油谷さんが事前に行って整理してしまうので、直前の1週間弱前ぐらいにあそこの物をお借りしたいですとお伝えしました。それでも、前々日ぐらいに浅舞に行って、草刈りをしてきたと仰っていて。

服部
ご自身が作られた物とか、いろんなものが混在しているのが面白いなって思いました。今回はいろんな方と一緒に分類活動をしているので、例えばパチンコの台を設えて自立するようになってたり、さっきも藤さんが、馬の鞍がちゃんと馬に乗っているように見せる設えを作ったりとか、この短い時間で、物を見てもらえるような仕組みも作られていて、アーティストがいるからできていることだなと。

あとは今回作成していただいた分類カードが面白いですね。3パターンあって、油谷さんのお話を直接伺ってそれを記載するカードには油谷さん顔入りのゴム印が押されている。これは、プロジェクトに参加している秋田公立美術大学大学院生の大村香琳さんが上手く作ってくれた。こういうのがあると嬉しいですよね。博物館の機械的で機能的な味気ない分類カードだけではなくて、いろんなタイプがあるのが活動の面白さだなと思いました。そしていろんな人のコメントも。それをただプロフェッショナルに分類しているだけではない。物の分類整理あるいは残していくっていうことに対して、何か愛情を持てる気がして、とってもいいなと思いました。

油谷さんから伺った話を記録する分類カード
一つの物に何枚ものカードが添えられることも


國政
浅舞の倉庫から具体的に中身がどういう状態かわからない物を持ってきました。トラックに積み込んでいるときには多分貴重でない物があるだろうと思っていたら、思っている以上にバラエティに富んだ物がありました。しかも年代も古いものから新しいものまでいろいろ入っていて、広げていく楽しさがありました。あとはやっぱり油谷さんの特徴というか、油谷さんの視点だから見れる物がたくさんあるなと思っていて。この場所の効果もかなりあるとは思うんですけれども、普通なら捨てられる物が、油谷さんの視点、フィルターを通すからこそ見やすくなっていると感じることがあります。

モノの価値をどう捉えるか


僕は1960年生まれ、油谷さんの世代は僕の母親の世代、昭和のひと桁生まれ。33年1世代で考えると、油谷さんと僕の世代は3世代差なんですよね。だから、ここにある物は、せいぜい3世代4世代ぐらいだっていうふうに思うんですよ。この3世代4世代の間に物事の価値がどんどん変化していった。

僕自身の生活を振り返ると、東京で都市計画の仕事を始め、バブルの崩壊とともに150人いた会社が解体するんですね。そこから物の整理が始まりました。物をずっと移動させて、整理して。実家も50代くらいから整理しはじめて。実家が大島紬の製造会社だったんですけど、そこが潰れ、工場が閉鎖され、ずっと整理して、廃材と廃墟を転々とする癖がつき、片付け、整理し、分類整理の人生ですね。その都度廃棄しなきゃいけないんですよ。そうするとお金がかかる。廃棄代にどれだけかかったか。油谷さんの世代は、ちょうど戦前戦中ぐらいの生まれで、戦後物のない時代から、日本が高度経済成長ですごく物が増え始めて、それと同時に僕が一番関心の高いプラスチック類という石油化学製品が出てきて、大量生産が始まります。それまでは手作りだったものから、機械で作れるようになっていって、物のあり方とか価値がどんどん変わっていった。
それと同時に大量に捨てられていったっていうのがこの裏側にあって。最初にこのプロジェクトをはじめるときに言ったのが、「なぜ残っているのか」ということ。油谷さんの残された物の価値を問うというよりは、なぜこれが捨てられてきたのか、なぜみんな残っていないのかっていうと。これは消費されてしまった物だからという意味もあると思うんですよ。

プロジェクトに参加したアーティストの藤浩志(左)と國政サトシ(右)

僕が関心があるのは文化創造というか、新しい活動を作ることであり、過去の文化を大切にしようとする活動ではないんです。でもここにある物たちは文化を作ってきたものの流れで作られた物たちなんですよね。一つ一つの物がここにあるということはそこに付随する文化があった証だと思うんです。そしてここは文化創造館であって、美術館ではないし博物館でもない。そのことがすごく重要だと思います。ちなみに美術館だったらこれらの物は置けないと思いますよ。カビが生えているかもしれないし、何か虫が出そうだし。そこに広げることすら許されない。ところがここは文化創造館なので、これだけの綺麗な空間でこれを並べることができる。これは素晴らしいことだと思います。そして、過去の文化の価値を検証するというよりは、むしろこれを活用して次の世代が新しい物を、何を作れるのかっていう、そのためにこれがどう生かされるのかっていうことを考える場であるということがすごく重要だと思います。僕の興味関心もそこにしかないんですよね。ここから次の活動がどうできるのかっていうことが重要で、そこにアーティストやデザイナー、パフォーマーや研究者が関わることで、今まで見出せなかった新しい価値とか新しい方法が見出される可能性がある。

僕らは何かを作るときに常にきっかけを求めていますよね。どうやれば新しいことができるのか。何がきっかけで新しい物やイメージが生まれてくるのか。そのための物として実はこれはすごく価値がある。これは未来の価値がある、未来に価値を作っていけるって言った方がいいんじゃないかな。昨日もくしゃくしゃの新聞がいっぱい捨てられたんですけど、それをゴミ袋から拾い出してアイロンかけて伸ばして、もう一度広げてみたりしてたんですけど、そうするとね、世界初液晶の広告が出てきたり、液晶テレビ、世界初壁掛けテレビとか。86年だったかな。ここにいろんな物があることで、そこからイメージがすごく掻き立てられるっていうことが重要だと思いますね。

三富
ボランティアの方々と日々分類整理していると、油谷さんが残してくださったことで、それ自体がもう価値があるなという出会いが日々あります。加えて、藤さんがおっしゃるように、アーティストの方、デザイナーの方も足を運んでくだって、ボランティアの中には美大生もたくさん混ざっているんですけれど、そういう人たちが、これをこの先どう使えるか、どう生かせるかというアイディアをどんどん出していくことが、また次に繋がるという意味で、このプロジェクトをより発展させていく、広げていく可能性があることをすごく感じました。

表現者としての油谷満夫


このプロジェクトを始めるときに強く思ってたことがあるんですけど、油谷さんを表現者として、僕はちゃんと捉えるべきだというふうに思っています。秋田が産んだアーティストですよ。アーティストのその手法として収集するという方法がある。表現方法としての収集っていうね。ここの部分を見ていくっていうことが、今回プロジェクトをやる上でもすごく重要だと思っていて。物を古いものとして見るよりは、油谷さんという、ある種の新しいタイプのアーティストが人生をかけてこれを収集するっていう表現を行ったっていうね。だからむしろ博物館的な分類の方法よりは、油谷さんの行為としてどうだったのかっていうことを、本来アーカイビングしなきゃいけないんじゃないかなって思ってます。

服部
今、全く同じような話をしようと思ってて。藤さんの話を引き継ぐと、今やっていることっていうのは、まさに美術館・博物館のやっていることの真逆なんだなって思ってるんですね。それは例えば、価値あるものを選び出していくっていう作業であると思うんですけど、この中から価値があるものは何だとか、将来残すべきものは何だろうと体系化・価値づけをしていくっていうのが、おそらくこれまで博物館・美術館が担ってきたことで、それをやるからこそ、そうではないものっていうのは価値がないものとして忘れられていくあるいは捨てられていくっていうことが起こっていて。油谷さんは、ある意味選別をしないって本人はずっとそういう言い方をしているけど、もらえるものは全て引き受けていくっていうその態度自体がやっぱり非常にアーティスティックであった。それを藤さんは表現やアーティスト的な行為ととらえていらっしゃる。おそらくその態度は、例えば大量消費というものに対する非常にクリティカルな行動になっていたと思うんです。だからこそ今こういう形で物が並んでいる。多分これを、これは良いものこれを悪いものと選別してやっていくことに意味はないんだろうなってことを改めて感じていて。それこそが油谷さんっていう存在をどうアーカイビングしていくかということに繋がっていく気がしています。

プロジェクトの監修を務める服部浩之



物との関わり方について、埃を払うという物とのコミュニケーションもあるなと思って。ここに来たときには結構埃をかぶっていた物も、拭いたり磨いたり、埃を払って、その埃自体も残すのかみたいなところも考えたりもして。ボランティアの方からも「もうこれは捨てていいですか」って聞かれることもあったんですけど、何か捨てるという感覚が揺らぐような、埃を払うこと自体がいろいろ考えたり、物とのコミュニケーションであったりする。秋田公立美大のアーツ&ルーツ専攻に唐澤さんという方が来られて、僕らがほとんど廃棄物のように積み上げていた腐りかけた木材のコーナーに粘菌類が生えてるのを見つけて、毎年楽しみにして収集していきながら、粘菌研究クラブっていうのを立ち上げて、いろんなところで展示も始まった。だから、ある人から見れば価値がないものでも、ある人から見ればもしかしたらすごい価値がある。その埃ですらもしかしたら将来的に研究することで、この物がたどってきた環境だとか歴史だとか、状況をたどることができるかもしれない。昔は何か価値あるものがアートとされるみたいなイメージがあったんだけど、物事の価値っていうのは、人との関係によって変わり、状況によって変わるっていうこと。誰と対峙するかでも変わるということを意識し始めて、関係を作ること自体がその価値を作ることじゃないかっていうことを思いながら実践してきたようなところがあります。授業でよく話をするのが、関係があるから存在があるということ。そこに「いる」とか「ある」ということには、人が関係していく。以前は文化財は保存しておけばよかったけれど、今は活用というのが言われていて、収蔵作品をどう活用していけるのか、今の時代に次の時代のためにどう活用するのかっていうのが問われている。そこもやっぱり関係を作っていくことで新しい価値を見出していく、次の時代の価値を探っていく、状況を作っていくところになるのかなという気がするんですよね。

三富
まさに午前中ボランティアされてた方も、あの奥にスキーのストックが山ほどあって、最初それを磨き始めたときに、「なんでこんな同じものばっかりたくさん集めて」と思っていたらしいんですけど、1個1個磨き始めたら、1本1本手作りなので表情が違うし素材が違うし、磨くと本当に綺麗になってツヤが出て美しくなって、それを続けてるうちに油谷さんがなんで同じ物をこんなに集めるかわかった気がすると、喜々としておっしゃっていて。ただ見るだけではなくて物と関わる、ちゃんと見つめる中で、本当に変わっていくんだなっていうことをこの5日間ですごく実感しています。そうやって藤さんも國政さんも埃を払い、磨きっていう作業を続けてこられましたけど、気になった物とかありますか。


基本的に磨くのが好きなんですよ。洗うのも好きだし、アイロンも好きだし、縫い物も好きだし、基本的に作業が好きなんすよね。もっと磨きたいですね。だからこの中からピックアップして、いくつか磨きのプロジェクトっていうのはやった方がいいな。とにかく磨いていく。最近ずっと木を磨いていくだけのワークショップでやってる知り合いがいて。普通サンドペーパーで磨く場合、500番とかぐらいなんだけど、番手の大きい2000番ぐらいで磨くと本当に光るんですよね。1個をとことん磨いていくっていうのをやってみてもいい。

空間に何個か吊るしているんですけれども、本当はもっと綺麗に縫い合わせたいし、洗濯したいし、漆吹いたりとか、何かやっていきたい。その行為そのものに価値があるような気がしていて、それがコミュニケーションプログラムになっていくんですよね。なぜ磨くワークショップやってるかっていうと、磨くっていうことでみんながそこに一同に会して世間話しながら磨く時間を楽しむっていう、昔の物を磨きながら何かいろんな思い出を語りながら、何かコミュニケーションプログラムとしてもいろんなものができるだろうなっていう気がします。

國政
僕は染織出身で、編組品などの編んだ物とか見るのが好きで、作品でも結束バンドを使って編んで制作しています。そういった農具も印象的ですが、やはり注目するところは油谷さんのオリジナルの物です。活版印刷機に残っている油谷さんの名刺の版がオリジナルのデザインだったり、油谷さんの20代の証明写真が出てきたり、油谷さんがデザインした包装紙が出てきたり、油谷さん自身が作ったものとか、センスみたいなものを感じるものが出てきたときに、すごい嬉しくなる。油谷さん自身も作っていて、いろんなものを考えながらデザインして作ってた。実際お話しながら「この時代ときに作ったよ」と聞くと、すごいなって思ったりして。

三富
油谷さん今日は鶴岡に行ってらっしゃるんですけれども、毎日朝から19時まで会場にいて、ご自身でも分類整理の作業をされていく中で、これはこうやって展示に使えるっていうのを想像しながら整理されている。昨日も新聞とか折り込みチラシを整理されていて、これはこうやって展示に使える、貴重な物だからってご自宅に持って帰られたりとか。


ちょうど、ウクライナ独立の記事ですね。

三富
お酒の缶や瓶については、大学院生が並べていると、流線型で並べなさいとか、高低差つけて並べなさいっていうアドバイスがあって。油谷さんは、物を見せていく具体的なイメージを持って作業されてるんだろうなっていう。


吊り下げた時すごい喜ばれてたもんね。「もうちょっと下げて」と指示を出されたりして。

服部
油谷さん、展示の経験ってめちゃくちゃあるじゃないですか。展示の図面もいっぱい残っていて。やっぱ物の形がすっと出てくるみたいで、学芸員がやる展示の計画みたいなものと全然違って、ディテールまで頭に入っているから、油谷さんが描いた展示構成図を見ると、展示物がすごく丁寧に描き込まれていて、多分誰でもそれがどんな展示になるのか理解ができちゃうっていう。それぐらいすごく物そのものをよく見ていると感じます。さっき三富さんがおっしゃってたストック磨いてるだけで一つ一つの違いとか成り立ちが見えてくるというのは、多分油谷さんがよく言ってる「ものの声を聞きましょう」みたいなことが作業されてる方の中にも入ってきたっていうことなんだろうなっていう感じがして。そういう経験ってなかなかないですよね。

どう残し、どう活かしていくか


物をどういう場所でどう見せるかっていうことを考えたときに、ある程度選別してみせるのかなと思うんですが、今後のイメージとして、例えば3DVR化されていて、デジタル上でピックアップできるようになっていて、それを使ってアーティストとかデザイナーとかクリエイターが新しい状態で何らかの空間を構成するとか、何らかのプロジェクトを立ち上げていく。そんなツールができても面白いかなと。油谷さんももしかしたらそこを望んでいて、自分が今までやってきた展示っていうのはすごく染み付いていて、そこから何か次の状態に行くにはどう残せばいいんだってことをすごく気にされたような気がしますね。そこをどうやったらできるんだろうっていうのは考えていますね。

今は油谷さんのコレクションに向き合ってるけれども、これは今の時代がすごく抱えてる問題で、大学でも学生の収蔵作品をどうするかっていうのもあるし、美術館も今までは「もの」に価値があったところから、やっぱり「こと」に価値があり情報に価値がある状態になってきた中で、何をどう収蔵するのか、デジタルや情報の収蔵と実物の収蔵の在り方を考えていかなくてはいけなという新たな課題があると思うんですよね。油谷さんも次の次の状態をどうするのかって、やっぱり強く危惧されているところでもあるので、そこに僕らがどう答えられるか。なかなか難しいと思うんですけど、どうにかしたいなっていう気はありますよね。

三富
どうにかするアイデア、あったりしますか?

まず全体を撮影して、メタバース上の油谷コレクションのミュージアムを作った方がいいだろうなと。普通に3DVRで撮れば、解像度は荒くても、一応ちゃんとデジタル上でアーカイブできる。これを何回か繰り返して、既にある収蔵庫の秋ノ宮(湯沢市)とか金足(秋田市)とかは、そのまま撮影しててもいい。一体何がどれだけあるのかっていうのをどう情報として整理していくのかってのは一つあるなっていう。

今回タグ付けみたいなイメージをしていたのは、以前だったら博物館法に則った分類というのがあると思うんですけど、今はもうそういう時代でもなくなってきて、いろんなものが複層的で複雑で、分類できないいろんなカテゴリーを、タグづけみたいなイメージにするとわかりやすいと思って。いろんなものに、その状況によって全然違うタグがいっぱい付けられていって、そういう形でまず整理し、収めていくことができれば、新しい形のアートセンターとか、ミュージアムができるかもしれない。さらに収めたものを活用して、アーティストが関わりながら新しいものを作っていくみたいな。

実は僕は秋田に来る前に、田中忠三郎さんの展覧会を十和田市現代美術館でやったことがあって。田中忠三郎さんは油谷さんと同い年の青森の蒐集家。僕がちょうど十和田市現代美術館に勤めてるときに、何かやりたいと思ってアプローチし始めたときに亡くなられたんです。お葬式しか僕は行ってなくって、実際にお会いできなかったんですけど。忠三郎さんの展覧会やったときに、忠三郎さんのコレクションと、ファッションデザイナーや若い作家とかデザイナーが一緒にやって展覧会を構成するっていうのを企画したんです。そのときに、その辰巳さんというアミューズミュージアムの館長だった方が、忠三郎さんのボロ(BORO)のコレクションを持っておられて、それを展示しました。辰巳さんがやられたのが実はそのやり方で、コレクションのボロ(BORO)を使いながら、ヨーロッパ各地のアーティストやデザイナーと一緒に展覧会を企画してやっていくと、古いものだけじゃなくて、作家やデザイナーがボロ(BORO)を活用して、一緒にどういう展示ができるかっていうことを研究して。その方法っていうのは油谷さんの場合もあるだろうなっていう気はするんですよ。だから物にアクセスできるようにすれば、そこから次の世代が新しいものを何か作っていける新しい形の現代美術館みたいなのができるんじゃないかなっていうイメージはありますよね。

例えばね小学校跡地を活用してみるとかね。そういう場所を活用して、運営計画を立ててコンテンツをちゃんと作っていけるようになっていくとすれば、ただ単なるレトロっていうだけじゃなくて、新しい価値を作っていくための新しいミュージアムの見方である気がするんですよね。

三富
今やっぱり油谷さんのこれらの物って、どうしても懐かしいとかレトロの切り口で語られがちだと思っています。けれど、懐かしいレトロに共感する世代は限られていて、その人たちがいなくなってしまうと次の世代にとっては、もう無価値なものになってしまうっていったところを、こういうプロジェクトが繋いで、次の世代に引き継いでいけるといいですよね。

触れられる、開かれたコレクションの価値と可能性

服部
最初にやろうとしたことは、多分間違ってないんだろうなっていう気がしてます。要は、藤さんがおっしゃってたように、なるべくいろんな人がいろんな形でアプローチをして、油谷さんのコレクションと対話するような場を作っていきたいと考えていました。本当は恒常的に展示と収蔵の場が生まれるのが一番いいんでしょうけど、多分こうやってプロジェクトとして展開し、いろんな人が関わっていく場を繰り返し設けていくことが重要なんじゃないかな。秋田を訪れるアーティストは、わりと油谷さんのコレクションに興味を持つ人多いんですよね。


僕ら表現者というのは常にきっかけと素材がすごく重要で、油谷さんの物には刺激を受けていく。

國政
僕たちの世代には使い方がわからない物がこの中にはたくさんあります。時代とともに、昔は手作りで作ってきたものが大量生産の時期になって機械化されていって、僕たちは以前の使い方は知らないんだけど、道具として物は残っている。
例えば農業に関するものも昔は手作りで道具を作っていたものが、今は機械化になってるけども、用途としては同じだったり。手作りの道具を作る時にはいろんな昔の知恵が残されていて、小さな工夫と創造で満ちていたと思います。実際今使ってみると新しい発見がきっとあるんだろうなって思いますね。


何か原初的というか、生活に寄り添った物のあり方の変化があるわけじゃないですか。大量生産されて、デジタル化されて、結構ブラックボックスが増えてきて。自分で作ろうと思ってもなかなか自分1人で作れないわけだけれど、ここにあるような原初的なエンジンだとか、手回しのファンみたいなものとか、ちょっと頑張って作ろうと思えば作れる技術があって。この技術っていうのは、実は防災、災害になったときに必要な技術だったりとか、小さな規模での集落の作り方だとか、コミュニティの中で生活を豊かにしていくときに、実は手で作っていくことだとか、その作業で自分たちでその地域の中にある素材と技術を使って、人との関係で作っていくっていうことが重要になってくるとすれば、ここには多くのヒントがあると思うんですよね。

服部
すごくシンプルに「分類整理」っていうと、ひとまず誰でもやれる気持ちになるじゃないですか。それはすごくいいなと思っていて。通常博物館にある物って触れられない物になっちゃうので、触れられる物があるってことはすごい貴重で、面白いこと。そういうことができないから大量に捨てられていっちゃうとか、忘れられていくっていうことだと思うので、やっぱり物に触れられることこそが一番貴重なんだろうなっていう。


博物館に収蔵されたり、文化財のように価値ある物になっちゃうと、専門家が手袋をはめて専門的な知見でしか触れなくなっちゃうんですよね。でも今これは油谷さんのコレクションであるから、みんな意外と誰でも気楽に触ってパチンコ台もこうやって組んでも大丈夫で。これは文化財じゃないからできることですよね。

服部
それによって、油谷さんの収集体系に関わっていけるわけじゃないですか。それはとにかく貴重な物で、ありがたい物だけ集めているっていう態度じゃないから、こうやって民主化されるっていうのかな。いろんな人がいろんなアプローチをできて、非常に今日的な意識で物との関係を築けているということ自体が、油谷さんが先見の明とは違うかもしれないけど、以前から常に態度としてすごくオープンだった。油谷さんは人に対しても物に対しても開いておられて、個人の利益とか資産づくりのためのコレクションではなくて、多分社会に必要だと思っていらっしゃって、誰もが触れられるコレクションを形成することで社会や他者に対して貢献していこうとしている。社会的に課題山積でエコロジーなども本気でいかなければならない状況に至って、やっと世の中が油谷さんの収集行為が何だったのかっていうことを考え、頭を悩ませ、検証していこうというフェーズになってきたのかなと思っています。


面白いのはそこの右の端のパネルに立ててある新聞の広告などが6、7点あるんですけど、あれ油谷さんがわざわざ持ってきたんですよ。ここに広げてる物だけじゃなくて、価値ある物もあるよということを示そうとしてわざわざ持ってきて。

三富
ギリギリに浅舞にある物を貸してくれとお願いしたときに、油谷さんから「あそこは何もないよ。それを広げても、みんなゴミだと思って帰っちゃうから、ちょっとふりかけ的な要素が必要だ」って力説されて、実際に持ってこられたのが、あのパネルです。

服部
これらの物の来歴も油谷さんがいなかったらもうわからない部分も多すぎるんですよね。本人に聞かなきゃわからないことがいっぱいある。


本当は全部デジタル化して3DVRみたいな、例えば物をちゃんとリスト化し、いろんな人がアクセスできるような状態にしていくっていうのもある。デジタル上でそれを活用していけるようにできないかなっていう話も多分今後5年以内ぐらいに出てくるかもしれない。NFT化して、デジタル上での権利を分配していくってのもあるかもしれない。

これからのプロジェクト「1/1000油谷コレクション」



これを今回どう収めるか(どう油谷さんに返却するか)ということを話していたときに、博物館的には完璧にリスト化して効率的に収納ケースに収めて返していくんでしょうけど、それは油谷さん的ではないなと思って僕が提案したのは、今回持ち出した物が入っていた空き箱とか木の箱とかカゴ類に、そのまま戻すという方法です。元々この箱には手書きで、何が入っているかが書いてあって、そこに手紙であったり、文章であったり書類であったり、いろんな物が入ってたんですよね。今週はこうやって広げてるんですけど来週は箱に収めていくマッチング作業しようかなと。今の新聞とか、文化創造館のニュースレターとかを使って物を箱に収めていって、それぞれに何が入ってるかを記録した状態で、もう1回浅舞の倉庫に並べ直そうとしてます。
さっき説明があったんですけど、今回は、浅舞の倉庫の入口から入ってすぐの一室の一部分を無作為に取ってきて、選ばなかったんですよね。全部は持ってこれなくて半分だけ持ってきたんですけど、あと半分残ってるので、できればあと半分の分類整理をもう1回やると一部屋クリアできる。戻すときに、残りの半分をちょっと寄せて、どうにかして物を入れていく。もしも新しいダンボールが必要なときは、あえて今のスーパーからもらってきたりして収納しようかなっていう作戦を僕は提案してます。油谷さんがOKを出してくださったんですけど、それが面白いのかなって。宝箱ができるみたいな。

三富
このプロジェクトは、最初結構きっちり計画立てて分類整理し、記録のカードも、例えば国立民族学博物館がどうやってレコードをしてるかっていうのを参照して、かなり細かい項目を聞き取ろうみたいなことを構想していたんですけど、実際浅舞に行ってみて、無作為に取り出し、いやこれはとてもじゃないけどできないかもっていうので、項目をどうするか、藤さんや國政さんと考えながら、残し方も民主的に組み立てているというのが非常に印象的ですよね。

ボランティアとして関わってくださる方の年齢層も幅広くって、藤さんが冒頭おっしゃった通り、大体3世代分ぐらいの物が残ってるので、ボランティアの方の繋がりをたどっていくと、元の持ち主に出会えるっていうことも起こったりして。例えばそこの最八商店の大漁旗は加賀谷さんのご紹介で、土崎に持ち主の方がいらっしゃるというので、娘さんに見に来ていただいたりっていうことができたり。限られた人たちだけが大切に取り扱うんじゃなくて、こうやって開いていくからこそ物が生きていくっていうのが特徴的だなと思いました。

服部
こうやって今お話すると、すごく意義のあるプロジェクトにも感じてくるんですけど、これ助成金とか取るときに書類作るのすごい難しいんですよね。苦労して出しても結構落ちてる。へこみますよね正直。なかなか既存の助成金とかのフォーマットに乗らないんですよね。多分油谷さんの行為もそうだし、それを何か紐解いていくとか保存活用していくっていうのが、簡単にはマッチングしづらいっていう。やっぱり悩みはそこなんですけど、どうやってこの活動を続けていく資金を獲得していくかっていうような。社会的意義となぜこれをやる必要があるのかとか、何かそこを全く知らない、見たことない人に伝えるのは非常に難しい。ここで物を見るとか何か関わりを持った人ではなく、圧倒的に遠い人にどう伝えるのかっていうのは結構難しい。ただ、一度開かれたことにだいぶなんていうか、頭が整理されてきた気がする。


今回油谷さんはずっと会場にいて、本当にいろんな話をしてくださいます。こういう時間が重要だなっていう気がしますね。この機会を使って油谷さんが語る、油谷さんと語る中で、いろんなヒントとか生き方とか、表現者としての油谷さんって見たときに、何をどう残すんだっていうことも考えなきゃなっていう感じはありますね。

来場者やボランティアと話し込む油谷さん

服部
物を目の前に語るときの油谷さんの様子ってすごいですよね。


前のめりになるんだよね。

服部
しかもそれが何かっていうことが、話を聞いて、びっくりするくらい理解が深まるっていうのがあって。油谷さん、それを自力で紐解いてるのはすごいですよね。古語も読めるし、いろんな人に聞きながら学んでいくっていう話をされてましたね。一緒にいるだけで学べることがすごく多いです。

三富
そのあたり、明日油谷さんをお招きしてお話を直接聞きたいと思いますのでぜひ皆さんご都合があいましたらお越しいただければと思います。ではトークイベントはこのあたりで終了とさせていただきますが、ぜひ皆さんお時間があればこのあと会場に残って埃を払っていただいたり、物を見ていただいたり、また残されたあのメモの記録を読んでいくだけでも非常に面白いので、皆さんなりのものの面白がり方というのをぜひ楽しんでいただければと思います。

本日はどうもありがとうございました。

キュレーター、東京藝術大学大学院准教授、国際芸術センター青森 館長

服部 浩之 Hiroyuki Hattori

1978年愛知県生まれ。建築を学んだのちに、アートセンターなど様々な現場でアーティストの創作の場をつくり、ひらく活動に携わる。アジアの同時代の表現活動を研究し、多様な表現者との協働を軸にしたプロジェクトを展開。主な企画に、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」。「200年をたがやす」全体監修。

美術家、秋田公立美術大学教授

藤 浩志 Hiroshi Fuji

鹿児島生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了、パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所勤務を経てジャンルにこだわらないプロジェクト型の美術表現を実践。2012年より東北に拠点を移し十和田市現代美術館館長を経て現職。主な作品:「ヤセ犬の散歩」「お米のカエル物語」「Vinyl Plastics Connection」「Kaekko」「藤島八十郎をつくる」「Jurassic Plastic」等 https://www.fujistudio.co

アーティスト、秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科助手

國政 サトシ Satoshi Kunimasa

1986年大阪生まれ。秋田市市在住。京都精華大学デザイン科テキスタイルデザイン卒業。2012年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程工芸専攻染織修了。2019年ポズナン芸術大学(ポーランド)短期留学。
現代の工業製品を素材に、染めや、編みといった工芸・手芸である既知の技術を使い、立体作品や建物全体の構造を利用したインスタレーションに展開。普段よく見る日用品が一変し、違う素材へと変化することに着目し、一貫して結束バンドを使った制作を続けてている。また、美術とその周辺を独自に編集・デザインし出版する「AT PAPER.」の代表としても活動している。https://satoshikunimasa.com/

Information

1/1000油谷コレクション

油谷満夫さんの私蔵民具等の1000分の1程度を倉庫から取り出し、アーティストと市民ボランティアによる分類整理と、多様な分野の専門家による価値検証が並走するアートプロジェクト。

開催期間:2024年7月~
開催場所:秋田市文化創造館ほか 
主催:NPO法人アーツセンターあきた
監修:服部浩之
参加作家:藤浩志、國政サトシ
スタッフ:三富章恵、前田優子(NPO法人アーツセンターあきた)、大村香琳(秋田公立美術大学大学院)
協力:油谷満夫
助成:公益財団法人野村財団
https://www.artscenter-akita.jp/archives/50154

Instagram
https://www.instagram.com/aburaya.aca/

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

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