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「真坂人形」は、どこから来て、何者で、 そしてどこへ行くのか。真坂人形展トークレポート

秋田公立美術大学サテライトセンターで2018年度から始まった卒業生シリーズ。2019年度は渡辺楓和、永沢碧衣、真坂歩を特集し、作家それぞれが卒業後に展開する表現活動を紹介しました。11月2日〜23日に開催した真坂人形展について、オープニングトークの模様や写真から展覧会を振り返ります。

秋田公立美術大学サテライトセンターで2018年度から始まった卒業生シリーズ。2019年度は渡辺楓和、永沢碧衣、真坂歩を特集し、作家それぞれが卒業後に展開する表現活動を紹介しました。11月2日〜23日に開催した真坂人形展について、オープニングトークの模様や写真から展覧会を振り返ります。

真坂人形誕生から3年。その歩みと展開をたどる「真坂人形展」

「真坂人形展」初日の11月2日にはオープニングイベントを開催。真坂人形師・真坂歩を中心に、「秋田人形道祖神プロジェクト」で知られる郷土史研究家・小松和彦、現代美術作家・村山留里子が、誕生から3年の間にさまざまな展開を見せた真坂人形約200点が並ぶギャラリーでトークを繰り広げました。

日本画と向き合っていた真坂が突然、「現在、僕は土人形を作っています」とSNSで告白したのが2016年11月10日。アーツ&ルーツ専攻の授業のなかで、生まれ育った八橋地区に伝わる八橋人形をリサーチしたのをきっかけに、日本画から土人形へ、平面から立体へ。その後、粘土と言葉をこねてひねって作ること3年、およそ200種類。バリエーション豊かな展開を続ける真坂の制作姿勢について。そして、次から次へと買い求められ、ファンが増え続ける真坂人形の魅力に迫りました。

左から村山留里子(現代美術作家)、真坂歩、小松和彦(郷土史研究家)

縁起物としての真坂人形

真坂人形は真坂人形師・真坂歩が手びねりと型抜きの技法を用い、伝統的な彩色で作る土人形。あくまでも伝統技法を主体としながら、言葉遊びやゆるめの表情によって独自の世界観を作り出しています。このちょっととぼけた顔の土人形はお守りとして購入されたり、プレゼントに求められたりすることも多いとか。それは一体、なぜなのでしょうか。

「自分ではちょっとふざけていても、受験だからと言って買う人がいて。大丈夫かなと思ったり(笑)。でも合格したと聞いてびっくりしたり。自分を守ってくれるものだと、お守りにしてくれる人も多いですね」

ただ「かわいい」というだけでなく、お守りだったり、人生の節目に買い求められたりとしっかり「人形」の役割を果たしている真坂人形。とぼけた表情でゆるいトーンであっても、それがダジャレであったとしても、真坂人形は紛れもない「縁起物」なのです。

バリエーションが豊富なのは、気分屋だから

驚異的なのが、その種類。作り始めて3年でおよそ200種類というのは驚くべき数字です。

「よく種類が多いと言われますが、自分ではあまり同じものを作りたいとは思っていなくて。1回作ればすぐに満足してしまうところがあるのかもしれない。一度に作る気持ちの限界は5個ぐらい。結構、気分屋なので」と語る真坂人形は、初期は手びねり、2018年後半からは徐々に型抜きが多くなっていきます。

「初めて作った天神をはじめ、初期はどれも手びねりでした。型で作ればラクだろうとは思いながら、変なところを横着して全部手で作っていました。福助も10個ぐらい手びねりで。型にしようと思ったのは、同じものを欲しいという人が多くなってきたからです。面倒くさがりなので同じものを手で作れなくて、それで型を始めました」

作者お気に入りの福助

土人形の可能性を広げていく存在

日常の些細な出来事を種とする真坂人形は、日常感あふれる、いわゆる「ゆるい」表情が持ち味。美術品と工芸品、作品と商品のはざまで、ジャンルを超えた展開が注目を集めています。

村山留里子はその魅力について、「真坂人形は、現代美術とは違うアングルで広がっていると思う。SNSで拡散はできるけれど、玄関に飾っている真坂人形を見てハッとして『これは何?』と追求を始める人が多いですね。人形は人の思いを代わりに果たしてくれるもので、念が入ってしまうものだけれど、彼の人形は人形自体が自分で浄化してくれるような気がします。今の時代に合っているという言い方は嫌いですが、スッと軽く入り込めてしまって、とりこにしてしまう」と語ります。

一方、小松和彦は、「強烈さはないが、じわじわきますよね」と。「真坂人形は、これからの土人形の可能性を広げていく存在。職人性と作家性、アノニマス的なところでもバランスよく作っていると思う」と評します。

真坂人形のファンという村山留里子。自分の家の人形たちの仲間に加えたり、縁起物として贈り物にすることも。緑色の三猿をはじめ猿の人形を買い求めることが多いという

不思議な立ち位置

秋田公立美術大学卒業後は秋田市内のテント会社に入社。日中は会社で仕事、夜は人形作りという日々が続くなかで、真坂はどんな人形作りを目指しているのでしょうか。

「作家という感じではなく、職人でもなく。同じものを作るのは苦手だし、作家と言われると恥ずかしいのもあってもやもやする時があって、売っている時の方がラクだったりもします。大学3年の時に八橋人形をリサーチして、もう亡くなっていたけれど道川トモさんの八橋人形を知って。丁寧に大切に作るというよりは、下手うまというか、ゆるいというか。割り切った感じの人形の印象がむしろ僕にとっては好ましく思えた。自分の人形は『かわいい』と言われると嬉しいけれど、そこは狙っている訳ではなくて。形を作って模様を描いて、最後に顔を描いた瞬間に『ふふっ』と自分で笑うことはよくある。それがうまくいったことの証」

全国の土人形を調べ、各地を訪れては話を聞いたり弟子入りを志願しては断れてきた真坂。各地の土人形を見たなかで、一番好きなのは福岡に伝わる「赤坂人形」だといいます。

「福岡の赤坂人形という、飴屋のおじいちゃんが一人で作っている土人形があって。飴屋さんの食紅で彩色していて、形はしっかりしているけれど手数が非常に非常に少ない。少なすぎて抽象的。それが神様のような雰囲気があって、型がずれているのがまたよくって、最高に好き。赤坂人形を見ると、自分はこんなに色を入れて、こんなに描いていいのかと思ってしまう」

本展では真坂人形誕生から3年の歩みと展開をたどるために、作り始めた当初から注目し、人形を買い求めてきた26人の方々から真坂人形を借用しました。どんな人形を作ってきたかの記録はほとんどなく、実物もなく。夜な夜な生み出されては誰かのもとへと嫁ぐ人形の行方を追って作成した一覧は、この度、小さな図録となりました。

誕生から3年の歩みと展開をたどるミニ図録には、真坂人形177点を収録

卒業から2年、数多くの販売会は経験しているものの展覧会は初めてという真坂。人形作りの最初を見ていた天神様や福助、狛犬、鶴、松、そして茶柱など卒業制作でもある縁起物から、ウサギと亀、浦島太郎といった物語、干支、能代市の平山はかり店の店先にあったさまざまな“はかり”を題材とした人形など200点余りが並びます。

「これまでの展開を見せようと時系列でシンプルに並べることを目指しましたが、種類の多さから後半は少し乱して、自由に。規則的ではなく、向かい合わせにしたり、後ろ姿を見せたり」と、本展はその姿、形をじっくり見せることにこだわった見本市となりました。

面白いものが見たいから

アーツ&ルーツ専攻で指導したニッポン画家の山本太郎氏は「愛されるべきものであるのが、人形の本質。真坂人形は、人形が果たすべき役割をしっかり果たしている」と話し、藤浩志教授は「真坂人形は現代美術とも、彫刻、工芸とも言わせない『なんだろうね』という新しい在り方」と語ります。真坂自身、自分はアートでもクラフトでもなく、「人形を作るのはただただ面白いものが見たいから」と言います。時には自分で作った人形と一緒に笑い、その表情を褒めておだてながら、ツッコミながら、にやけながら制作する真坂。面白いものへの一途さが真坂人形であり、それが作ることの原動力にもなっているようです。

真坂人形のファンでもある村山は、「今の時世と自分がどういう距離感でいるか。巻き込まれず、でも無関心でもなく、それを自分の制作活動のサイクルでどうキープできるか。今は消費されていく速さが激しいから、あらゆる物事が定着しづらいのでやみくもに露出することがいいことだとは思えない時もある。だから、ものを作る人にとっては今が正念場です」と語ります。

真坂人形は、どこへ行くのか。人の手に渡った人形を集め、ギャラリーにずらりと並べたその景色は真坂自身にどう映ったのでしょうか。

撮影:越後谷洋徳

真坂人形の歩みと展開をたどるミニ図録
真坂人形展プレスリリース

マサカ商店
https://masakasyouten.jimdofree.com/

撮影・編集:伊藤達也、黛結希乃

Writer この記事を書いた人

アーツセンターあきた

高橋ともみ

秋田県生まれ。博物館・新聞社・制作会社等に勤務後、フリーランス。取材・編集・執筆をしながら秋田でのんびり暮らす。2016年秋田県立美術館学芸員、2018年からアーツセンターあきたで秋田公立美術大学関連の展覧会企画、編集・広報を担当。ももさだ界隈で引き取った猫と暮らしています。

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