■「美大10年」Web連載企画
1.「ローカルに美大があること」について―美大という文化政策―
藤浩志評 シンポジウム「ローカルに美大があるということ」
2.「美大10年」の活動や社会的意義を開き、示す
橋本誠評 秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」
3. 開学から10年、こぼれ落ちた「破片」が放つ光
中須賀愛美 秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」に寄せて
4. 「美大の10年、私の10年」
美術史家 山本丈志評 秋田公立美術大学開学10周年
美大の10年、私の10年
30年ほど前、高校で教師をしていた時のことである。当時県内の美術教育を担っていたのは秋田大学教育学部(1998年から教育文化学部)だった。美術専攻は小中学校の教員養成課程に付加しており、卒業生の大半は美術教師になった。だから教職を望まない美術志望の生徒たちは盛岡、仙台、関東方面など県外へ進学していくことになる。
秋田市立美術工芸専門学校が秋田公立美術工芸短期大学(以下短大)になり、2013年には秋田公立美術大学(以下美大)として開学したことは美術を志望する県内の生徒にとって待ち望んだものだったと理解している。美大によって学生は秋田大学より多岐にわたる芸術領域を学ぶことができ、広い職域から仕事を選択できるようになった。さらに美大は大学院を設置して全国からも注目期待される、より高度な美術の専門教育機関となったと認識している。
実のところ自分は短大開学直前に教職を離れてしまい、短大や美大への進学指導を直接行うことはなかった。せいぜい美術部の教え子が短大の1期生2期生になり、成果発表の展覧会を見に行ったくらいだ。時折知人に頼まれて美大志望者の絵を指導することもあったが、秋田県立近代美術館の学芸員になってからの20年は特段、短大や美大と関わることはなかった。
30周年を迎える県立近代美術館は開館当時、県立クラスの美術館としては後発で、立ち遅れていた郷土作家の調査研究に努める必要があった。秋田蘭画から寺崎廣業、平福百穂、福田豊四郎など、私の研究論文のほとんどが近世近代の日本画関連なのはそのためだ。現代美術や新たな秋田のアートシーンを創る短大・美大の扱いに関しては後輩に任せ、自分の仕事に専心していたのである。
美大が開学して間もない頃、私は県文化振興課に異動した。総合美術展である「あきたの美術」展と若者の芸術活動に助成する「若手アーティスト育成支援事業」という文化施策を担当することになり、秋田のアートシーンの現実に向き合うことになる。爾来美大関係者と仕事をともにする機会が増えてきた。
振り返ってみると美大との接点は大学の不認可問題に揺れた2012年、ニッポン画家 山本太郎(元准教授/現在、京都美術工芸大学特任教授)との出会いにあった。あるレセプション会場で同姓の彼の徽章を付けられそうになったこと、彼が熊本県出身だったこと(私もかつて住んだことがある)に親近感を覚え、美大に赴任予定であると聞いて再会を約した。その後、あきたアートプロジェクト(2011~2015・秋田市)やジパング展(2013・県立近代美術館)で協働した経緯がある。
文化振興課で引き継いだ2つの事業に私は秋田のアートシーンの生々しい不協和音を感じ、形骸化していた内容と稚拙な展示方法には閉口した。現代美術の先鋒は間違いなく美大関係者であったが事業内容は実状と乖離していたのである。そこで山本太郎を通じ美大教職員らの協力を仰ぎ、私なりに事業の立て直しを図った。
「あきたの美術」展の前身「秋田現代美術展」は毎年団体展の優秀作を網羅し紹介するスタイルで1950年代に始まる。美術界の変化とともに、注目されるフリーランスのアーティストたちも取り入れようと何度か運営組織の改編を重ね、展覧会名も「あきたの美術」に変更されていた。推薦領域が細分化され出展作品の多様性を見せながら、結果として専門領域の推薦者・出品者が固定化してしまう。年年歳歳原点回帰するようなマンネリに混迷していた。
あるクーリエに聞いたことがある。フランスでは今もなお印象派の後裔画家がもてはやされるアートシーンが存在する。近代と現代のみならず、様々な価値基準による美術界の多重構造は世界的なもので秋田に限るわけではない。見方を変えれば叙勲も表彰も偏重と狭義の価値判断による。次代を拓くコンテンポラリーアートの先鋭を見定めるのは難しいのである。
文化行政でなすべきことは一所に偏らず、一派を排除せず、等しく全般の芸術領域の活動状況を紹介すること、広く芸術鑑賞の機会を提供することではないか。そう考えて固定していた推薦者を毎年交替させ、拘泥していた出展者を入れ替える体制づくりに着手した。
洋画、日本画、水墨画、彫刻、工芸、デザイン、書道、写真の8領域、時には現代美術が加わって9人もいた推薦者を2~3人に減らし、限定した領域から少人数のアーティストを選抜してもらった。「年1回の展覧会で美術の全領域を網羅する展覧会」から「精選した少人数によって数年をかけて全領域に迫る展覧会の開催」へと舵を切ったのだ。
県内の有識者に加え五十嵐潤(2015)、藤浩志(2016)、岩井成昭(2017)、小田英之(2018)ら大学教授陣をディレクターに迎えたことで、「あきたの美術」展は少数精鋭も功を奏し、高質な作品とアーティストたちがそろう先鋭的な展覧会へと変貌することができた(2015-2022)。これは美大なくしてはなしえないことだった。
付随して、それまで壁一面所狭しと作品を掲げる、学校や公民館の文化祭のような展示会場ではなくなった。インスタレーションへの意識がまだまだ低い県内において、高度な展示空間の構成が認知されたのは大きな収穫だった。県外の美術館・ギャラリーで、キュレーターが介在しインスタレーションに腐心する展覧会を経験したアーティストが数多く参加したからに他ならない。
ディレクターや出展者の要望にすべて応えられるだけの事業規模ではなかったため、彼らに持ち出しを強いてしまったことが悔やまれる。ギャラリーを持たず、学芸員不在が常態化している事業には限界があった。おそらく県立の美術館開設前に行政機関が担っていた事業であり、「あきたの美術」展の後裔が2022年を以て終了してその役目を終えたのは遅すぎるくらいかも知れない。
県立近代美術館が近年秋田のアートシーンへの関心をより高めており、昨今の展覧会では美大との連携も見られる。現代美術のアーカイブと展示を今後事業として確立展開していければ喜ばしいことである。両者なお一層の連携協働に期待する。
もう一方、応募者が少なく依頼によって採用枠を埋めていた「秋田県若手アーティスト育成支援事業」も最初に協力を仰いだのは山本太郎だった。彼が紹介してくれた学生が当時2年生だった永沢碧衣(2023VOCA賞)である。清冽な青の色彩感覚と的確なヴァルールによる空間表現が秀逸で今も記憶にある。
会場として指定されていたアトリオン地下のイベントホールは催事場であって展示室ではない。スポットライトもない有孔ボードを立てただけのホールが彼女にとって、私にとって今に続く仕事のスタート地点だ。アーティストトークに参加したフリークや搬出時に村山留里子から掛けられた励ましは彼女の今の活躍につながるエピソードではある。
翌年から無理を押して会場をアトリオン2Fの美術展示ホールに移した。それだけでは応募者は増えずわずか3人だったが依頼はしなかった。開催した大関智子(日本画・現在美大助教)展と浅野壽里(洋画)展の評判はよかった。二つの展覧会が若手アーティストたちの目に留まり「自分もやってみたい」と思うようになったらしい。3年目から倍増した応募者の中に美大助手・学生たちも含まれていた。今でも応募者は多く選考に苦慮する事態になっている。
美術館での経験を踏まえ、展覧会を開催するために大切なことをアーティストに伝えたい一心で、コンセプトへの助言、ステートメントの添削やインスタレーションの指導など様々に行った。学芸員とはいえ、素性も知れぬ学外の大人からの助言を彼らが素直に聞いてくれたのかはわからない。苦言でしかない言葉を冷静に客観的に受け止めることで、アーティストとしての本分が開花した例もあったように思う。支援事業は「アーツアーツサポートプログラム」と名称を変え、私は担当部署を離れて久しいが今もなおサポートを続けている。時折美大のアトリエ棟を訪ねては、アーティストの情熱に触れ、新たな創造の現場に立ち会うことに喜びと刺激を受けている。
県文化振興課に在職中、展覧会をサポートした美大関係者は草彅裕(現在美大助教)、尾花賢一(現在美大助教、2021VOCA賞)、宮本一行(現在札幌大谷大学専任講師)、山本美里らである。学生院生では西川知浪、長内祐子、小山内毬絵、牧野心士、五月女かおる、大平真子、南林いづみ、塚本かな恵ら逸材ぞろいだ。彼らの活躍は零細な支援事業が期待以上の成果を上げたことをこれからも証明してくれるだろう。
美大の教職員、学生とともにした数々の仕事には私なりに手ごたえを感じている。今夏開催された開学10周年記念展「美大10年」で、関わってきた若手アーティストたちの活躍と成長を実感した。大学運営が軌道に乗り事業形態が分化していく過程において、たまたま寄りそう形になった県の展覧会事業、支援事業が役に立ったのであればうれしい。わが身の10年がかくも美大の10年に重なっていた。
教員、学芸員、県職員と経験して思うのは、文化の育成が一時的な予算を投じて一過性の人材を登用し、手っ取り早くイベントやプロジェクトを開催することではなしえないということだ。息の長い継続こそが力になる。ルーブル美術館も世界的なアートプロジェクトも一朝一夕に今のステータスを築いたわけではない。右に倣えとばかりに人流の増加や経済効果を芸術に期待する風潮は残念で仕方ない。アーティストを一時的な文化の発展を期すための、インバウンドを生むための消耗品とみなしてはいまいか。
美大には県内外から優秀な教職員が選抜配置されている。日本のアートシーンを拓く彼らの活躍を間近で見て感じることは、創作意欲にあふれる学生たちにとって将来の糧となり指針となるはずだ。美大に集結した才能と知性は何ものにも代えがたい財産なのである。彼らの活動と学ぶ場を守り育むことこそ最重要の施策であるはずだ。幸いにして美大の外郭団体アーツセンターあきたが巨大なギャラリー秋田市文化創造館を運営することになり、教育と普及の事業がある程度分業化されたことは好ましい傾向だと思う。
この10年で美大と地域、そして国内外のアートシーンとの関係性は顕著な発展を見せ、専門学校、短大時代とは大きく変わった。数少ない美術大学であれば一挙手一投足が注目され、羨望と嫉妬、期待と失望が入り混じり、地方大学としての責務と人材育成の重責がのしかかる。それでも美大はビジョンをもって未来を拓いていくだけのことであろう。時流に流されず、唯一無二の道を進みさらなる飛躍を期してもらいたい。
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Information
秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」
●会期:2023年7月6日(木)~8月7日(月)
●開館時間:
月~金 12:00~20:00 ※8月4日(金)は10:00~20:00
土・日・祝日 10:00~20:00、最終日8月7日(月)は10:00~19:00
●会場:秋田市文化創造館
●休館日:火曜日(火曜日が休日の場合は翌日)
●観覧料:無料
●出展者(50音順)※教員は氏名のみ表記
秋田公立美術大学粘菌研究クラブ、浅香遊(2019年卒)、石前詞美(学部4年)、石山友美、井上豪、井原ひかる(2020年卒)、今中隆介、岩瀬海(2023年修了)、NPO法人アートリンク うちのあかり、大越円香(2020年卒)、岡﨑未樹(2021年卒)、小原詩音(学部2年)、小山真実(2017年卒)、折出裕也(2019年卒)、加藤正樹(2020年卒)、川口朱德(修士2年)、菊地百恵(2018年卒)、草彅裕、求源(2020年修了)、工藤結衣(2021年卒)、熊谷晃、小杉栄次郎、小松千絵美(2020年卒)、齋藤大一(2020年卒)、佐々木大空(2021年卒)、佐藤朋子(ゲスト作家)、佐藤若奈(修士2年)、正保千春(2020年修了)、須賀亮平(2019年修了)、菅原香織、菅原果歩(2023年卒)、杉澤奈津子(2022年卒)、関口史紘(2022年卒)、五月女かおる(2019年卒)、髙橋香澄(2019年修了)、瀧谷夏実(2023年卒)、徳川美稲(2022年卒)、冨井弥樹(2020年卒)、永沢碧衣(2017年卒)、西永怜央菜(2018年卒)、西原珉、早川優風(2022年卒)、壹ツ石涼里(2023年卒)、日比野桃子(2021年修了)、福住廉、藤本尚美(2015年卒)、保坂剛志(2009年美短卒)、真坂歩(2018年卒)、増田美優(学部4年)、茂木美野子(2020年卒)、森田明日香(2022年卒)、森山之満(2022年卒)、柚木恵介、吉田真也(2017年卒)、渡辺美紀(2022年卒)
●全体統括:岩井成昭
●キュレーション:岩井成昭、小杉栄次郎、瀬沼健太郎
●会場構成:小杉栄次郎
●映像コンテンツ:萩原健一
●関連イベント:瀬沼健太郎
●会場デザイン:石川昌&CD専攻学生チーム
●制作:P3 art and environment
●主催:公立大学法人秋田公立美術大学
●後援:秋田市、秋田魁新報社、NHK秋田放送局、ABS秋田放送、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送、CNA秋田ケーブルテレビ、あきびネット