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「ローカルに美大があること」について―美大という文化政策― 藤浩志評 シンポジウム「ローカルに美大があるということ」

平田オリザ氏(芸術文化観光専門職大学学長)中山ダイスケ氏(東北芸術工科大学学長)を招き、地方都市に芸術系大学があることの意義を議論したシンポジウム「ローカルに美大があるということ」。藤浩志(秋田公立美術大学教授、秋田市文化創造館館長)によるシンポジウムのレビューをお届けします。

「美大10年」Web連載企画
1.「ローカルに美大があること」について―美大という文化政策―
  藤浩志評 シンポジウム「ローカルに美大があるということ」
2.「美大10年」の活動や社会的意義を開き、示す
  橋本誠評 秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」
3. 開学から10年、こぼれ落ちた「破片」が放つ光
  中須賀愛美 秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」に寄せて
4. 「美大の10年、私の10年」
  美術史家 山本丈志評 秋田公立美術大学開学10周年

はじめに

2013年、秋田公立美術大学が開学した頃、僕は隣の青森県の十和田市現代美術館に勤めていました。美術館という名称ですが、過去の美術作品を収蔵する近代美術館とは違い、市役所の観光推進課が管理し、地域に人の流れをつくりだす観光拠点としてつくられた施設です。ちょうど十和田奥入瀬芸術祭という事業を仕込んでいる時で、地元の企業、空き家や商店街、文化財や自然観光資源、ホテルや遊覧船など地域に潜在する様々な魅力を活用し、若い人たちと新しい活動を作ろうと奔走していました。そんな折、隣の秋田県に公立の美術大学ができたことを知り、「そうか、この手があったか!」と感動したことを覚えています。美術大学を設置するというのは新しい文化政策だと思ったのです。いや、実は古くからの方法だったのですが・・・。

美大の歴史

美術を学ぶというと、ギリシャやローマから脈々と続く絵画や彫刻などの技術を学ぶのだと思われがちです。しかしそれは徒弟制度、弟子入りしていた時代の話。ヨーロッパでは中世以降、ガラス工芸や家具など工芸の分野での技術表現が盛んになり、16世紀以降イタリア、フランス、イギリス、ドイツなどの様々な地域に工芸、デザイン、絵画、彫刻、建築などの分野を統合した美術大学が作られはじめました。その結果、生活空間やまちの景観に変革を与え、それぞれの様式やスタイルから生まれた商品は世界中に流通し、大きな産業に繋がりました。その意味でも美術大学は、新しい価値を作り出し、更新してゆく心臓のようなところだとも言えます。

日本においては公立の美術学校としては1880年(明治13年)に京都府画学校が、1887年(明治20年)に国立の東京美術学校が設立されます。そしてその後、金沢美術工芸大学(1946)、愛知県立芸術大学(1966)、沖縄県立芸術大学(1986)が20年ごとに相次いで設立、地域における工芸、伝統産業、企業、文化芸術活動に関わる多くの人材を輩出してきました。この数十年、世界に流通してきたあらゆるゲーム、アニメ、漫画、ファッション、建築、映像、家電、自動車、スポーツ用品、生活用品、サービス、流通に関わる新商品の開発、そして広告、宣伝、PR事業などの多くに美大出身者が関わっていることは紛れもない事実です。 美術大学は美術を学ぶだけのところではありません。過去の商品や風景にはなかった新しい価値を見出し、なんらかの形にできる力を学ぶところです。地元に伝わる伝統文化・産業を、時代に必要な建築や景観や製品などのデザインを、それぞれの時代で変化し続ける広告やマーケットや商品開発を、ニーズに合わせた新しいイメージの提案ができる人材の育成が求められているところなのです。

新しい価値を更新するための美大

今回ゲストでお呼びした開学30年を越える山形の東北芸術工科大学は、学長の中山ダイスケ氏の話にもありましたが、地域課題に直結したプロジェクトを年間100件以上も地元企業・行政と連携し試みることによって、多くの人材を輩出しています。 また開学3年となる兵庫県の芸術文化観光専門職大学は、身体表現の演劇とダンスに注目しているところが重要で、観光に直結したマネジメントを実践の中で学ぶところとして大きな可能性を持っています。しっかりした身体感覚で、演じるということを自覚しつつ、人と対面することができる人材がまちに溢れるとすれば、そのまちが魅力的になるのは確かなのだろうと想像できます。 私たちが暮らす今の課題にちゃんと向き合う態度を持つこと。そして、これから未来の生活空間に、生活の時間に、何が必要とされ、何があるのか。そこにつながる表現は何なのか。その方法はどうあるのか。そのような課題や問いに向き合いながら、今まだ形になっていない、誰も体験したこともないような表現の方法を柔軟な発想力と行動力で試行錯誤できる人材の卵が集まるところ、それが美大だと思うのです。

7月9日に開催したシンポジウム「ローカルに美大があるということ」

日本では1990年代より注目され始めたアーティスト・イン・レジデンス(AIR)という文化政策の手法があります。外部のアーティストなどが一定期間その地域に滞在し、リサーチしたり、地域の人と交流したり、何らかの活動を行うことで、これまで見出せなかった地域素材や魅力を表出させる手法です。地域に美大があることはこの事業ともつながります。 美大では新しい物事に挑戦しようとする若者が毎年100名4年間、大学院生だと2年間、海外も含む全国各地から集まり、地元の個人や企業と関わり合いながら試行錯誤を繰りかえすことになります。 さらに注目すべきは助手の存在です。若く新しい思考と手法を持つ表現者が3年から5年の単位で滞在し、活動の拠点とします。おまけに教員という各方面の専門家にもその要素があります。長い場合は10年単位でそこの地域に移り住み、場合によっては放置された廃屋や土地を購入し、新しい活動の拠点とする試みも見られます。

これまでの課題とこれから

「何もない」「つまらないところ」「全国どこでも同じ風景」「若い人がいない」「空き家と空き地ばっかり」「人がいない」「活気がない」

これは多くの地方都市で囁かれている言葉です。なぜこのようになってしまったのでしょうか。行動力とエネルギーに満ちた可能性溢れる若者を、古い価値観からはみ出ないように画一化し、自己表現欲を抑圧してきた結果なのかもしれません。それに反発した若者はそこから逃れようと都市部に流出し、逆に真面目に期待に応えた若者もまた首都圏に出ていったのでしょうか。画一的で標準的な効率と合理性だけで作られる建築空間や、管理者の都合に合わせた条例や法規。言われたことを真面目にきちんと行うことが評価され、余計なこと、無駄だと思われることを排除してきた歴史も今の都市景観に影響をあたえているとも考えます。 では、魅力的なまち、個性的な独自の景観、面白い人やことで溢れるまちにするにはどのようにすれば良いのでしょうか。そこに美大の存在理由があるのかもしれません。常識や既成概念を疑うことを良しとし、違和感やモヤモヤに向き合うことを勧め、独自の表現力を身につけるための試行錯誤を許容できるところ。柔軟な感性の表現者が全国から集まり、さまざまな社会実験、試行錯誤を実践し、その態度に地域社会の人が巻き込まれながら切磋琢磨する。そのような状況がまちに浸透することが美大の役割なのかもしれません。


流れ山についてのフィールドワーク(にかほ市)
地域の方々と空の色を観察し、歩道橋の色彩を検討する新屋横断歩道橋プロジェクト(秋田市)

観察力・みえないものをイメージする力

今回文化創造館で開催された「美大10年」の展覧会では入学試験のデッサンの課題が紹介されています。美術大学の学生が学ばなければならない大切な能力の一つ「観察力」と「表現力」を試す課題です。実はこの観察力は今現在の目の前の物事に対して、見えていることだけを観察し、表現しているだけではいいデッサンは描けないのです。そこで大切となるのが、見えていない物事や仕組みを想像して、イメージし、描こうとする態度、それを形として表現する力なのです。  この数十年、特に戦後の高度経済成長と言われる大量生産大量消費の社会に足りなかったのはこの「見えない物事・しくみをイメージする力」だったのかもしれません。「それ」は何でできてどのように作られているのか(素材・構造)。誰が作り、どこからきたのか(過去・歴史)。どのような理由で、どのような関係の中から作られてきたのか(生態系・物語性)。どのように変化してゆくのか(未来・変容)。存在することで利益を得た人は誰か、またその裏側で苦しんだ人は誰なのか(影響・効果)。

これらをイメージする力、観察力を持つ人が暮らしている地域と、まったくその力がなく、与えられたものだけを喜んで消費する人が暮らす地域。経済優先の社会では後者のほうが有益だったのかもしれません。しかし、それでよいのでしょうか。目の前にあるもの、商品、景観、組織、施設、仕組み、さまざまな物事は今のままで良いのでしょうか。その地域に暮らす多くの人が新しい価値を見出し、共につくることに関与できる人であって欲しいのだと思います。観察力を持ち、さまざまなことをイメージできる人と共に対話を重ねることができれば嬉しいのです。表面だけの価値で消費するのではなく、さまざまな角度から、その物事の本質を語り、新しい未来について対話できる人と出会える。そんな地域であって欲しいのです。ローカルに美大があるということはそのような状況に繋がっていると信じ、今、ここにいます。

Profile プロフィール

アーツセンターあきた
理事長

藤浩志 Hiroshi Fuji

1960年鹿児島県生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇に没頭した後、公共空間での表現を模索。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校に勤務し原初表現と人類学に出会う。バブル崩壊期の土地再開発業者・都市計画事務所勤務を経て土地と都市を学ぶ。「地域資源・適性技術・協力関係」を活用し地域社会に介入するプロジェクト型の美術表現を実践。取り壊される家の柱で作られた「101匹のヤセ犬」、給料一ヶ月分のお米から始まる「お米のカエル物語」、家庭廃材を蓄積する「Vinyl Plastics Connection」、不要のおもちゃを活用した「Kaekko」「イザ!カエルキャラバン!」「Jurassic Plastic」、架空のキーパーソンを作る「藤島八十郎」、部室を作る「部室ビルダー」等。十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学教授、NPO法人プラスアーツ副理事長、NPO法人アーツセンターあきた理事長。 https://www.fujistudio.co

Information

秋田公立美術大学開学10周年記念展「美大10年」関連プロジェクト
シンポジウム「ローカルに美大があるということ」

■ 日時:2023年7月9日(日)13:30~15:00
■ 会場:秋田市文化創造館
■ 登壇者:平田オリザ(芸術文化観光専門職大学 学長)、中山ダイスケ(東北芸術工科大学 学長)
■ モデレーター:岩井成昭(秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻教授)
■ 主催:秋田公立美術大学
■ 企画制作:NPO法人アーツセンターあきた

▼イベント概要
https://www.artscenter-akita.jp/archives/43006

▼アーカイブ映像
https://youtu.be/W5wB8zWsXh0
撮影:林文洲、山岸耕輔、チェシヨン、安藤陽夏里、安藤帆乃香
編集:林文洲
 
▼担当者によるレポート
https://www.artscenter-akita.jp/archives/43673

Writer この記事を書いた人

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