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岩井成昭《to the point of no return...帰らざる場所へ》 ミクスとメディア・インスタレーション/サイズ可変

記憶を巡り、過去の断片を再構築した
「放浪」の旅のリアル

石倉:さて、植物の移動を想像させてくれる長坂さんの作品の後、岩井成昭さんの作品が設置されている次の展示室に移っていきます。今度は、工業化された世界を想像させてくれる、自動車のシルエットが現れます。周囲には秋田の鉱山地帯のイメージも展示され、中央部は非常に本格的なインスタレーションになっています。岩井さん、ご自身の今回の作品についてご紹介いただけますでしょうか?

岩井成昭:私の今回の作品ですが、あの部屋に入ると自分が事前に想定していたより、とても静かな作品になったという感覚があります。照明をかなり落としていて、音もしないし、鮮やかな色彩もありません。黄色を基調色としたモノクロームのトーンでまとめています。作品全体の不明瞭なイメージ作りも演出ですが、それにしても静かです。
今回の展覧会は、菅江真澄というメインテーマがありました。彼と自分自身の関係を考えたときに、やはり「旅」をすること、そして故国を離れて異邦人として客死することを想像し、そして思い浮かんだのが「放浪」という言葉でした。私は幼いころから「放浪」という言葉に憧れて育ってきたようなところがありました。一方で、現在はコロナ禍において放浪はおろか、行動範囲が限定される状況がありました。その中でネットの情報を旅するとか、日常を旅する、自身の生活圏を旅するなど、いろいろ代替的な概念が試されましたが、結局、自分がこの時間を有効に使うためには、これまで経験してきた記憶を巡り、過去の断片を再構成していくことが、今一番リアルな旅ではないのかと思いました。(参考:岩井成昭インタビュー「リサーチと多様なメディアでのアプローチによって土地の姿をあぶり出していく」

ところで、私の家は少しだけ変わっていて、両親は私を小学5年生から一人で映画館に行かせてくれました。その頃映画館によく掛かっていたのが、アメリカン・ニューシネマのロードムービー。正確にはロード・トリップ・ムービーと言いますが、それを見て旅というものに憧れていました。そこに登場していたいくつかの象徴的なモチーフが、今回の作品に使われています。制作のプロセスでは常に真澄について考えていましたが、結果的に、彼の存在を意識するほどに実作品とは距離が離れていくような不思議な体験をしました。

石倉:菅江真澄という存在との心理的な遠さや近さといった「距離」を楽しむようなところがあったんでしょうか。

岩井:そうですね。1960~70年代のロードムービーというのは、主人公があてのない旅を続けながら、空虚に思える自身を実存として捉え直したり、人間関係を変化させたりしていく内容が多い。そして、アンハッピー・エンディングが定形です。つまり、真澄と私のように訣別も生じる(笑)。その中で、移動の象徴として使われていたのが、マッスルカーと呼ばれる大型のアメ車であり、モンタレー1963年型という今回の作品の主役がまさしくそれです。現代の価値観で見ると、肥大したようなこの時代のアメ車は、時代錯誤な敗者にもみえますね。

石倉:展示室には、アメリカ映画のワンシーンのような壮大な景観をバックに撮影された車の写真が掲示されていました。中央部には、暗い照明の中でぼんやりと浮かび上がる、薄い幕に覆われた車のシルエットが印象的です。岩井さんが小学生のときから映画を通して触れたアメリカは、そのような幕の向こうにあるものだったのでしょうか?
映画のスクリーンを通して異国を想像する、ということは、真澄の記録を通して遠い異郷を想像する体験にも繋がってくるように思います。江戸時代の人びとは、菅江真澄の書いた地誌や図絵を通して、当時の辺境であった東北とか蝦夷地を想像したはずです。

岩井:今回はそれもライトモチーフのような扱いです。私たちは真澄の記録によって、彼が旅の中で何を見たのかを追体験します。でも、彼は旅そのものにはあまり言及していない。つまり私たちは、真澄の旅の多くの部分を想像で補うわけです。今回、ある映画の中で走っているアメ車の原寸大モデルを作りましたが、主に映像から細部のサイズを割り出して図面化しています。これも映画のシーンという記憶の断片から組み立てていく行為であり、実際にその多くはおぼろげで、つまるところ白昼夢のようなものです。ですから、先ほどもお話ししたように、写真のイメージはモノクロームであり、車もベール越しに透視せざるを得ない曖昧な像としてあり、あくまでも記憶を巡る不確定な旅として構成されています。

これまで経験してきた記憶を巡り、過去の断片を再構成していった本作について語る岩井成昭

石倉:20世紀は、「エジソンとフォードの時代」と言われるように、アメリカという国がとても大きな存在感を持つようになって、電気と自動車、石油エネルギーによって人々の生活を作り変えていった時代でもあります。日本の若者がアメリカに憧れるということは、もちろんアメリカという土地に託された自由に憧れる、ということもあるけれど、自動車に乗って移動できる便利さとか、電力や石油の膨大で浪費的なエネルギーへの懐疑にもつながってくると思うんです。岩井さんの作品は、そういったものに対する素朴な憧れだけではなく、少し距離をとって眺め直すというな、批評的な距離を感じさせてくれます。また、同じ展示室には鉱物や鉱山の絵画など、地下資源に関する近代作家の絵画も展示されていました。

岩井:エネルギー資源への批評性は意識していました。長坂さんの展示室に入る前に展示されていた「旅する地域考」のプロジェクトにも私は関わっていて、その一環で鉱山や地下資源を調査したことがありました。秋田は石油や天然ガスも出るし、さまざまな鉱石が産出された特殊な地域だと思います。菅江真澄も阿仁や院内などの鉱山を見て回っていますよね。同じ部屋のガラスケースには、秋田県立近代美術館の収蔵作品から、尾去沢鉱山や小坂の精錬所などを描いた作品を展示しています。私の作品ではヒッチハイカー達の写真も大切な要素ですが、彼らが佇んでいる風景はそういった地下資源やエネルギーに深く関わる場所です。

石倉:写真に出てくる「HOME」という文字が印象的でした。アメリカという国はある意味では自然破壊や外国での戦争にも支えられながら、「快適なマイホーム」という理想像を世界中に広めていったと思います。ロードムービーなどの対抗文化は、そうした矛盾を炙り出してくれましたよね。岩井さんの作品から、日本の現代史は、アメリカと日本の「HOME」の間で揺れ動いてきた、ということを感じました。例えば柳田國男は菅江真澄のことを「旅をして帰らざりし人」って呼んでいますが、岩井さんの作品からも「家に帰ること、帰れないこと、帰らないこと」という批評的な問いを感じます。

石倉:さて、迎さんの《アプローチ6.1》に移ります。迎さんの作品は、ある意味では人間的なノスタルジーや情緒をできるだけ遠ざけたような、クールな視点を感じさせてくれます。見方によっては細胞の分子構造みたいなミクロの世界にも、個人や社会を超えた大きな世界にも見えてきます。先ほど行われたパフォーマンスでも、人工的な次元と自然現象の次元を敢えて分けずに、仕組みや働きという観点から「境界性」を浮き彫りにする方法が、とても新鮮に感じられました。迎さん、少し紹介していただけますでしょうか?

国境や境界はどう生まれてくるのか。
見えない構造を立体に移し替え、動きを再構築

迎:迎英里子です。第4室で、6人でパフォーマンスをしている作品《アプローチ6.1》を展示しています。今回は移動と境界線をテーマとしました。私は毎回、社会とか、自然界にあるシステム、例えば貿易だったり屠畜、国債だったり、機能しているけれど目には見えないものの構造をモチーフにして、それを下敷きに、その構造を立体に移し替えて操作して動きを再構築するというパフォーマンスを行っています。(参考:迎英里子+飯岡陸トーク「パフォーマンスは、物質の身体性を見せるもの。人間は自由に動く装置のひとつだと思う」

今回の展示のプロジェクトが菅江真澄を起点にするということで、私自身、あまり真澄の人物自体にぴんと来なくて。そうしたときに真澄の解像度をすごく下げてみると「移動した人」だということで、移動というものを考えようと思いました。この作品を考え始めたのは3月、4月ぐらいで、新型コロナウイルス感染症が結構、流行り出した時期で。そのときに感染者数を県や国ごとにカウントしているのが、不思議な、変な感じだなというふうに感じました。県境って別に何も隔たるものはないのに、そこを通るだけで数が変わっていく。例えば、日本から海外であれば境目に海がありますが、EUであれば地続きで壁が建っているわけでもないのに、そこで数がカウントされる。境界線があることによって移動が可視化されるのかなというふうに考え、境界とは、移動とはどういうものだろうと自問しました。そのときに、境界や国境がどう生まれてくるのかというのがメインのモチーフになりました。

迎英里子《アプローチ6.1》 布、木材、綿、安全ピン、ビニールシート、アルミパイプ、その他/サイズ可変(パフォーマンス)

迎:パフォーマンスは、最初はなんの国境もない状態にあります。黄色い物体がもので、黒い物体が人の動きを象徴していて、最初は自由に動いていますが線が引かれることによって移動する場所が限定されていくんです。例えば人やものが、空港とか港、関税だとか、昔だったら関所など、移動がある場所で限定された状況があって、境界線も最初はただ引かれていただけで接してはいなかったので、そこを通らずに逃げるとか、入ってくることなどが行われていた。それがだんだん、征服したりされたりして国境線が進んでいくというようなストーリーがあります。見えないストーリー、見えないメカニズムというものを無理やり、等身大の装置に置き換えるとどういう構造が生まれて、その結果、ものがどういう動きをするのか。それを体感するということが作品のメインのテーマになっています。

石倉:黄色の物体がモノの移動を、黒い物体がヒトの移動を表していたんですね。とても面白いですが、同時に、ほかの解釈へと逸脱してしまうような多義性を宿しているようにも感じました。人間が空港から運んでくる新しいウイルス、人の持っている情報やお金とか、いろいろなアクターが動き、境界が開いたり閉じたりしている。人間の免疫や細胞膜でも、同じようなことが起こっています。この作品のために、迎さんはどんなリサーチをしてこられたのでしょうか?

迎:そうですね。県境とか国境、難民や民族について調べるようになっていって。先ほど説明の中で言い忘れたのですが、途中で薄いチュールの布を黒いぬいぐるみに掛けるという工程があります。それは人というのは、その土地に所属させられるもの、日本人とか何県人と言われたりするという工程です。でも、ものはそういうことはされていなくて。そういうことも考えると、相対的に不思議なことだなというふうに思ったりしていました。

石倉:生物や国家も、実はチューブのように効果的に何かを通したり、遮断したりしながら、いろいろなものを漏れさせてもいます。迎さんの作品とパフォーマンスによって、こうした「移動と旅」のプロセスの中で領属化させられていくものと、そこから免れるものがはっきりと見えてきたように思います。社会学者のジンメルは『橋と扉』というエッセイの中で、人間は橋や扉を作ることによって異なる領域をつなげたり分離したりしている、つまり境界を更新し続けているのだということを書いています。そのことが、とても鮮明に見えてくる作品だと思いました。

縄文土器、近世・近代資料と
現代における「あわい」

石倉:さて、3人の参加作家のお話からも、それぞれに違った関心と技術、そして異なるアプローチによって展示作品が成立していることがお分かりいただけたのではないかと思います。もう一点、確認しておきたいことは、この展覧会「ARTS & ROUTES -あわいをたどる旅-」には、現代の作家による美術作品と、そうではない博物学的な展示品が同じ空間に同居しているという特徴があると思います。現代のアーティストの作品と同じ部屋、あるいは隣の空間に、菅江真澄や蓑虫山人の描いた図絵や、縄文土器などの博物館資料などが配置されています。例えば、長坂さんの部屋に入るまでには大きな幕があり、菅江真澄が描いた木の図絵の写本類が展示されていますよね。長坂さんはこの展覧会の約1年前に秋田市で行なわれた別の展覧会で「菅江真澄の図絵のイメージを複写する」という主題、あるいは真澄が訪れた場所にじっさい身を置いて描かれた木を描きなおす、というプロジェクトを行なっていらっしゃいました。その前段があったからこそ、実は今作では「漂う森」というより普遍化された主題に移行できたのだと思います。実際の展示室は黒い暗幕で一度遮断されていますが、長坂さんに、菅江真澄の図絵との関係がどう変わったか、うかがってもよろしいでしょうか。

長坂:そうですね。すごく面白いなと思うのが、多分この3人の中で私が一番菅江真澄と向き合ってきたし、真澄に近いものを感じているにもかかわらず、真澄の図絵などの資料と私の作品は黒い暗幕という一番物質的には大きな壁で分けられているんです。それがすごく皮肉というか、対照的で面白いなと思っていました。
私が1つ目の展覧会で菅江真澄さんとどう向き合っていたかをお話しすると、まず彼について調べてみようと思い秋田県立博物館にあるデータベースの図絵をずっと見ていました。どれもすごく素敵な絵なんですけれど、その中でも木を描いている絵がとくに生き生きしていて素敵だと思ったので、真澄さんが描いた木を写すことを通して、その木たちや真澄さんの意識に接近していきたいと思いました。どうして写そうと思ったかというと、真澄さんたちの時代の人たちが何かを勉強するときはもちろん写真やコピーがないので手を動かしながら自分の頭とか意識の中に取り入れていくという行為が普通にされていたからです。もう少し近代になりますけれど、南方熊楠さんも博物館に通っていろいろなものを写しながら、それに意識を入れていく「直入(じきにゅう)」という、心理的に深く没入する行為をされていたということも聞いて。実は私も習字を8年ぐらいやっていたことがあって、全く新しいものは作らずにいかにお手本通りに書くかということだったんですが、最終的にはその人の持っている手癖や創造性みたいなものが出てきてしまうことを経験していたので、今回は写しをしたいなと思いました。

写すことにしたときに秋田県立博物館の方に見本をお願いしたところ、いただいた見本がデータベースで見ている真澄さんの本当の絵ではないということに衝撃を受けました。写本のイメージと本物のイメージは全く違っていて、私が思っていた素敵な絵ではなかった。これはどういうことなんだと調べていくと、原本はあるが傷みが激しいために外に出すことはほとんどしていなくて、今博物館で私たちが見ているものは明治5年に写したものだと教えてもらいました。明治維新によって日本を近代化させるために、それぞれの県にある資源を分かりやすく見せたり調べたりするときに、菅江真澄さんがいろいろな旅をしながら描いた絵とか文章が資源的な目線から見てすごく役に立つので写本が作られたという経緯も教えてもらいました。(参考:真澄が描いた「木」、長坂が写す「木」

本展では秋田県立博物館所蔵『菅江真澄遊覧記』を明治初期に写した「県庁本」と、広く閲覧されることを目的に明治30年代に「県庁本」から写された「図書館本」と呼ばれる2種類の写本を併置

長坂:それならば私が現代において美術作家として違う意図をもって写しをしたらどうなるのだろうと思いました。菅江真澄さんの意識を自分の中に取り入れる、また対象物である木に接近する行為としての写しをしました。そこで得た真澄さんの目線に、自分の目線ともすごく近しいものを感じて。これは一回自分の中に取り入れるともうずっとあるものなので、それを持ち続けたまま今回は漂う森について調べていきました。

じゃあどうしてこんな壁ができたんだろうと考えると、時代と使われる美術表現、メディアと技術の違いなんだろうなと思います。真澄さんの場合は図絵の中で言葉を使って文章を書いて、ドローイングもあって、詩もあって。それらが全てひとつの紙の上に載せられています。今回の私の作品も文章ではないけれど言葉を声にして伝えるという、物語を使っています。そして、ドローイング・アニメーションは基本的には手で描いたものをスキャンして取り込んでいて。手は使っていますが、現代の技術に取り込まれて、プロジェクターという光源装置によって再現され、空間の中に投影されている。このメディアの違い、表現技術の違いによって、作品を成立させるには暗い空間が必要だということで壁の境界線ができたんじゃないかなと考えていました。

石倉:ありがとうございます。実は「菅江真澄プロジェクト」で、いわゆる「図書館本」と「県庁本」という菅江真澄の2種類の写本を並べて展示するということになった理由は、長坂さんがこうした「写し」に関する問題を先行して取り扱われていたからなんです。こうして真澄の写本を並べて比較できるガラスケース展示のパートから、句読点を打つように黒い暗幕を潜りぬけて、映像と音声による長坂さんの作品展示室へと移動します。人間の歴史から、植物の時間軸に入っていく。そこでは、真澄の生きていた江戸時代と写本の描かれた近代から、数万年前の時代へと、大きく時間を越えていくことになります。それは同時に、ガラスに遮断された視覚的な鑑賞体験から、パーソナルな「声」と「語り」に包まれるバイリンガルな音響・映像体験への移動でもあります。